1964年東京オリンピック追想

 前回の東京オリンピックは1964年10月10日から2週間にわたって開かれた。私にとっては他のどのオリンピックよりも印象深い。というより、別格のオリンピック、たんなるスポーツの祭典にとどまらない出来事であったと言うべきものかもしれない。先日、その時に作成された映画『東京オリンピック』を見た。前に見たのは高校生の時。半世紀以上も昔のことである。学校全員で映画館に出かけて見た。今回、見直してみたら、記憶がよみがえって来て、とてもなつかしかった。以下、断片的な追想を少々。

◆男子100メートルと女子80メートルハードル
 この映画ではすべての競技が撮影されているが、最多の映像は陸上競技砲丸投げ選手の試技前の神経質なしぐさや表情などがうまく捉えられていて面白い。砲丸投げは瞬間的に勝負が決まる競技。体を始動して砲丸を投げ終えるまでに必要な時間は2秒くらいではないか。100メートル10秒よりずっと短い。選手が過剰なほど神経質になるのも無理はない。

 私がよく覚えている陸上選手は100メートルのボブ・ヘイズとマラソンアベベ・ビキラ。体つきも全く対照的で、筋肉モリモリのヘイズとスラリ痩身のアベベ。決勝でのヘイズのタイムは10秒0で世界タイ記録。東京大会ではまだ手動計時をやっていたとばかり思いこんでいたが、私の記憶違いみたいである。東京大会陸上100メートル競走の計時方法について「日本時計学会誌」NO.150(1994)に次のような説明が出ている。【計測はスターターのそばにセットされたマイクロホンがスタート用ピストルの「バーン!」という音をキャッチして電気信号に変換し、クオーツ時計によるタイマー部へ送られる。ゴールはゴールラインに向けてピッタリとセットした写真判定用カメラがとらえる。そしてタイマーからの100分の1秒ごとの信号が刻まれたフィルムに選手のゴールの姿が写し込まれる。そのフィルムにより審判員が着順とタイムを確認する。】これで見ると、100分の1秒までの計測が可能であったはずなのだが、まだ機械の正確さが信用されるまでに至らなかったのか、記録としては10分の1秒までしか残っていない。
 日本選手で記憶に残っているのはやはり一番短い距離と長い距離、100メートルの飯島秀雄とマラソン円谷幸吉。飯島は決勝に進めず、この映画には写っていない。後にプロ野球に入った時はみんなびっくりするやらあきれるやら。走塁専門といえどもただ足が速いだけでプロ野球の選手になれるわけがない、まっすぐ100メートル走るのと盗塁とは似て非なるものだという嘲笑に近い意見が多かった。そして、その意見の正しいことが結局証明されてしまうのである。ヘイズはアメリカンフットボールのプレイヤーとして活躍したが。
 陸上でもう一人印象に残っているのが80メートルハードルの依田郁子。この人はメダルも期待されていたが、競技前に逆立ちとかいろんな目立つ動きをするのでも有名。そして、おでことか首筋とかにメンソレかサロメチールだったか、とにかくその種のものをべったり塗って競技に臨む。この時の決勝でも同様。さらに、口笛を吹いているところ、箒で自分のコースを掃いているところが映し出される。よほど神経質なのか。いや、現在の全天候トラックではない昔のアンツーカーのトラックなら箒で整地するのも一理あるかもしれない。それともやはり一種の精神統一の儀式だったのか。決勝の結果は5着。スタートよく2台目のハードルまでは多分トップであったが、3台目で追いつかれ、4台目で抜かれ、そのあと何とか持ちこたえての5着。
 この種目で優勝したのはドイツのバルツァーという選手。東西ドイツが統一チームとして夏のオリンピックに参加したのはこれが3回目で最後。表彰式でベートーベンの第9が流されていたのが印象的。

◆女子バレーボール
 女子バレーこそ、おそらく最も多くの日本人が期待し、応援した競技ではないか。監督は日紡貝塚で鬼の大松といわれた大松博文。選手もほぼ日紡貝塚の選手で編成された日本代表チームで、「東洋の魔女」なんて異名がつけられていた。河西主将、半田、宮本などの名前は今でも憶えている。映像で気づいたのは、選手たちの体格が意外と華奢であって、背もそれほど高くないということ。とくに宮本選手は体躯も細いし腕もほんとうに細い。サウスポーのアタッカー、強打の宮本というイメージとはまったく違っていた。よくぞまあ、この腕であのスパイクが打てたものと感心するほかない。
 この試合によほど感激したのだろう。私は大松監督の著書(彼が本当に書いたものかどうかは分からないが)を買って読んだものである。大松氏はその後参議院議員を1期務めた。2期目の選挙の時、たぶん票集めなのだろう、スポーツ用品店に入っていく大松氏を岡山で見かけたことがある。あの大監督がなんでこんなことをせんとあかんのかといぶかしく思った。そして落選。その後は何をされていたのか知らないが、50代で亡くなった。この人の人生は東京オリンピックで終わっていたのかもしれない(誤解であればごめんなさい)。

◆マラソン
 マラソンと書いたが、当時、女子マラソン競技はまだなかったのでマラソンといえば男子マラソンのこと。女性が42キロメートルを走れるなどとは99パーセントの人が考えつかなかった時代。もっとも、古から連綿と続く女性の運動能力に対する偏見は他の競技でも同じであって、当時は柔道でもレスリングでも女子種目はなかった。
 この時のマラソンは結局アベベで始まり、アベベに終わったと言えよう。4年前のローマオリンピックで優勝した時は裸足で走り、裸足の英雄と称えられたが、この東京では靴を履いていた。その白い靴がスッスッと前に出る様子が映し出される。とてもなめらか。強い。他の選手とは次元の違う走り。他の選手は、人間がきつい練習を積み重ねて42キロに挑戦しているという感じなのに、この人は努力とか鍛錬とか汗とかの痕跡を漂わせていない。実際はその逆で、人一倍トレーニングしてきたはずである。でも、それを感じさせない。走る姿は神秘的でさえある。実況アナウンサーの「超人アベベ」という形容でもまだ言い足りないと思った。
 円谷幸吉は折り返し点では5位か6位だったが、国立競技場へは2位で戻って来て、10メートルほど後ろにはイギリスのヒートリーが迫っている。観衆も総立ちの声援を送る。しかし、彼には余力がなかった。それはレース途中の映像でも見て取れる。円谷は父親から絶対後ろを振り向くなと教え込まれ、この時も後ろを振り向かずヒートリーに気づかなかった。もし後ろを振り向いていたらそれなりのトラック勝負の仕方があり、銀メダルもありえたのではという仮説があるそうだが、この映像で見る限りそれは不可能というしかない。この時、ほんとうに円谷の体力は限界に達していた。そして4年後には気力も尽き果てることになる。

◆柔道
 当時は男子のみの4階級。軽量級、中量級、重量級とすべて日本が金メダルを取った後の無差別級。決勝は神永対オランダのヘーシンク。しかし、雰囲気は日本柔道対ヘーシンク。これで敗れることは日本柔道の敗北!とみんなが考えていたかどうかわからないが、無差別級で勝たないことには柔道日本などと威張れたものではないし、本家本元としては勝たなければならないと多分誰もが思っていたはず。でも、ヘーシンクがとてつもなく強いことはみんな知っていた。神永を応援する気持ちの半分以上は願望。大会前には神永と猪熊のどちらをヘーシンクにぶつけるかで柔道陣首脳部は悩んだそうだが、これも所詮ヘーシンクの強さを認めていたからに他ならない。どちらがヘーシンクに勝てる確率が高いかで選ばれたのは神永。猪熊は重量級に回った。
 ふた回りも大柄な相手に神永はよく戦ったとしか言いようがない。ヘーシンクはたんに大きいというだけではない。大きいだけなら重量級決勝で猪熊が破った(優勢勝ちではあったが)相手もそうであったし、何とか打つ手はある。しかし、ヘーシンクは柔道を極めた柔道家。神永が彼に勝てると予想した人は日本人のなかにも果たして何人いたやら。果敢に技をかけていった神永であるが、つぶされて押さえ込まれ万事休す。あの時テレビを見ていた私は、30秒押さえ込まれた後、一瞬の間をおいて身を起こし、正座して柔道着をなおす神永の姿になぜかホッとし、納得した。多分、多くの人が同じ思いだったのではないか。

◆体操
 体操はレスリング、柔道と並び活躍が期待された種目。事実その通りの成績を上げた。日本選手団のキャプテンであり、開会式で選手宣誓もした小野選手は跳馬や鞍馬でも活躍したが、なんといっても「鬼に金棒・小野に鉄棒」と称賛された鉄棒の名手であり、メルボルン、ローマと2大会連続で鉄棒の金メダリスト。しかし、東京大会では全盛期を過ぎていて、肩かどこかを痛めていて、団体のみの優勝に終わり、個人種目でのメダル獲得はならなかった。私はそれ以前、小学生だったか中学生だった時にこの人の鉄棒演技を実際に見たことがある。どういう位置づけの催し物であったのか定かでないが、京都の円山野外音楽堂で著名な体操選手によるエキジビションがあり、それを見たのである。そのせいか、体操選手といえば今でも小野喬。
 映画を見て意外だったのは体操競技の優雅さである。チャスラフスカなんてまるでバレリーナ平均台の上で一瞬静止するポーズのなんと気品にあふれていることか。優雅なのは彼女だけではない。他の女子選手もそうだし、男子選手の演技だって負けず劣らず芸術的である。スローモーションを多用した画面構成のせいもあるかもしれないにせよ、体操は優美でなければならないと考えさせられた。

 

 この映画『東京オリンピック』は試写会で河野オリンピック担当大臣が「俺にはちっともわからん」「記録性をまったく無視したひどい映画」と批判し、愛知文部大臣も「文部省として、この映画を記録映画としては推薦できない」という声明を出し、市川崑監督が試写版に日本人金メダリストなどの映像を追加してやっと公開に至ったという、いわくつきのものである。しかし私は、昔見た時におかしな映画だとは思わなかったし、今回見直しても、ケチをつけられるような映画ではないと思った。ボクシングの金メダリストの名前が全階級にわたって文字で流されるなどが、記録性を重視して、おそらく後で付け加えられた部分なのだろう。このあたりには映画全体の意図からのずれを感じる。
 それにしても。オリンピックをめぐっては、最近、楽しい話題がないので、輝いていた1964年東京オリンピックの思い出を手繰り寄せようかとこの映画を見直したのであるけれど、手繰り寄せた思い出は必ずしも楽しいものばかりではなかった。オリンピックを一つの大きな契機として経済復興もますます軌道に乗りそうだし、日本の獲得した16個の金メダル(米国、ソ連に次いで3位!)によって国家的威信と国民的自信も取り戻せそうだし、日本の未来は明るいと多くの人たちが希望を抱いていたあの頃。でも、選手たちの未来はどうだったのだろう。オリンピックで活躍したことや注目されたことがその後の幸福な人生を保証してくれるとは限らない。自ら命を絶ったのは円谷幸吉だけではない。依田郁子も猪熊功もである。この2人の死の原因はオリンピックと無関係であるにしても、オリンピックでの活躍が彼らの人生を支えてくれなかったことは確かである。大松博文参議院議員になったのはよかったのか? 飯島秀雄がロッテに入団したのはよかったのか? アントン・ヘーシンクがプロレスラーになったのはよかったのか? 東京オリンピック、栄光と挫折の始まり!光と影の祭典!

 

森会長辞任だが

 東京オリンピックパラリンピック組織委員会森喜朗会長がようやく辞任することになった。なんでもっと早く辞めなかったのか、辞められなかったのか、辞めさせられなかったのか。辞めることは決まった今でも新しい会長を誰にするかをはじめとして問題は山積。森氏辞任は問題の決着であるとともに始まりでもある。森氏の財界やIOCとの太いパイプとか、これまでの功績とかを評価すべきだなどという煮え切らない議論が相変わらず幅を利かせている。どんな功績があったのか私などは知る由もないが、たとえ多大な功績があったとしても今回の発言はそれでもって帳消しにできるようなものではないだろう。発言と功績を切り離すようなご都合主義は通用しない。それと、このような功績論による森氏免罪論のほかに、別の理屈による森氏擁護論もあって、私はその理屈のこじつけ方が気になっている。
 例えばブラマヨの吉田はテレビ番組で次のように言った(以下「スポニチ」)。「僕は『そんなことないよ、男性でも話長い人いるし、何言ってはるのかな?』とは思いましたけど『差別だ!』とかはいかなかったです」「そのあと(森会長は)五輪の女性関係者はしっかり話すし、女性の言うことはいつも的を得ているともおっしゃってる。そこは(テレビでは)全然流れない」「その部分な〔は、の誤記か?〕なしで、おかしい、辞めろ!ってなるのはちょっとコロナのイライラをぶつけてもうてるかなと思う」。
 さらに、お笑い芸人の小籔千豊のテレビ番組での発言(以下「東スポ」)。「一部の発言を切り取って、印象を強めようという報道は別に今回だけでない」「僕も最初ネットかなんかで文字見たとき『あ、えらいこと言いはったな』と思ったんですけど、全文読んだら、多分みんな印象代わると思うんですよ」「別に今回だけじゃなくて、どっかの市長の発言も切り取ってバン!って出たら『えらいこと言うたんやな』と。でも全部のこと見たら『そらしゃあないわ』って人、多かったと思うんです。変な発言したから『おい責任とれ! 辞めろ!』っていう空気にするなら、変な切り取り方して、後任決まらへんような状態にした報道の仕方をした人も、辞任とかせなあかんのちゃうかなと」。
 この2人に共通する論理。第一印象では森発言に違和感を持った。しかし、発言の全体を見ると女性差別発言と決めつけることはできない。女性を認めるとも言っているし、特に問題視するべきことを言ったわけではない。女性差別ではないし、しゃあない、という程度のこと。むしろ、女性蔑視だ、差別だと騒ぐほうにこそ問題がある。今回の騒ぎの原因はコロナであり、偏った報道で印象操作をするメディアである。
 なるほど。では、発言全体を見てみよう。以下「スポニチ」掲載の【3日のJOC臨時評議員会での森会長の女性を巡る発言】
 「これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います。
 女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。
 私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。」
 なるほど、なるほど。「テレビがあるからやりにくい」「あまりいうと新聞に悪口かかれる」なんて、森さんは自分の発言が物議をかもすかもしれないと自覚していたことがよく分かる。「文部省がうるさくいう」から仕方ないが、できたら女性理事は少ないほうがよいとおっしゃっている。競争意識の強いのが女性の優れているところなどと、女性を一般化して褒めているとも貶しているともわからない言葉を枕に振りながら、女性を増やしたら発言時間を制限する必要があるというのが言いたいこと。それも出所不明にして自分の責任を回避しつつ。そして最後の、組織委員会の女性云々の弁。ブラマヨ吉田氏はこの部分をもって森擁護論に立っているのだが、私に言わせればまったく逆。この部分こそ極め付きの女性差別発言。「競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々」は「わきまえておられ」「お話もきちんとした的を得」ていて役に立つから認めると言っているのであって、それ以外の女性はわきまえがなくてダメだと言っているのである。世の大多数の女性は国際的に大きな場所など踏んでいないだろう。森氏にとってまともな女性は例外的なのである。さらに言うと、「欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになる」と迷惑そうに付け加えているのを見ると、森氏がほんとうに組織委員会の女性委員を認めているのかも怪しいものであると言わざるを得ない。
 今回の森発言が問題になり批判されたことをコロナのせいにしたり、メディアに責任をなすり付けたりするのは完全なる論点のすり替えに他ならない。一般論としてなら、メディアが情報のすべてを伝えずに一部分を切り取って、興味本位に報道することもないとは言えない。むしろ、よくあることかもしれず、それに対して私たちは常に用心してかかる必要があるだろう。しかし、今回の問題は東京オリンピックパラリンピック組織委員会森会長の発言であって、コロナ禍による国民の気持ちの問題でもメディアのあり方でもないのである。森発言が正しく伝えられていないと考えるのであれば、小藪氏はテレビで発言する機会を与えられているのであるから発言内容の全容を正しく伝え、そのうえでメディアを批判するなり森氏を擁護するなりしたらよいのである。
 それにしても、組織委員会はトップに元総理大臣とか、そんな人物を据えないことには機能しないのか。そこまでオリンピックは政治と金に絡めとられてしまっているのかと、今さらながらではあるが、考え込んでしまう。

女性蔑視の言葉

  東京オリンピックパラリンピック大会組織委員会森喜朗会長が女性蔑視発言をしたと報じられている。日本オリンピック委員会JOC)の臨時評議員会での発言。要点は「日刊スポーツ」によると以下のよう。「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「女性は競争意識が強い。誰か手を挙げると、自分も言わないといけないと思うんでしょうね」「女性を増やす場合は発言の時間もある程度は規制しておかないと、なかなか終わらないので困る」。そして「組織委にも女性はいるが、みんなわきまえている」「国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりですから、お話も的を射たご発信をされて非常に我々も役立っている」。
 これらの発言は、女性を一般化して会議能力のなさをあげつらい、邪魔者扱い無能力扱いしている点で女性差別であることは明白。最後の発言も決して女性を評価しているのではなく、例外的にまともな女性もいると言っているのであってやはり女性蔑視。森氏は多分、次のように弁解するのではないか。男性と女性を比べての一般的傾向として申し上げたまでで女性蔑視や差別を意図したものではない、と。もし違ってて、森氏が素直に謝罪したら、森さん、あなたの人間性を見くびっていたことになり、ごめんなさい。
 話は飛ぶが、女性蔑視ということで最近気になったごく短い言葉がある。駒沢大が最終区間創価大に逆転優勝した箱根駅伝。駒沢の監督が伴走車から「男だろ」と叱咤激励したとか。今年に限らず、監督の好きな名セリフであるらしいが、これは、女子選手には前を行くランナーに追いつき追い越すだけの力もガッツもない、お前は男だからできる、やれ、という意味であるとしか私には理解できない。これって女性蔑視でしょう。そんな深い意味はなくて、たんに選手を励ますだけのエールに過ぎないのだから目くじらを立てるほどのことでもなかろうという向きもあるかもしれないが、私はとても気になる。
 話は戻って森氏だが、彼は東京五輪を開催する姿勢を崩していないことが一貫して報じられている。この2日にも自民党の部会で「私たちは必ずやる」「やるかやらないかという議論ではなく、どうやってやるのかと。この際、新しい五輪を考えよう」と改めて意欲を示したのだとか。今の日本で、東京五輪開催が可能と本気で考えている人はひとりもいないと私は思っていた。開催を口にする人でも立場上中止を言えないだけであって、落としどころを模索しているはず。最後の最後には「断腸の思いで中止やむなきにいたり」とでも言う覚悟を固めているのだろうと思っていた。しかし、ひょっとして森氏だけは例外かもしれない。森会長、しっかりしてよ。

国会議員の離党と議員辞職

 コロナ緊急事態宣言下で深夜まで銀座のクラブを訪れていた問題で自民党の松本、田野瀬、大塚の3議員が自民党を離党することになったいきさつが報道されている。「産経新聞」によれば、「これまで〈1人で行った〉と説明していた松本氏は後輩を守るために嘘をついたことを認め、結果的に自民の傷口を広げた。国会で野党から追及を受ける菅首相にとっても大きな打撃となる」。
 離党という形でちゃんと責任を取ったことになるのかについては多くの人が疑問ないし批判を持っている。私も、これで幕引きはおかしいと思う。同じように銀座のクラブで深夜まで過ごした問題では公明党の遠山議員が昨日議員辞職届を提出した。この人の場合は、2019年の政治資金収支報告書にキャバクラなどの飲食費計11万円を計上したことも発覚したのも併せて、より罪が大きいのかもしれないし、公明党を支える創価学会への配慮もあっての判断かもしれない。とはいえ、いちおう筋を通したと言えるだろう。
 自民党の3人(正確には元自民党の3人だが)にも筋を通してほしいものである。この人たちが離党することの理屈は何なのだろう。私が思いつくのは2つ。ひとつは、党に迷惑をかけたことの謝罪。もうひとつは、自分が自民党員として働くには資質なり能力なり人間性なり、なんらかの点でふさわしくない人間であったとの判断に至りましたという意思表示をするということ。この2つではないか。それを受けて自民党の側では、私どもはこのような不祥事を許すつもりはありません、けじめを付けましたよ、という姿勢を取ることができる。しかし、離党はあくまで自民党との関係における問題処理に過ぎない。離党という行為は国民との関係をなおざりにした行為でしかない。国民との関係は何によってかというと、それは国会議員としてであって自民党員としてではないのである。その意識が欠如している。いくら深々とカメラの前で頭を下げようが、この人たちは国民に向かって「心よりお詫びを申し上げる」つもりはないのである。会見する3人の後ろに貼ってあった自民党のポスター「国民のために働く」ってまさしくブラックユーモアとしか見えない。「国民のために働く」資質と人間性を欠いていたことを反省して潔く議員辞職していただきたいものである。
 ついでにもう一つ気に掛かったことを書いておきたい。「産経」記事は3議員の関係について「松本氏と田野瀬氏、大塚氏の仲の良さは永田町では有名で、頻繁に酒席を共にしていた。田野瀬氏は昨年9月に副大臣に就任する前まで国対副委員長を務め、大塚氏は松本氏を〈兄貴〉と慕っていた。松本氏も2人を高く評価するなど、深い信頼関係が築かれていた」と紹介し、クラブに行ったのはひとりでだったという松本議員の嘘についても「ある党幹部が〈松本氏は、一緒にいた人をかばったんだろう〉と沈痛な面持ちで語った」と述べている。記事はさらに「田野瀬氏も記者団に〈松本氏が私たち2人をかばおうとしているのを知っていた。心苦しかった〉と釈明した。一連の危機管理上の失態が傷口を広め、党全体のイメージを悪化させたといえる」と続く。そして最後に「首相は1日、官邸を訪れた田野瀬氏を厳しく叱責したうえで、文科副大臣を更迭する意向を伝えた。党関係者は〈重要法案を審議する大事な国会中に足を引っ張るとは何事か〉と語気を強めたが、自民党全体の〈気の緩み〉が印象づけられたのは間違いない。公明党遠山清彦衆院議員の議員辞職と合わせ、秋までに行われる衆院選に向け、与党は抜本的な戦略の見直しを迫られる」と締めくくっている。
 この記事の要点は次のように読み取れる。今回の問題の発端は兄貴と弟みたいに仲のよい3人の議員の失策。その背景にある自民党の気の緩み。傷口を大きくした危機管理上の失態。難しくなる与党の国会対策。秋の総選挙までに必要となった抜本的な戦略の見直し。なるほど、これが実態なのかもしれない。政局とはそういうものかもしれない。その点はよく伝わってくる。でも、と私は考え込む。そこで終わっていていいのか。問題はそんなことなのか。問題の根本は、国民を裏切り続ける政治のあり方なのではないか。そういう政治を批判的に見る視点が、新聞に限らずマスメディアには必要なのではないか。その視点を持たないと報道は政局の楽屋話で終わったり、当たり障りのない政府広報みたいになってしまう危険があるのではないか。今回の記事にもそんな危うさを感じる。もちろん、政治家の失策を報道する記事で政治と国家を大上段に振りかぶって論ぜよと求めるつもりはない。しかし、その失策の背後にある政治のゆがみを見つめる視線は常に必要なのではないか。もちろん、現在の政治が歪んでいないと考える人にとってはそんな視線は問題となりえないけれども・・・

プロ野球の記憶

 最近はスポーツにおおむね興味がなくなって、とくにプロ野球に関しては完全に無関心状態。テレビ中継を見ることも絶えて久しいし、どのチームにどんな選手がいて誰が監督といったことについても全く無知である。しかし振り返ってみれば、子供の頃はそれなりに熱中したものだ。
 巨人ファンだった。その理由としてまず考えられるのは、最初に球場で見た試合で巨人が連勝したからという単純明快なもの。小学4年生ぐらいだったか、父親に連れて行ってもらった後楽園球場。当時は一日に2試合同じチームが対戦するダブルヘッダーがあり、それに巨人が連勝した。この時、巨人は強いチームというイメージが私の頭のなかに植え付けられたのはまちがいない。でも、それが巨人ファンになった本当の理由かといえば、そうでないような気もする。この時の対戦相手は国鉄スワローズ。もし国鉄が2連勝していたら国鉄ファンになっただろうか。なったかもしれないし、ならなかったかもしれない。
 私の後楽園体験は1950年代の終わり頃だったが、それに続く60年代は、読売テレビ読売巨人軍の試合をせっせと放映していて、セ・リーグの他の球団は巨人と試合をするとき以外はあまり写らない。もちろん他の局にも野球中継はあるのだけれど専用チャンネルを持っている(と考えてよい)巨人の露出度にはかなわない。パ・リーグの球団となればテレビに登場するのはもっと少なかった。いきおい、パ・リーグよりセ・リーグに人気がかたより、球団では巨人に人気が集中することとなった。それに輪をかけたのが長嶋、王といったスーパースターの活躍であったと言えるだろう。子供の好きなものは「巨人・大鵬・目玉焼き」などと言われた60年代は巨人の黄金時代で、川上監督の下、向かうところ敵なし。野球で巨人、相撲で大鵬を応援するのは大げさに言えば当時の少年の宿命みたいなものであった。私が巨人ファンになった理由としてはダブルヘッダーの結果よりむしろこちらのほうが大きかったかもしれない。
 私が初めて後楽園でダブルヘッダーを見た時には長嶋も王もまだ入団していなかった。その時のメンバーで今なお覚えているのは十時、与那嶺、坂崎、宮本の4人。その時誰がどんなヒットを打ったとか、どんなプレイをしたかなどは覚えていないし、その後どんな活躍をしたかも今はほとんど思い出せない。なのに、名前だけがずっと記憶に残っていて、いつもこの4つの名前がセットになって出てくるのである。このうち一番有名なのは与那嶺で、彼についてはその後のことも多少知っている。現役としても活躍したし、引退後もいろんな球団でコーチを務め、中日ドラゴンズの監督もやった。有名にならなかったのは十時か。「ととき」と読む。坂崎についてネットで調べたら、浪商の強打者であって、55年春の甲子園大会決勝、桐生高校戦では2打席連続敬遠されたという記述があった。5打席連続でないにせよ松井秀喜の先輩ということか。プロでも活躍し、王、長嶋とクリーンナップを組んだこともある。やっぱり強打者だったのだ。宮本について思い出すのはとても些細な事。確か大洋ホエールズの島田だったかに巨人がもう少しでノーヒットノーランを喫するという試合があった。その数日後、テレビ中継で解説者が、宮本はあの夜ひとりで黙々と素振りをしていましたと言うのを聞いて、この人はまじめな選手なんだと妙に感心した。
 当時の監督は水原。巨人の歴代監督では川上がひときわ大きな存在だろうが、私はその前任者であった水原のほうがなぜか印象に残っている。それは多分三原監督の西鉄ライオンズにこっぴどくやられたせいなのかもしれない。とりわけ58年の日本シリーズ。巨人3連勝の後の4連敗。伝説となったライオンズ稲尾投手の4連投4勝。現在なら到底あり得ない投手起用である。しかもほとんど全部を一人で投げたのである。驚き呆れるばかり。
 74年に長嶋が、80年に王が引退し、その間の78年には例の江川騒動があった。私の心も巨人から離れてゆき、同時にプロ野球への興味も薄れていく一方であった。江川騒動でスケープゴートになった小林が巨人相手に投げ、勝利投手となった試合を甲子園の一塁側で見たことがあるが、これは、その日一日限りの判官びいき。それまでもそれ以降も阪神を応援したことは一度もない。応援するチームがないとプロ野球なんて面白くもなんともない。そんなものである。ほかのプロスポーツも似たり寄ったりだろう。80年に原が巨人に入団したが、私が彼についてよく覚えているのはプロでの活躍ではなくて、高校野球で彼と対戦した高校の投手が、どこに投げても打たれる気がして怖かったと言っていたことである。
 球場で最後に見たプロの試合は6年前の札幌ドーム、日ハム対楽天。どちらかのファンでもなく、選手といえば大谷と中田しか知らなかった。1週間ばかり目的もなく札幌に滞在していた折に、夜、何もする事がなくて時間つぶしに出かけた。入場料が平日のシニア割引(半額だったかも)でなんだかとても得をした気分になったこと、ペットボトルのお茶を持っていたら入口で紙コップに入れ替えさせられたこと、私の前に座っていた夫婦らしい二人連れがやたらにビールを飲んでいたこと、楽天の投手陣がだらしなかったこと、レアード(それまで知らなかった日ハムの選手で、寿司を握るポーズで有名らしかった)がホームランを打ったこと。記憶にあるのは以上である。多少興味のあった大谷は出場せず、見られなかった。これが球場で私の見た最後のプロ野球となるはずである。

音楽ドキュメンタリー映画3本

 2カ月近く前、Fire TV Stickを購入。映画はパソコン画面でも見られるが、私は大きなテレビ画面で見るほうがしっくりいく。なによりも定額かつ低額で見放題というのがいい。未見で、かつ興味を引く映画は山ほどあるし、テレビのドキュメンタリーにも見ておきたかったというものが少なくない。こちらの都合で一旦停止できるのもありがたい。途中で心置きなくトイレに立てるし、昼御飯で中断しても、スーパーに買い物に出かけても問題なし。見たところから再生可能。ということで、ほぼ毎日映画を見ている。
 画面の視聴リストには推理もの、刑事もの、スパイもの、地球危機ものがいっぱい並んでいて、最初の1カ月ほどはそれらを手当たり次第に見ていたが、少し飽きてきたのでこの1週間は違うジャンルを探してみた。そして、音楽関係ドキュメンタリーを3本、男の友情ものを3本見た。『私は、マリア・カラス』『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』と『最強の二人』『最高の人生の見つけ方』『ヴィンセントが教えてくれたこと』。今日はとりあえず、音楽関係ドキュメンタリー3作品についてのちょっとした感想を記しておこうと思う。

『私は、マリア・カラス
 マリア・カラスの演技力は認めるとしても(オペラ歌手として演技力は重要だと彼女自身この映画のなかで語っている)、私は彼女の声があまり好きでない。モンセラート・カバリエならうっとりと聴き惚れることがあるけれど、カラスにはそういう経験はない。そして、この映画を見ていて気付いたのはプロポーションがよくないということ。ソプラノ歌手にはプロポーションをうんぬんするもおろか、肥満体系の人たちがあふれている。若い頃はスマートでもすさまじい中年太りをする人も稀ではない。カラスの場合はそういうのでなく、体躯があまり豊かでなく、むしろ貧弱だということである。比較上顔が大きく見え、さらにその各部分、つまり目と口と鼻が大きくて、とても目立つ。でも、このことは欠点ではなく、むしろ長所だったのではないか。オペラではたっぷりとした衣装を身にまとうことが多いので、体躯の貧弱さは欠点にはならない。目鼻立ちがはっきりしていることは舞台上で演技をするにはおおいなる利点だったのではないか。大富豪オナシスとの恋愛はどこまで真剣だったのか、またオナシスがどこまで本気だったのか、霧の中。

パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』
 フラメンコギターを趣味としてきた私にとってパコ・デ・ルシアは身近で、かつ、とても遠い存在。演奏会にも行ったし、CDも7~8枚持っていて、よく聞いたし今も聴く。とくに「アルモライマ」が私の大好きな一曲。私のギターの師匠がコピーした彼の曲を練習したこともある。しかし、パコのように弾けるなんて絶対不可能。そんな願い事は不遜というもの。次元が違い過ぎる。あちらは宇宙人、こちらは地球人。せめて彼の半分のスピードでいいから指が動いてくれたらという願いさえも叶わなかった。この映画を見て、改めて彼のすごさを認識。と同時に意外だったこともある。演奏に対して彼が神経質であったこと。コンサートの始まる前、1時間は独りでいることを望み、心を落ち着け、爪の手入れなどにも最新の注意を払っていたことを初めて知った。数分前に会場にやって来るなりギターを取り出し、ちょこちょこっとチューニングを済ませ、ステージに上がってバリバリ弾き始めるという、私が勝手に抱いていた、演奏に何の困難も感じない自由闊達なギタリストというイメージとはまったく違っていた。彼も地球人だったのか。それにしても、インタビューに応じる彼の老け具合ときたら。すっかりお爺さんになってしまっていた。亡くなったのは2014年、66才だったから、それほど老け込む年ではなかったはず。演奏家として常に先頭を走っていなければならないことには人知れぬ苦労があったのかもしれない。

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス
 映画は2016年、カストロ死亡のニュースが流れるところから始まる。この年、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」もさよならコンサートツアーをし、グループとしての幕引きをしたのである。とは言うものの、1997年のアルバムで歌い、1999年の映画で姿を見せていた演奏家の多くは既に亡くなっている。コンパイ・セグンド(1907年生まれ)をはじめとする中心的なメンバーは既に高齢であったから、それも当然なのであるが、泣きながら棺を見送る人々の様子からは彼らが多くの人々から敬愛されていたことが伝わってくる。なんといっても一番存在感のあるのは歌手のイブライム・フェレール。引退後、靴磨きなどで生計を立てていた彼は、1997年のアルバムでよみがえる。不死鳥のようにと言いたいところだが、昔の彼は決して歌手として優遇されていたわけではない、トップアーティストと認められていたわけではなかったことがこの映画からは読み取れる。だから、晩年の8年ぐらいが彼の輝いていた時期。70歳を超えた彼が舞台上で歌い、ステップを踏む姿は素晴らしい。聴衆もまるでロックコンサート顔負けの熱狂ぶり。彼の言葉「俺は遅咲きだが、人生の花は誰にでも訪れる」。2006年8月3日最後のコンサートでは2曲歌うごとにスタッフが酸素吸入をしなければならなかったとか。その3日後8月6日に亡くなった。
 キューバ音楽の黄金時代は1950年台であったとか。しかし、それはバティスタ独裁軍事政権の時代でもあった。米国大資本が農場を支配して人々を搾取し、ハバナにはマフィアがホテルやカジノを作り、キューバは米国にとって宝島であり、一大リゾート地であった。映画『ゴッドファーザー第2部』には、キューバの利権をめぐってのマフィアの抗争が描かれている。アル・パチーノ扮するマイケルが駆け引き相手であるマフィアの大物の誕生日に招待されてハバナに出かけ、その滞在中にちょうどカストロ率いる反政府軍バティスタ政権を打倒、米国人たちは先を争ってキューバを脱出するというエピソードもある。1950年代はキューバという国、キューバの人々にとってまさしく暗黒時代であった。しかし、同時にキューバ音楽の黄金時代!貧困層出身で音楽の才能のある人間はホテルやクラブで演奏する機会に恵まれ、ある意味でいい時代であったのではないか、おそらく。革命によって大切な客である米国人を失った彼らは収入を失い、職を失うことにもなる。個人的な事情だけでなら革命を恨んでもおかしくないところだ。新しい職場を求めて米国に渡ることだって可能性としてありうる。実際、この映画に登場する唯一の女性歌手(後で加入した若い歌手は別として)であるオマーラの姉はマイアミに移住している。この姉は歌う場を求めての移住ではなさそうだが、演奏家のなかには歌ったり踊ったりする場を求めて移住した人もいたに違いない。でも、この映画に登場する人たちはキューバに残った。そして40年後にアルバムと映画の製作に参加した。彼らは革命後のキューバに対しておおむね肯定的、共感的であるように見える。
 映画は終わり近く、米国とキューバの国交正常化の一環としてオバマ大統領が「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」をホワイトハウスに招待した映像、オバマキューバを訪問した映像を流し、そして、最後にハバナにおけるさよならコンサートの模様を映し出す。コンサート会場の名はなんと「カール・マルクス劇場」。まさか自分の名を付けられらたホールでキューバ音楽が21世紀の初めに演奏されるとはマルクスも予見していなかったに違いない。

菅首相がストレスだとか

 前に首相がメディア関係者と頻繁に会食するのは大問題ではないかと書いた。問題であるというのはメディアにとって自殺行為ではないかという意味である。それで、どの新聞や放送局が首相との食事に同席することが多いのか今年はちょっと見てみようというわけで、1月になってから首相の一日を記録した記事(朝日「首相動静」とか産経「菅日誌」など)を意識的にチェックしてみた。現在までの結果は空振り。首相が会っているのは秘書、閣僚、役人、諮問委員会の面々などばかりで、これは公的な仕事。一緒に食事をした民間人は1月6日の朝食でメディアアーティスト(て、どんな仕事の人?)落合陽一氏、産経新聞新プロジェクト本部次長山本雅史氏の2人だけ。あとは、森田千葉県知事と一度昼御飯を食べたぐらいで、それ以外に誰かと会食したという類の話はなし。なるほど、自粛しているのだと理解した。

 すると昨日、「読売新聞オンライン」に首相が就任以来働きづめで疲労とストレスが蓄積しているという記事が出た。1月4日の記者会見で衆議院の解散時期の可能性について「秋までのどこか」というべきところを「秋のどこか」と言い間違えたり、先日は、「緊急事態宣言」を適用する福岡県を静岡県と読み間違えたりして、首相大丈夫かと危ぶむ向きが政府内にも出てきているらしい。しかも、これに会食自粛がおおいに影響しているらしいという。会食を自粛するとどうなるかというと、首相がストレスを抱えこむ。さらに首相の情報収集にも困難が生じる。会食自粛によって「集める情報が減れば、判断に影響しかねない」と懸念する声が自民党ベテラン議員から出ているとか。会食が首相にとって重要な仕事であることがよく分かりました!

 現在、新型コロナ感染第3波の鎮静化するする見通しは立っていない。国民に不要不急の外出自粛を呼びかけ、飲食業に時間短縮を要請し、テレワークの必要性を強調するだけでいいのか。「緊急事態宣言」を出せばよいというものではなかろう。「コロナ対策特別措置法」に罰則規定を設けるというのは方向が違うのではないか。罰則というやり方が気になるし、効果も期待できないのではないか。効果が出なければさらに罰則を強化しようという方向に向かわないとも限らない。今必要なのは、これをやればコロナに勝てるという具体策ではないのか。そのためにも政府に意見を具申している人たちをはじめとする医学の専門家ははっきり意見を言うべきであろう。純粋に医学的見地から言うべきであって、経済活動への影響などを忖度すべきではない。純粋に医学的な意見を受け、それを判断して政策化するのは行政と政治の仕事である。その際に経済その他の要素が勘案されればよいのである。政策的なバイアスのかかっていない専門家の意見。これこそ今、菅首相に必要な情報ではないのか。これなら会食しなくても収集できるのだけれども・・・

 あと、最近ちょっと面白いと思ったのは、菅首相の言動を「鬼滅の刃」ならぬ「自滅の刃」だと、ある自民党幹部が揶揄したという記事(「東洋経済ONLINE」)。自民党議員のなかにもちょっとしたセンス(?)の持ち主がいたようだ。それにもうひとつ。菅首相はメモを棒読みするだけで自分の言葉で語らない。そのうえ読み間違える。さらに、「・・・と思います」といった調子で「思います」を多用して言い切ることをしない。これでは国民に訴える力がない、もっと自分の言葉で自信をもってしゃべるべきだといった批判がある。確かに「思います」は控えたほうがよいと思うし、読み間違いは駄目だけれど、メモを棒読みは構わないのではないか。西洋から伝わったもので日本に根付かなかったものに鍵の文化と弁論術があるという説を昔どこかで読んだ覚えがあるが、鍵はともかくとして弁論術は依然として私たちのものになっていない。オバマアメリカ大統領のような雄弁(トランプ大統領は違うが)を日本の首相に求めるのが無理というもの。それにヒトラーのような例もあるし、必ずしも原稿なしに滔々と自説を述べるのが立派な政治家であると考えなくてもいいのではないか。自分の言葉で聴衆を魅了する日本国総理大臣は将来に期待することとして、とりあえず今必要なのは的確な情報収集に基づいた適切な政策を立て、それを記したメモを正しく読む首相である。