雪の日の雪の詩鑑賞

 この年末は近畿でも北のほうはよく雪が降っている。滋賀でも大津坂本あたりではうっすらと地面が白くなる程度だが彦根米原では数十センチの積雪。年末の掃除は暖かい日を選んで少しずつやって今はすっかり終えているし、競馬の有馬記念もボートレースのグランプリも終わったし(グランプリ優勝戦はとんでもないレースだった)、騒がしいばかりのテレビ番組を見るのもアホらしいし、今年の回顧番組も楽しいことはないし、というわけで、つれづれなるままに身近にある詩集から雪をうたった詩をいくつか探し出して読んでみた。まずはなんといっても三好達治のとても有名な「雪」。

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

 たった2行。これ以上あり得ない単純な構造の詩。太郎と次郎を入れ替えただけの詩句を2行並べただけ。太郎とか次郎という名前の男の子は少なくとも現代では多くないかもしれないが、太郎次郎は日本の昔を感じさせる古典的な名前であり、民話的な名前となりおおせている。1行目の、太郎、眠り、屋根、雪の組み合わせが民話的世界に私たちを連れて行ってくれる。しかも太郎が2回使われることによりリズムがしっかりときざまれ、物語性も強くなる。これが、「太郎を眠らせ、その屋根に雪ふりつむ」では駄目である。そして2行目。ここで次郎が加わることによって世界が一挙に拡大される。たんに1人が2人になったということではない。これは、雪のふりつもった屋根の下で静かに眠っているのは太郎だけではなく次郎もですよ、という意味ではないのである。太郎次郎と続くことによって、雪の降りつもる屋根の下で眠るすべての子供へとイメージは広がり、「○○を眠らせ、○○の屋根に雪ふりつむ」が読む人の心のなかで無限に繰り返されることになる。
 山村暮鳥に「風景」という詩があって、これは第1連は「いちめんのなのはな」を7行繰り返し、8行目が「かすかなるむぎぶえ」、9行目にもう一度「いちめんのなのはな」となる。第2連も同じ構造で8行目だけが「ひばりのおしやべり」となり、あとはやはり「いちめんのなのはな」の繰り返し。第3連も8行目が「やめるはひるのつき」で、あとはすべて「いちめんのなのはな」。一面に咲く菜の花を同じ詩句の繰り返しによって視覚的に(あるいは聴覚的にも)表現しようとしたのだろうが、このようなエキセントリックな試みはあまり上手なやり方ではないのではないか。それに比べて達治の「雪」はたった2行で大きな広がりを生み出すことに成功しており、じつに巧みな詩と言えよう。また、これは2行だからいいのであって、「三郎を眠らせ、三郎の屋根に雪ふりつむ」などと続けたらつまらない詩に堕したところである。
 降り積もる雪はしかし、常に人間とその生活を優しく包み込んでくれるものとして表象されるわけではない。次の「雪はふる」も三好達治の作であるが、ここには平和な人間の生はもはや存在しなくなっている。「雪」が収められた詩集『測量船』が刊行されたのは1930年で、「雪はふる」が発表されたのは1946年のこと。そのあいだに三好達治の人生にもいろいろあった。それ以前に何もなかったというわけではないが、大きな出来事はこの時期のことと言ってよかろう。雪は今も昔も同じように降るが、それを受けとめる人間と人生は変わるので、雪もまた違ったふうに感じとられ、違った意味を与えられる。安住の地(屋根はそのシンボルでもある)を失い、過去を振り返るなと自らに呼びかける詩人の肩に降る雪は、生を肯うものではなく死へといざなうものである。死を祝福する雪。

海にもゆかな
野にゆかな
かへるべもなき身となりぬ
すぎこし方なかへりみそ
わが肩の上に雪はふる
雪はふる
かかるよき日をいつよりか
われの死ぬ日と願ひてし

 雪は屋根にも降るし人の肩の上にも降る。そして、さまざまなものの上に降る。中原中也は「汚れつちまつた悲しみに/今日も小雪の降りかかる」とうたった。「汚れちまつた悲しみ」の上に降るには確かに「小雪」がふさわしい。次に挙げる高野喜久雄「雪よ 小止みなく」の雪は激しく降り積もる雪で、すべての上に降る。   

降り積もれ 降り積もれ
ぬかるみの泥の道の上
立ち枯れた木々 向日葵の上
腐った犬の腹の上

降り積もれ 降り積もれ
踏まれ 汚れた雪の上
歔欷の上 嘘の上 あやまちの上
抱きあえぬ恋の上

降り積もれ 降り積もれ
希みつつ のぞみ失った心の上
祈りつつ 神を見なかった心の上
凡て 自ら消え入ろうと願うもの達の上

 ここで雪は降るのを眺められるのではなく「降り積もれ」と呼び掛けられる。第1連では、自然の上に降り積もり、ぬかるみ、枯木、向日葵だけでなく、死んで腐敗した犬のようにおぞましいものの上にも降り積もって、すべてを覆い隠せと呼び掛けられる。第2連では、愚かにも悲しい人間の営みが対象となる。すでに降った雪は人間が踏んで汚してしまったが、まず、その穢された雪の上に降れ。それから、歔欷、嘘、あやまち、成就しない恋の上に降って人間世界を覆い隠せ。そして第3連では、拠り所を失った人間の心の上に降れと呼び掛けられ、雪は形而上的な存在になる。最終行の「凡て」はどうかかるのだろうか。「自ら消え入ろうと願うもの達すべて」なのか。そう読めば、自ら消え入ろうと願わないもの達もいて、その上には雪は降らなくていいということになる。でも、どうもそういうことではなさそう。この世界の「凡て」は自ら消え入ることを願う存在なのであり、雪はその「凡て」の上に降り積もれと詩人はうたっていると私は理解した。
 しかし、いくら呼び掛けても雪がすべてを覆い隠してくれるとは限らない。次に挙げる会田綱雄「一つの序詩」は、雪がすべてを覆い隠してくれるとは限らないことを明らかにする。

雪ふり
雪つもり
わたくしはわたくしの
あなたはあなたの
火を掻き立て

わたくしはわたくしの
そして
あなたはあなたの
無を見すえる

    うずくものは
    わたくしたちがそれを生きてきた
               夢であり
    わたくしたちをささえるものは
    生傷である

雪ふり
雪つもり
足跡はきえない

 どれほど雪が降り積もろうとも消えない足跡がある。それは例えば「雪をふみいでてゆきしが白骨となりて還れり春あさき家に」(小泉苳三)と戦死した息子を悼む歌にあるような足跡であるかもしれない。父親の心のなかでは、息子が雪を踏みしめて戦地へと赴いたあの日の足跡は消えることがないだろう。もちろん、人間の悲劇にはいろいろな形があり、心の傷もさまざまである。わたくしの火はわたくしの火であり、あなたの火はあなたの火、わたくしの無はわたくしの無であり、あなたの無はあなたの無である。消えない足跡もさまざまである。戦死した息子の足跡とは限らない。心の傷はさまざまに疼く。「疼く」という語に関して注目したいのは、この詩で疼くのは夢であり、私たちを支えるのは生傷であるという逆説である。なるほど、そう言われればそうとも言える。見果てぬ夢はいつまでも疼くし、心の生傷は痛むことによって、私たちが生き続ける支えになっているのかもしれない。私たちは心のなかに火を掻き立て(このイメージは雪の日に暖炉やストーブの火を掻き立てることとダブっている)、無を見すえて生きるしかない。無は消えない足跡となって心のなかにいつまでも残る。無であるから消すことはできない。
 さて、では最後に少々長いが分かり易い詩を1つ。田中冬二「雪の日」は雪が何を覆い尽くすかなんてことには頓着しない。太郎次郎も、かへるべもなき詩人もいない。腐った犬の腹も、自ら消え入ろうと願うもの達も、消えない足跡も存在しない。しんしんと降る雪と静かに暮れてゆく町だけがある。

雪がしんしんと降つてゐる
町の魚屋に赤い魚青い魚が美しい
町は人通りもすくなく
鶏もなかない 犬も吠えない
暗いので電燈をともしてゐる郵便局に
電信機の音だけがする
雪がしんしんと降ってゐる
雪の日はいつのまにか
どこからともなく暮れる
こんな日 山の獣や鳥たちは
どうしてゐるだろう
あのやさしくて臆病な鹿は
どうしてゐるだろうか
鹿はあたたかい春の日ざしと
若草を慕つてゐる
ゐのししはこんな日の夜には
雪の深い山奥から雪の少い里近くまで
餌をさがしに出て来るかも知れない
お寺の柱に大きな穴をあけた啄木鳥は
どうしてゐるだろう
みんな寒いだろう
すつかり暮れたのに
雪がしんしんと降つてゐる
夕餉の仕度の汁の匂ひがする

 色彩を与えられているのは魚屋の赤い魚青い魚だけで、これはなかなか印象的である。聞こえるのは郵便局の電信機の音だけ。視覚的にも聴覚的にも静かな、絵本にしたくなるような光景(電信機の音はどう表現するか?)である。暮れ方も秋の日のつるべ落としとは対照的に「いつのまにか/どこからともなく暮れる」。すべてが静寂に包まれたなかで山の獣や鳥のことが思われる「どうしてゐるだろう/みんな寒いだろう」。このように詩が童話的世界に漂っているあいだに日はすっかり暮れる。そして雪は降り続いている。詩の最初の句「雪がしんしんと降ってゐる」が繰り返され、雪の一日が穏やかに終わることが確認されて詩は完結するのか、と思いきや、もう1行「夕餉の仕度の汁の匂ひがする」が付け加えられる。そういうことか。しんしんと降る雪の下にあったのは人間のきわめて平凡な日常的営みであったのだ。絵本の世界と童話の世界と人間の日常世界とがひとつに溶け合ってなんだかホッとする。ここでなら人間は悩んだり苦しんだりしなくともよい。暖かい夕餉にありつけるぞ。
以上、窓の外にちらつく雪を眺めながらの雪の日の雪の詩鑑賞でありました。

なぜか山口

 とくに意図はないのだが、今年は2回も山口県に出かけた。春には角島、秋吉台秋芳洞、秋には湯田温泉から瑠璃光寺。昨年の1月には小倉競馬場に行った際に下関に泊まっているので、それも入れれば、この2年間に山口の土を3回踏んだことになる。ちなみに、私が住んでいる京都・滋賀のすぐ隣の大阪にはこの数年間で、新大阪駅構内を乗り換えのために歩いたのを除いては一度も行ったことがない。昔はコンサートを聴きによく行ったものだが、今はとんとご無沙汰しているのが大阪。
 ちなみついでに言うと、旅行会社の旅費と宿泊をセットにした格安切符とかJR西日本の企画切符を使って京都から西へ向かって旅行する場合、京都から新幹線に乗ってそのまま、例えば博多まで行くということができない。新幹線は新大阪からしか利用できなくなっていて、在来線で新大阪まで行って新幹線に乗り換えるという手間を強いられる。これは、新大阪までがJR東海東海道新幹線)、以西がJR西日本山陽新幹線)の管轄であることと関係があるのだろうが、私のように京都から乗る人間にとっては不便。JR全体をカバーしているフルムーン夫婦グリーンパスはそうではなく、京都から乗り換えなしで新大阪以西へも新幹線一本で行けるのではあるが、こちらはこちらで「のぞみ」利用不可というネックがあって、1時間に1本しかない「ひかり」を使わざるを得なくなり(新大阪からだと「のぞみ」に乗れないのは同じだが、「さくら」があるので選択肢は増える)、やや不便。まあ、企画切符は割安になっている分、何らかの不便がつきものということか。
 で、この秋の旅行はJR西日本「西なびグリーンパス」3日間用を使い、京都から在来線、新大阪で新幹線に乗り換えて岡山へ。伯備線で安来まで行き足立美術館を見物、それから松江でお城近辺をぶらつき、小泉八雲の記念館と旧居を見学し、しんじ湖温泉で宿泊。翌日は出雲大社にお参りしてから益田、津和野に寄り道し、湯田温泉まで出て宿泊というルートであった。
 湯田温泉に着いた夜から雨が降り出し、翌日もあいにくの天気。傘を差しながらの散策であったが、印象に残る一日となった。まず訪れたのが中原中也記念館。湯田市街地のど真ん中、中也生誕の地に1994年に開館したこのミュージアムはとても近代的で瀟洒なたたずまい。人間としては決して幸せでなかったが、詩人としてはモダンであった中也を顕彰するにふさわしい建物と言えるかもしれない。入館料330円のところ、70才以上の私は無料。パンフレットまでいただいて恐縮するしかない。2021年2月から22年2月までのテーマ展示は「君に会ひたい。―中原中也の友情」となっていて、中也と交流のあった人たちに関する資料が並んでいる。しばしば気まぐれでわがままでもあった中也の友だちでいることは大変だったろうと私なんかは思うのだけれど、魅力もまた大きかったのかな。小林秀雄河上徹太郎大岡昇平などビッグネーム以外にも様々な人たちが彼の近くにいた。中也自身は孤独をかこつことが多かったが(そんな詩が多い)、いつも誰かが彼の周囲にいたようだし、死後の名声はそういった人達の尽力が大きかったのだと感じさせられる展示であった。もう一度、中也の詩をじっくり読んでから再訪したいと思いながら記念館を出た。
 次に向かったのは瑠璃光寺湯田温泉から県庁前までバスで10分少々。そこから徒歩で更に10分。そぼ降る雨のもとで見る瑠璃光寺五重塔はひとしお鮮やかに輝いて、などと言うつもりは全くない。ほんとうは秋晴れの光の中で見たかった。しかし、雨の中でも素敵な五重塔であった。下がその写真。

f:id:sakamotojiji:20211214091722j:plain

f:id:sakamotojiji:20211214091521j:plain

 今年の春には先にも書いたように、角島、秋吉台秋芳洞を訪ねたのであるが、角島には5年前の夏にも萩から下関へ行く途中で立ち寄っており、今年4月は2回目になる。5年前に見た海の色はコバルトブルーであったけれど、今年はそれほど明るい青色でなく、むしろ藍色というべき色であった。8月と4月の違いか。季節によって海の色が変化するというのは本当らしい。下の写真2枚は5年前の夏、コバルトブルーの海。角島大橋を渡るバスの車内から撮影したもの。

f:id:sakamotojiji:20211214092055j:plain

f:id:sakamotojiji:20211214092117j:plain

 5年前は立ち寄っただけなので、次回来ることがあればぜひ角島大橋を見渡すホテルに泊まろうと思っていた。それで今年の春は西長門リゾートホテルに宿泊した。下がそのホテルから角島大橋をとった写真。一見、海の色がコバルトブルーに見えないでもないが、これは浅瀬だけで、全体はやはり藍色である。

f:id:sakamotojiji:20211214092250j:plain

 今年も5年前も角島へはJRの特牛(こっとい)駅で下車し、角島大橋をバスで渡った。このバスの便がとても少ない。この春、私が利用した交通は次のようだった。行きは、JR山陰線で12時ちょうどに下関発、小串乗り換えで13:56特牛着、14:28特牛駅前発のバスで15:00角島の灯台公園前着。ここまではいいとして、灯台公園前から戻りの次のバスがなんと17:09発で2時間以上ある。灯台に上り、付近を散策するのに30分もあれば十分なことは5年前の経験から分かっていたが、JRとバスの組み合わせとしては他に選択肢がなかった。長時間バスを待つか、それともタクシーを呼ぶしかない。急ぐ旅でもなし、早くホテルに着いてもすることもなし、天気もいいしというわけで、1時間以上バスを待つことにした。他に誰もいないバス停の近くで家内と二人で石蹴りなどするが、爺さん婆さんでは子供ほど夢中になれるはずもなく、すぐに飽きて、へたり込む。これも旅か。
 さて、先日の秋の旅では、瑠璃光寺からの帰路は最初に県庁前から来た道を戻らず、小川(今調べたら「一の坂川」という名前である)沿いにしつらえられた遊歩道があったのでそちらを選んだ。この、よく整備された道を5分ほど行くとバスも通っている広い道路に出てきたが、ウェブで調べると、そこから15分も歩けば上山口駅にたどり着けるらしいことが分かったので、そのまま歩き続け、ちょっと迷いながらも無事に上山口駅に到着。これがとても小さな駅で駅舎もないことにびっくり。市街地の真ん中にあって、近くには日赤病院とか大きな私立学校もあるのに、周囲に数件の家屋とか草地などしか見かけない過疎地域の駅かと見まがう作り。ホームの上にプレハブの屋根囲いと椅子が4脚と切符の自販機だけ。帰宅後調べてみたら、1953年に日赤前仮乗降場として設置されたのが始まりとある。なるほどそういうことであったのかと納得。要するに山口駅のおまけとして1キロほど離れた所にできた駅なのである。現在の1日当たりの乗降客数は130人前後とか。またまた納得。私たちのような観光客が利用するって珍しいことだったのかもしれないと、愚にもつかない感慨をいだく。ともあれ、40分ほど待って次の列車に乗り、山口駅で乗り換え、新山口駅へ。
 京都に帰りついて地下鉄に乗っていると東福寺ライトアップ夜間特別拝観の釣り広告が目にとまった。完全予約制で拝観料3000円。同寺境内の通天橋入場料が通常600円で紅葉の季節は1000円に上がり、これも結構高いと思うが、夜の3000円は高すぎるのではないか。高いと言えば、有名どころでは京都八瀬の瑠璃光院の2000円なんかもそうだと私は思う。窓いっぱいに広がる新緑や紅葉の写真で全国的に知名度が上がりすぎて、思いあがっているのではないか。なんで京都の寺の拝観料はこんなに高いのか。しかも、紅葉の季節などは人があふれかえってゆっくりと景色を楽しむこともできない(ことが多いらしい)というのに。京都を訪れた人たちに対して失礼ではないか。交通費と宿泊費に何万円も使ってせっかく京都に来たのだから2000円3000円の拝観料をけちっても仕方がないという観光客の心理につけ入った商法と言われても仕方がなかろう。その点、瑠璃光寺は無料で五重塔の下まで行けるし、よいお寺でありました。必ずしも、敷地が狭いので入場料を取っても意味がない(外からでも塔は見える)から無料にしているのではないと思う。瑠璃光寺と瑠璃光院。一字違いで大きな違い。また近々山口に行きそうな気がしてきた。

比叡の麓に秋が来た

紅葉が見頃を迎えたので、散歩にカメラを持って出かけました。

坂本界隈には石のお地蔵さんが集められているのをよく見かけます。

f:id:sakamotojiji:20211118215415j:plain

f:id:sakamotojiji:20211118215539j:plain

西教寺日吉大社とは県道47号線が結んでいて、1kmほどですが、県道と並行している山側の道が散策にはぴったり。西教寺の総門を出て右側(南方向)へ200メートルほど行くと、下の標識がその入り口になります。

f:id:sakamotojiji:20211118220719j:plain

すぐにまたお地蔵さんの大群。これが千体地蔵。

f:id:sakamotojiji:20211118221035j:plain

f:id:sakamotojiji:20211118220846j:plain

そのまま進みます。少し高くなっているので琵琶湖の眺望もなかなかのもの。

f:id:sakamotojiji:20211118221333j:plain

10分ほど歩けば下の橋に到着。

f:id:sakamotojiji:20211118221636j:plain

さらに2分ほど歩くと突きあたり。そこを右に行けば日吉大社東本宮、左に行けば県道47号線に出ます。

f:id:sakamotojiji:20211118221850j:plain

突きあたりにある標識。

f:id:sakamotojiji:20211118221925j:plain

もちろん逆に進むことも可能ですが、入口が分かりにくいし、日吉大社の拝観料を収納する小屋も立っていて日吉大社に入るのと区別がつきにくく、西教寺側から歩くほうが便利です。

以下は日吉大社参道の紅葉(撮影2021.11.18)

f:id:sakamotojiji:20211118223459j:plain

f:id:sakamotojiji:20211118223541j:plain

f:id:sakamotojiji:20211118223623j:plain

f:id:sakamotojiji:20211118223721j:plain

 

坂本城の石垣跡が姿を現す

琵琶湖の水位が低くなり、明智光秀が築いた坂本城の本丸石垣遺跡が姿を現した(前回は1994年)というので、撮影してきました。石垣という面影はありませんが、これが本丸石垣の南東の角だとか。場所は、坂本城址公園の中ではなく、その北側になります。(撮影2021.11.15)

f:id:sakamotojiji:20211115191700j:plain

f:id:sakamotojiji:20211115191801j:plain

f:id:sakamotojiji:20211115192813j:plain

f:id:sakamotojiji:20211115193021j:plain

湖岸沿いの自動車道から見たところ。右手奥、人が2人立っているすぐ前の湖岸にあります。

f:id:sakamotojiji:20211115193317j:plain






マキャヴェリ『君主論』を再読して

 マキャヴェリ君主論』はだいぶ昔に読んだことがあるが、あまり印象に残っていない。魅力的な思想とは思わなかったのであろう。先日行われた自民党の総裁選などを見ていると、マキャヴェリズムはいまだに生き続けていて、政治の世界ではなおも実践されているのかもしれないという気がする。それで、にわかにマキャヴェリズムに興味が湧き、『君主論』を本棚から引っ張り出して、ページをめくってみた。マキャヴェリマキャヴェリズムとはどんな思想なのか。たんなる権謀術数とは違うのか。現代でも通用するものなのか。いろいろ疑問は湧いてくるが、ともあれ『君主論』に即してマキャヴェリズムを理解しないことには始まらない。
 『君主論』は26章から成り、各章は数ページから10ページ程度の短いもので、全体としてもパンフレットに毛の生えた程度。重厚な思想書を想像すると肩透かしを食らう。論述も簡単明瞭で、言葉の限りを尽くして論証に論証を重ねようといったところはまったくなく、要点だけを述べ、余計なことは言わない。この点はある種の魅力でもある。簡潔すぎて、ときには意味不明の箇所もあるにはある。前半は主に制度としての君主政体を扱い、後半において君主はどうあるべきかという姿勢ないし心構えが論じられる。いわゆるマキャヴェリズムがもっとも明確に示されるのは後半の15章から19章にかけてである。その核となる考え方を取り出すと以下のようになろう。(私が読んだのは河島英昭訳の岩波文庫。以下はその一字一句の正確な引用ではなく、私がかなり自由に言い換えたものであるが、読み違えはしていないと思う)。
◆君主のあり方を論じるには理想論でなく、現実論でなければ役に立たない。人間がいかに生きるべきなのか(理想)と、今いかに生きているか(現実)とのあいだには大きな隔たりがあり、なすべきことを重んじて、現になされていることを軽んじる者(理想主義者)は破滅するしかない。
◆人間は完全に善なる存在になることはできない。気前のよさ、心の広さ、慈悲深さ、忠義、勇敢、丁重、潔癖、律儀、堅固、重厚、信心深さ、などのよき性質ばかりを身につけることも、それを守り抜くことも不可能である。君主がみずからの地位を保持したければ善からぬ者にもなりえるわざを身につけ、必要に応じてそれを使ったり使わなかったりしなければならない。すなわち、ときには、強欲、冷酷、不忠、臆病、傲慢、狡猾、軟弱、軽薄、不信心などの悪徳も必要となる。
◆君主に必要なのは、よき資質のすべてを実際にそなえていることではなく、それらを身につけているかのように見せかけること。外見上、いかにも慈悲深く、いかにも信義を守り、いかにも人間的で、いかにも誠実で、いかにも宗教心に満ちているかのように振る舞わねばならない。大衆はいつでも外見と事の成行きに心を奪われる。
◆過去に偉業を成し遂げた君主は信義などほとんど考慮せず、人間たちの頭脳を狡猾に欺く術を知る者たちであった。
◆戦う手段は2つある。法と力。法は人間に固有のものであり、力は野獣のもの。しかし、法だけでは非常にしばしば不足であるがために、力に訴えねばならない。君主たる者、人間と野獣を巧みに使い分けることが必要である。範とすべき野獣はライオンとキツネであり、この両者でなければならない。ライオンだけでは罠から身を守れないし、キツネだけではオオカミから身を守れない。欺かれないためにキツネの狡知はとりわけ不可欠。
◆人間は邪悪な存在であり、あなたに対して信義など守るはずもないゆえ、あなたのほうだって彼らに対してそれを守る必要はない。これまでも、どれだけの和平が、どれだけの約束が君主たちの不誠実によって虚しく無効とされたことか。しかも、それなりの正当化をこじつけながら。
◆人間というものは非常に愚鈍であり、目先の必要性にすぐ従ってしまうから、欺こうとする者が欺かれる者を見出すのは容易なことである。
◆恐れられることと慕われることとは両立しない。であるならば、恐れられるほうを選ぶべきである。人間というものは恩知らずで移り気で、空とぼけたり隠し立てをしたり、危険があればさっさと逃げ出し、儲けることにかけては貪欲である。恩恵を施してやっても、いざとなれば背を向ける。恩愛は義務の鎖でつながれているので、よこしまな存在である人間は、自分の利害に反すればいつでもこれを断ち切る。恐怖の鎖は容易に断ち切ることはできない。
◆憎まれないことと恐れられることとは両立する。君主は、憎まれることを避けつつ恐れられる存在にならなければならない。市民や臣民の財産と婦女子に手を出さない限り憎まれることはない。必要があって誰かの血を流さねばならないときは、都合のよい正当化と明白な理由を掲げてこれを断行しなければならない。しかし、他人の財産に手を出すことは絶対にしてはならない。人間は、殺された父親のことは忘れても、奪われた財産のことはいつまでも忘れないのだから。
 なるほど、そういうことなのか。人間は愚かで邪悪な存在であるという徹底した人間不信。人間は結局おのれの利益しか考えない。人間は人間に対して誠実を貫きとおすことはありえず、いつか裏切り、どこかで欺く。人間は人間の敵である。それが現実であるのだから、それを前提にしてしか君主の統治のあり方も考えられない。チェーザレ・ボルジアの冷酷さを讃えてマキャヴェリは言う。「君主たる者は・・・冷酷という悪評など意に介してはならない。なぜならば、殺戮と略奪の温床となる無秩序を、過度の慈悲ゆえに、むざむざと放置する者たちよりも、一握りのみせしめの処罰を下すだけで〔秩序が生み出せ〕、彼のほうがはるかに慈悲深い存在になるのだから。なぜならば、無秩序は往々にして住民全体を損なうが、君主によって実施される処断は一部の個人〔だけ〕を害するのが常であるから」。冷酷が慈悲に転化するというこの逆説ははたして正しいのか。私にはそうとは思えない。レトリックに堕しているのではないか。一部の者を殺したり拷問したり牢屋に放り込んだりして得られる秩序がはたして秩序と言えるのか。
 話を急に変えるが、〈The Borgias〉というアメリカのテレビドラマがある。日本語タイトルは『ボルジア家、愛と欲望の教皇一族』となっていて、少し内容に踏み込んでいる(以下は『ボルジア家』と省略)。ドラマの始まりは1492年、ローマ教皇の死にともなって次の教皇を選ぶところ。1492年というのはコロンブスアメリカ大陸に到達した年(「コロンブス、イヨクニ燃えてアメリカ発見」!)であり、また、イスラムの最後の砦グラナダが陥落し、イベリア半島における国土回復運動(レコンキスタ)が終結を見た年としても知られている。それに比べれば有名度と重要度ではぐんと劣るが、ローマでロドリーゴ・ボルジアが教皇アレクサンデル6世として即位した年でもある。そしてドラマの始まる年。
 ニッコロ・マキャヴェリは1492年には23才。数年後にはフィレンツェの書記官に就任し、それ以後外交上の任務を帯びてイタリア各地を飛びまわっただけでなく、フランスへも何回か出かけ、交渉にあたっている。当時のイタリアはミラノ、ヴェネツィアフィレンツェナポリローマ教皇領などに分かれ、それぞれがイタリア半島の覇権を争い、さらに北からはフランスが隙あらばイタリアを我がものにせんと機会をうかがっているという状態。マキャヴェリは後年、政争に巻き込まれて活躍の舞台から引退を余儀なくされた時期に、現役時代の体験と見聞をもとに『君主論』をはじめとする一連の書物を著した。
 『ボルジア家』の主人公は、アレクサンデル6世、その息子チェーザレ・ボルジア、娘ルクレツィアの3人。まずは教皇選挙。候補者のひとりであるスペイン出身の枢機卿ロドリーゴ・ボルジアは、イタリア人から教皇をという雰囲気の中で苦戦を強いられる。それでも金や土地を餌に枢機卿たちを買収し、何回目かの選挙で過半数を獲得する。選挙期間中、枢機卿たちは教皇庁に閉じ込められ外部との接触はできない。どのようにして買収するのか。ロドリーゴ伝書鳩を使って息子チェーザレに指示を与え、枢機卿それぞれが別注した料理が外から搬入されるのを利用して、料理の中に、あなたにはこれこれの領地権を差し上げるなどというメモを忍び込ませるのである。かくして買収は成功し、法王庁の煙突から選挙終結を示す白い煙が上がり、アレクサンデル6世が誕生。チェーザレはといえば、父の指示に従って存分に働く一方で、女性を次々に自宅に連れ込んでは欲望を満たすことにも怠りない。それをニコニコしながら覗き見するのが妹のルクレツィア。あとから「お兄様、また違う人を連れ込んだわね」などと兄をからかう。14才。この人たち、みんな尋常ではない。ドラマの人物としては申し分のないキャラクター。
 以上が第1話で、第2話になると反ボルジアの急先鋒であるオルシーニ枢機卿がボルジア一族抹殺を画策する。教皇枢機卿たちを晩餐に招待し、教皇毒殺を謀るのだが、事前に察知したチェーザレが、オルシーニに雇われた殺し屋を自分の側につけ、逆にオルシーニを毒殺してしまう。この殺し屋ミケロットがまたまた冷酷無比の男で、自分の母親さえ手にかけたことがずっと後で判明する。以後、チェーザレの片腕としてさまざまな殺人を実行することになる。さらには同性愛者でもあり、最後は、情報を得るために利用した相手の男に愛情を抱いてしまい、冷酷さに徹しきれなかった彼は相手を殺すとともに自殺する(はずである。このあたり記憶があいまい。とにかく重要な役どころではある)。毒殺を免れたアレクサンデル教皇のほうは告解に訪れた美女ジュリアを愛人とし、教皇庁からの抜け道を通って毎夜彼女のもとにかよう。反対派の枢機卿たちはこの事実をかぎつけ、淫乱の罪であり教皇罷免理由にあたるとして動くが、証人となるべきジュリアの下女をミケロットに殺され、頓挫する。
 といったふうな調子で第29話まで延々と続くのだが、1話あたり約50分なので、全部でおよそ24時間。29のどの話も面白く、中だるみすることがない。丸一日ぶっ通しで見るエネルギーはなかったが、私は1週間で全部見た。このドラマの見どころを書き始めればきりがなさそうで、今はさて置き、話を『君主論』に戻して、『君主論』の中でのアレクサンデル6世とチェーザレ・ボルジア父子がどう取り扱われているかを見ておきたい。
 まず父親の教皇。「アレクサンデル6世は他のことは何一つせず、また何一つ考えずに、ひたすら人間を欺こうと努めた・・・彼以上に熱烈に断言することの効果を重んじ、熱烈に誓って約束をしながらこれを守らなかった人物は、かつていなかった。にもかかわらず、彼の欺瞞はつねにまんまと成功した。なぜならば、この世の、この面に、長けていたから」(第18章)という記述は貶しているのではない。この前後ではキツネの狡知が必要であるとか、善き資質を実際にそなえていることではなく身につけているかのようにふるまうことが大事であるなどと述べられていて、その実例としてアレクサンデルが挙げられている。つまり、彼は褒められているのである。
 では息子はどうか。これは、もう手放しの称賛である。チェーザレ・ボルジアという名前は繰り返し出て来て、マキャヴェリの彼に対する関心の大きさをうかがわせる。とりわけ第7章においては、彼の行動と戦略と実績が、簡潔を旨とする『君主論』では異例と言ってよいくらいに詳しく述べられている。そして、「他者の軍備や運命によって譲り受けたあの政体のなかで、自分の根っこを張るために、賢明で有能な人物がなすべき一切の事柄を行ない、手だての限りを尽くした」とか、「彼の行動の実例以上に、新しい君主にとってすぐれた規範を示してくれるものを、私は知らない」と称賛を惜しまない。マキャヴェリはまた、軍備に関して傭兵軍や外国の援軍は役に立たず危険であり、自分の軍隊を持つべきであると『君主論』の別の箇所で述べているが、チェーザレが途中ではフランス軍の援助を得たり傭兵軍を使ったりしながらも最終的に自分の軍隊を持つに至ったことを讃えている(第13章)。また、チェーザレが冷酷であるとの評判については、「あの冷酷さによって彼はロマーニャ地方の乱れを繕い、これを統一し、安定と忠誠に導いた」のであり、フィレンツェ人たちが「冷酷の名を逃れようとして、〔その支配下にあった〕ピストイア〔に介入せずに、それ〕を破滅するにまかせた」のに比べれば慈悲の心を持っていたのはチェーザレだとして、冷酷が慈悲に転化するとの、あの逆説を唱えるのである(第17章)。
 ドラマ『ボルジア家』はドラマであり、歴史ドキュメントではない。実在しなかった人物も多く登場しているはずだし、史実と異なる出来事も描き込まれているはずである。殺し屋ミケロットなどはモデルになる人物がいたのかもしれないし、純粋なフィクションかもしれない。ルクレツィアが政略結婚でとつがされたスフォルツァ家で厩番の青年と愛し合って子供をもうけるなどはどう考えても作り事だろう。チェーザレが弟ホアンを殺したかもしれないとか、ルクレツィアと近親相姦であったかもしれないという推測に過ぎないあれこれも、ドラマの中では事実として処理されている。何が事実で何がフィクションかは見極めがたい。しかし事実かフィクションかの線引きは今は問題ではない。大事なのは、ドラマを生み出すための幹がしっかり据えられているかどうかである。そして、この幹はしっかり据えられていて、まったく揺るがない。幹とはすなわちアレクサンデル6世とチェーザレ・ボルジアマキャヴェリズム。ここでマキャヴェリの思想がドラマの中で血と肉を持った人間となり、われわれの目の前で動きまわる。『君主論』が説いたことを『ボルジア家』は目に見える形にした、と言ってもよいだろう。ドラマの中のアレクサンデル6世を見ていると、このローマ教皇が神を信じているとはとうてい思えない。
 『ボルジア家』はドラマそのものとしてとても面白いし、マキャヴェリズムを実感できるしで、一粒で二度おいしいのだけれど、セックスシーンも多くて、家族団らんの場でみんなで見ようというのには不向きなのが難点。そうでなければ、マキャヴェリズムを理解するための教材として中学生や高校生に推薦したいくらいである。セックスシーンはひとりで見ていても気恥しいものではあるが・・・
 では、最後に、マキャヴェリズムは現代でも生きているのかという問題。答えははっきりしている。生きている。とくに政治の世界では。小は自民党内の派閥争いから大は国際紛争に至るまでマキャヴェリズムだらけ。さすがに自民党内の派閥争いでは毒殺や刺殺はあり得ないけれど、重要なポストをちらつかせたりの利益誘導はあるだろう。これも一種のプチ・マキャヴェリズム。地球上の紛争地域での残虐行為を非難する決議を国連であげようとしてもどこかの国が反対してつぶれるのが通例。軍事独裁に立ち向かう人々や民主化を求める人々、難民となった人々が自国の利益を優先する大国の犠牲になってしまう。北朝鮮金正恩などは自分のことを独裁者とは考えず、冷酷な処断によって国の秩序を維持する慈悲深い君主だと思っているかもしれない。
 自民党内の派閥争いは私たちにあまり関係はない(と私は思っているのだが、違うかも?)ので勝手にやっていただければよいし、国際紛争は私たちに関係ないことはないのだけれど大きすぎるので今は脇へ置いておいて、もう少し身近な、つまり日本国内の議論で決められる問題をひとつ取り上げるとすれば、国連の「核兵器禁止条約」の署名・批准を日本政府が拒んでいる問題。政府あるいは政府に賛成する人たちの言い分は次のようなことらしい。〈核の抑止力まで禁止しようとするこの条約は、核の均衡の上に成り立っている世界の政治情勢を無視したもので非現実的であり、アメリカの核の傘の下に構築された日本の安全保障体制をないがしろにするものである。アメリカの核兵器をなくして日本は中国や北朝鮮からどうやって身を守るのか。日本政府はこれまで核廃絶という目標を掲げて努力してきたし、今後も地道に努力する決意だが、この条約は核兵器保有国と非保有国との間に溝を生じさせ、対話を阻害し、核廃絶というゴールをむしろ遠ざけるもので、核廃絶に資することはない。唯一の被爆国として条約に参加する義務があるという考えは青臭い空論である〉。私には、核廃絶を目指すということと核兵器禁止をうたう条約に参加しないこととが両立するとは思えないのだが、素朴に過ぎようか。上の言い分をマキャヴェリ流に言い換えてみよう。〈現に核兵器が存在し、その抑止力によって安定が保たれている世界の現実を軽んじ、核兵器禁止などという理想を重んじる者は破滅するしかない。核兵器は世界秩序をもたらしているのだから、慈悲深い存在である。和平や約束は常に破られるのだから、兵器をなくすなどという約束は絶対にしてはならない。外見上、いかにも核廃絶を願っているふうに見せかけることが必要である。被爆者に冷酷だという悪評が立っても意に介してはならない〉。
 人間は愚かであり、邪悪であり、欺き欺かれ、自己保身を図る存在であるというマキャヴェリ人間性悪説を私は無下に否定するつもりはない。でも、留保を付けたい。人間は賢く、善良で、誠実で、自分以外の人間のことも考える存在でもある、と。そして、愚かで邪悪だという側面があるからこそ人間は理想とか理念を必要としているのだ、と。人間は理想を求める存在でもある。そのこともまた現実なのだ。その現実を無視することによって、マキャヴェリズムは、結局、現実無視の理想論と同様、現実無視に陥ってしまうのである。人間性悪説に傾いた現実主義に基づいて現状肯定主義、現状固定主義に走ることに対しては常に批判的でありたい。

 

都道府県魅力度ランキング?

 ブランド総合研究所という民間シンクタンクの公表した「地域ブランド調査2021」というレポートがちょっとした話題になっている。あるいは、ちょっとした物議を醸していると言っていいかもしれない。このレポートのなかに「都道府県魅力度ランキング」という項目があって、日本の47都道府県の魅力度なるものが1位北海道(73.4ポイント)から47位茨城県(11.6ポイント)まで順序付けられている。
 これを見て心穏やかでないのが下位にランク付けされた県の知事さんたち。茨城県は2013年から2019年まで7年連続で最下位となり、昨年は42位と最下位を脱出したものの、今年はまたもや定位置(?)に逆戻り。大井川知事は2年前には「県のイメージを著しく損なっている」と怒りをあらわにし、「この調査がどのような方法で行われているのか精査し、適切な対応を考えたい」とのコメントを発表した。今年の結果に対しては、知事は「真摯に受け止めるが、ランキングは賞味期限切れでは」と発言。さらに週末の観光地のにぎわいや企業誘致の成果を挙げつつ「今までとやることは変わらない。県民にはこれからも茨城が素晴らしいと主張してほしい」と強調したと報道されている。そうむきになることもないかと、少し余裕が出てきたのかもしれない。
 栃木県は昨年最下位になり、それを受けて福田知事がブランド総合研究所まで出向いて直談判し、調査方法の見直しを要請した経緯がある。研究所側は今回、都道府県版の各地域のサンプル数をそれまで約600人であったのを約1000人に増やした。それが奏功したのかどうかは分からないが、今年、栃木は41位という結果であった。知事は「調査の結果にかかわらず、地域資源の磨き上げや情報発信に取り組み、ブランド力向上を図る」と無難なコメントを出した。
 調査結果にもっとも敵意をあらわにしているのが群馬県の山本知事。群馬は昨年40位からことしは44位へ。知事は以前から北関東の県が下位に並ぶランキングを疑問視しており、県庁内に検証チームを作り、調査手法などを分析。統計学的な見地などから「緻密さを欠く、ずさんで不正確なもの」「県に魅力がないとの誤った認識が広まる」「ランキングを出すなら、結果について説明責任を果たすべきだ」と批判していた。直近(10月14日)の会見でも「主要メディアにも取り上げられており、無視できない。ランキングがずさんで信頼度が低いことを県民や国民に正確に理解してもらうため、(法的措置が)有効なら可能性の一つとして検討している」と述べている。これに対し、ブランド総合研究所の田中社長は「ランキングの根拠については報告書の中ですべて開示しているし、都道府県から問い合わせを受けた際は回答しているが、群馬県からは質問も相談もない。それで、信頼できない、ずさん、などと言われ、報道しないよう圧力をかけるのは知事としていかがなものか」「我々や回答者に対する誹謗中傷だ。謝罪をお願いしたい」と反論しているとか。私は群馬県に縁もゆかりもないし、野次馬として面白がっているにすぎないけれど、ここは山本知事のほうに軍配を挙げたい。知事の指摘はもっともである。このランキングは全然緻密でもないし、不正確である。検証チームを作るまでもなかろう。
 ブランド総合研究所の説明によれば、「地域ブランド調査2021」全体は、1000の市区町村と47の都道府県、合計1047地域を対象としたアンケート調査で、「認知(地域が知られているか)」「魅力(地域がどのように評価されているか)」という2つの大きな指標に基づいて89項目を設定している。「魅力度」では、その地域が魅力的かどうかを問い、さらにその魅力が何に起因するかを、居住意欲度、観光意欲度、産品購入意欲度、またイメージ想起率といった様々な項目を設け明らかにしている、ということである。インターネットを利用し、有効回収数35489人。
 今回問題になっているのは89項目のうちの1項目で、設問は「以下の自治体について、どの程度魅力を感じますか?」である。選択肢は「とても魅力的」「やや魅力的」「どちらでもない」「あまり魅力を感じない」「全く魅力的でない」の5択(以下①②③④⑤とする)。①100ポイント、②50ポイント、③④⑤はすべて0ポイントで換算して、得点を出すことになっている。北海道の回答率は①57.6%、②31.5%、③④⑤10.9%であった。得点化すれば、(100×57.6+50×31.5+0×10.9)÷100=73.35。四捨五入して73.4となる。めでたく第1位。では茨城県の回答分布はどうなのか。私が調べた限りネット上では知ることができない。そこで、私が適当に数値をあてはめ、11.6を追及した(計算の都合上11.5になるが)。
可能性(1)①0%、②23%、③④⑤77%
可能性(2)①2%、②19%、③④⑤79%
可能性(3)①4%、②15%、③④⑤81%
可能性(4)①10%、②3%、③④⑤87%
(1)と(4)は非現実的であり、(2)か(3)が妥当な数値ではなかろうか。しかし、いずれにせよ「とても魅力的」「やや魅力的」と思う人が2割程度いて、大半の人が判断がつかない(「どちらでもない」)か、魅力的だと思わないのである。北海道について89.1%が魅力的と答えているのと好対照である。
 さて、何がおかしいか。私が問題だと思うのは以下の2点である。
◆「以下の自治体について、どの程度魅力を感じますか」というたった一つの項目           に対する回答を取り上げているに過ぎない。あまりにも単純化し過ぎている。「その魅力が何に起因するかを、居住意欲度、観光意欲度、産品購入意欲度、またイメージ想起率といった様々な項目を設け明らかにしている」とうたっているのである以上、クロス集計をしているはずなのだが、今回の発表では様々な項目と魅力度との関連が分からない。上位10位の都道府県は北海道、京都、沖縄、東京、大阪、神奈川、福岡、長崎、奈良、長野となっていて、これを見る限り、結局、自然や歴史遺産などの観光資源に恵まれている地域か大都会が選ばれているのである。それ以外の要素でどんな点が魅力的か、魅力度の低い県は何が足りないのか、といった点が不明のままである。魅力がないよと言われた県だって何を参考にしたらよいのか困るだろう。
◆魅力的であるとの回答にしかポイントを与えていない。多くの回答が出ると考えられる「どちらでもない」をゼロポイントにすることによって数値の極端化が生じる。その結果1位73.4、47位11.6という数値がはじき出され、あたかも茨城県の魅力が北海道の6分の1とか7分の1しかないといった錯覚(数字のマジック)が生まれる。数値の極端化により差異を際立たせることがむしろねらいであったかもしれないが、「どちらでもない」を「全く魅力的でない」と同じに扱うのは統計上やはりおかしいのではないか。
 このように、抽象的に魅力を問う一つの項目だけを取り出し、その極端化された数値結果を公表することに、私は、悪意とまではいわないが、作為を感じる。作為とは、ずばり販売戦略である。今回のアンケート調査結果はいろいろな形で販売されている。1047地域89項目を扱う「総合報告書」81400円、ひとつの地域の詳細な結果を扱う「個別報告書」50600円、個別報告書1047冊分の完全版「データパック1047」316800円などである。田中社長の「ランキングの根拠については報告書の中ですべて開示しているし、都道府県から問い合わせを受けた際は回答しているが、群馬県からは質問も相談もない。それで、信頼できない、ずさん、などと言われ・・・」という発言の意味は、これらの報告書を買って読んでください、そうすれば群馬県に何が足りないかが分かりますから、そして魅力を生み出す努力をしてください、私たちはそれを側面援助するのです、ということなのではないか。
 群馬県山本知事ほどでなくとも、魅力度が低いとランク付けされた県の知事さんのなかには我が県をそんなに馬鹿にするなと不快な思いをしている人がたくさんいるのではないか。また、我が県はそんなに魅力がないのかと不安にもなるのではないか。そして、アンケート調査の詳しい内容を知りたいとも思うのではないか。知事さんに限らず、また都道府県に限らず、地方公共団体の関係者、とりわけ町づくりとか町起こしなどにたずさわっている人たちは今回のような騒ぎに無関心でいられないはずである。もしかしたらアンケート結果が役に立つかもしれない、参考にすべきでは、これにまわす予算まだあったかな、などといった思いがきざしてくる。そのようにして調査報告書の売れる下地が完成し、ブランド総合研究所としてはしめしめ。都道府県別魅力度を取り上げてくれたマスメディアに感謝。いち早く反応してくれた知事さんたちにも(ある意味で)感謝。でも、やっぱりなあ、と最後に私は思う。一民間シンクタンクの一項目のアンケート結果をセンセーショナルに取り上げるマスメディアって私以上にくだらない野次馬ではないか。

 

自民党総裁選が近づくが

 菅首相が「コロナ対策に専念したいという思いの中で、総裁選には出馬をしない」「コロナ対策と選挙活動、莫大なエネルギーが必要なのでどちらかを選択すべき」という奇妙な理屈で自民党総裁選に出馬しないと表明したのが9月3日。それまで総裁選に意欲を見せていたはずの総理のこの唐突な翻意に至るまでの経緯をめぐってさまざまな憶測が飛び交い、政局の裏面に通じているらしい政治評論家の皆さんがたが自民党内の動きについていろんな事をしゃべっている。そのあたりの事情などは私など一市民のあずかり知らないところであるが、唯一推測できるのは、菅総裁では選挙が戦えない、次の衆議院選挙で大幅な議席減が待ち受けているという危機感が自民党内に広く行き渡り、それが菅降ろしのベクトルを一挙に加速させたのだろうということだけである。新型コロナ対策で有効な施策を打ち出せないまま手詰まり状態に陥った安倍政権を「継承」し、ひたすら国民に自粛を呼びかけるしかなす術を持たず、ワクチン接種普及にわずかな期待をつなぎながら、オリンピック開催を強行しなければならなかった菅氏は貧乏くじを引いたと言えないこともない。別に同情する気はまったくないけれど。
 さて、その自民党総裁選は今月17日告示、29日投開票の予定。すでに出馬表明している岸田文雄政調会長、出馬の意向を示している高市早苗総務相河野太郎行政改革担当相に加え、石破茂元幹事長と野田聖子幹事長代行も意欲を示しているといった情勢の中で、河野氏が派閥親分の麻生氏と会ったとか、石破氏が二階幹事長と会談したとか、しかし石破派内には河野氏を支持する議員もいて推薦人20人のめどが立っていないとか、安倍前首相が高市氏支持の意向であるとか、麻生派に属する甘利税調会長が「岸田さんにシンパシーを感じている」「事情が許せば応援してあげたい」と述べたとか、岸田派以外の派閥は対応を決めずに様子見であるとか、まあとにかくいろいろ報道されている。さらに、誰が次期首相にふさわしいかの世論調査なども行われており、例えば読売新聞が実施した結果は、河野氏23%、石破氏21%、岸田氏12%などといった数字が出ている。今のところ、実質的に河野氏と岸田氏の争いであると見る向きが大勢を占めているようだが、麻生氏が安倍氏に同調すれば高市総理なんてこともあり得ない話ではないなどとぶち上げる週刊誌の記事もあったりして、予断を許さない側面を含む今回の自民党総裁選は、前回の菅氏が選ばれた時とは全く異なった様相を呈している。これを面白がっている人もいるが、私は面白いとは思わない。
 しょせん自民党の総裁選びであり、自民党内部での権力争い。政策上の違いのほとんどない候補者同士がたとえしのぎを削るような厳しい戦いを繰り広げたところでどれだけの意味があるというのか。候補者の人柄性格云々といった枝葉末節の議論(リーダーシップを発揮できるのは誰か、国民への発信力を持つのは誰か、等)にもうんざりさせられる。重要なのは政局ではなく政策ではないのか。新型コロナ対策も含めて今の日本が置かれている状況をどう打ち破っていくのか、安倍政治を継承した菅政治を継承しない政治はどうあるべきかを模索すべき時に、派閥力学に基づく駆け引きに血道を上げている場合か。そんなのコップの中の嵐でしかないと言っても過言ではなかろう。ドタバタ喜劇と言ってもかまわない。誰が選ばれようと日本の今後の政治に大きな影響を及ぼす可能性はないのである。河野氏は大臣になって以後は脱原発も言わなくなったし、首相となれば、そんな事、私、言ったっけ、と健忘症発症することまちがいなし。岸田氏は9月2日には、森友学園問題の再調査について「国民が納得するまで努力をすることは大事だ」と力説。おや、やる気があるのかなと思いきや、さっそく7日には、この問題での財務省の決裁文書改ざんに関する再調査は考えていないと否定的訂正。安倍前首相が高市氏支持を表明することで岸田氏を牽制し、岸田氏が安倍氏と麻生氏の意向を忖度したと見る向きもある。こんな体たらくであるから誰がなっても日本の政治は変わらない。ただし、万が一、高市氏が首相になるようなことになれば変な波の立つ恐れがあるが。
 それにしてもメディアの政局に大きく傾いた報道姿勢はどうかと思う。この点に関して、4日の「サンデーモーニング」で青木理氏が「・・・一挙に政局ですよね。今もうこの番組もそうですけど永田町も政局一色。一方でコロナの状況はよくなっていない。むしろ深刻で医療にアクセスできずに亡くなる方が出ている状況なのに、政局一色になっている上に、野党が憲法に基づいて臨時国会の召集を要求しているのに、国会も開かずに、これから恐らく総裁選まで自民党の中は政局一色。我々に対して問われるところなんですが、テレビメディアを中心にテレビ、メディアも報道が政局一色になっていってしまう。こういう状況で果たしていいのか。今コロナがこれだけ深刻ななか、政局にかまけている政治、あるいはメディアに疑問を突き付けられるのではと思っています」と述べた。私はまったく同感なのだが、反対の人もいる。
 6日の「情報ライブ ミヤネ屋」で橋下徹氏は「ある番組で政局報道一色になるのは情けないって言った人がいるんですけど、とんでもないですよ。国家権力を作り上げるプロセスっていうのは一番重要で、今日はギニアでクーデターがあったし、アフガニスタンを見て下さいよ。血みどろの権力争いですよ。でも、この平和な民主国家では投票で権力を作り上げる。ここをちゃんと報道することはね、中身は重要ですけど、ものすごい重要なことだと思いますよ」と話している。まず気づくのは橋下流の論点すり替え。青木氏の指摘は政局一色の報道がおかしいと言っているのであって、政局を報道すること自体がいけないとは言っていないのである。逆に橋下氏の言葉を素直に理解すれば、報道は政局一色になるべきだと聞こえるけれど、そのような解釈は「とんでもない」として氏は否定されるだろうか。それからもうひとつ気になるのが「国家権力を作り上げるプロセス」という言葉づかい。自民党総裁選は自民党内の権力構造を作り上げるプロセスではあっても、日本という民主主義国家の国家権力を作り上げるプロセスではない。政権与党の総裁イコール国家権力者という図式は民主主義国家日本においてこそ厳しく排除されるべきなのではないか。橋下氏の権力ないし権力者、ひいては民主主義に関する概念は昔から危険な不確実さが付きまとっていて、気になっていた。氏が大阪市長であった時、新人職員に対して「公務員たる者、ルールを守ることを示さないと。皆さんは国民に対して命令する立場に立つ。学生のように甘い人生を送ることはできない」と訓示しているニュースを見て驚いたことがある。公務員は国民に命令する、というのである。とすれば、大阪市の公務員の長たる橋下氏は最大の命令権を持つ人物であると自分を考えているのか。大阪の皆さん、こんな人を市長にしてどうもないのですかと余計な心配もした。他にも氏は、気に入らない報道機関の記者を吊るし上げにする(もちろん言葉で、ではあるが)とか、従軍慰安婦問題に関して「人間に、特に男に、性的な欲求を解消する策が必要なことは厳然たる事実。現代社会では、それは夫婦間で、また恋人間で解消することが原則になっているが、時代時代に応じて、さまざまな解消策が存在した」ので慰安婦制度が必要だったとか言ったりと、いろいろ物議をかもしだした。おっと、おっと、脱線してしまった。
 とか言いながら、さらに橋下氏の言葉を引用する(!)と、氏は岸田氏について「政治って結局、戦(いくさ)なんですよ。権力をつかむってことで。去年の総裁選の時、番組で共演した時は・・・ものすごい物腰柔らかい紳士のような感じだった。昨日・・・武将になってました・・・完全に戦闘モード」「最初のパンチ、自民党の役員3期までって言うことは明らかに二階さんの首を飛ばすぞってことですから。二階さんという最大の権力者の座にいた人を食い飛ばすというケンカをふっかけたことで、自民党の中でガッと評価が高まって、完全に武将になってますよ」と話している。ここは橋下氏の言葉を信用することにしよう。すると、やっぱり総裁選って自民党内の権力闘争であるということがますます明白になる。
 告示まであと9日。期待はしないけれど、立候補者や周囲の人たち、マスコミの論調などにそれなりに注目はしておきたいと思う。