2021年の年賀状

  この1年はほとんど生活に変化がなかったので2021年の年賀状は次の3つの文章を引用しただけになった。

(1)国家とは、すべての冷酷な怪物のうちもっとも冷酷なものである。・・・多数者をおとしいれるために罠をかけ、その罠を国家と称しているのは殲滅者たちである。彼らはその罠の上に一本の剣と百の欲望の餌をつるすのだ。・・・善と悪についてのことばの混乱。これこそ国家の目印である。

(2)寂しさに蔽われたこの国土の、ふかい霧のなかからぼくは生まれた。・・・東も西も海で囲まれて、這い出すすきもないこの国の人たちは、自らをとじこめ、この国こそまづ朝日のさす国と、信じこんだ。

(3)マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 

 (1)はニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』から。「超人」に共感せず、「永劫回帰」を全く理解しない私がニーチェを引くなどとは、ご都合主義、便宜主義の誹りを免れないことは十分承知している。それに、ある所でいい事を言っているではないかと尻尾を振って近寄ってみると、ほかの所ではそれと反対のことを言っていて、こちらを足蹴にしてしまうこともよくあるのがニーチェ。とは思うが、それでも彼の国家批判や文明批判の激越な口調はなかなか魅力的。ついつい借用したくなる。それを大々的にやったのがナチスということになろうか。

 上の国家批判の矛先は直接にはビスマルク率いるプロイセンに向けられつつ、近代国家一般にも向けられたものであろうが、現在の日本にもあてはまるだろう。とりわけ「善と悪についてのことばの混乱」という点。

 (2)は金子光晴の『寂しさの歌』から。この詩には上に引いたニーチェの一節がプロローグとして掲げられている。正確には「国家はすべての冷酷な怪物のうち、もっとも冷酷なものとおもはれる。それは冷たい顔で欺く。欺瞞はその口から這い出る。〈我国家は民衆であると〉」。金子はこの詩において「寂しさ」という一語のなかに日本の風土、風俗、生活、心情などのすべてを凝集させている。「寂しさこそこの国土着の悲しい宿命」であり、それは近代化された今の時代まで変わらず続いており、貧困、無知、あきらめ、卑屈と一体となり、遂に戦争へと至ったというのである。そこに彼が見るのは「国をかたむけた民族の運命のこれほどさしせまった、ふかい寂しさ」である。しかし、そこで話は終わらない。末尾に「昭和二〇・五・五 端午の日」と日付を明示されたこの長い詩は「僕がいま、ほんたうに寂しがっている寂しさは、・・・寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といつしよに歩いてゐるたった一人の意欲も僕のまはりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ」という決定的な失意の語句で閉じられている。

 (3)は寺山修司のおそらくもっとも人口に膾炙した短歌。山口瞳もどこかでこの歌に触れていたと思う。寺山の歌集を読んだことのない人でも山口の本を読んでいる人ならこの歌を知っているかもしれない。同じような可能性がほかにもあるはず。それはさておき、寺山修司は演劇以外の世界においても芝居をした人であった。短歌も例外ではない。自身の生活や体験、心情からうたうのではなく、虚構の世界をうたうのである。そして、虚構の構築のために都合のよい表現を既にある作品から借りてくるということをよくやった。すでにある作品の中には自分のもあるが、他人のもあった。自分のならかまわないが、他人の作品となると当然盗作や剽窃が問題とならざるを得ない。「マッチ擦る」の歌も次の3つの俳句を合成したものであるという指摘がなされた。西東三鬼「夜の湖あゝ白い手に燐寸の火」、富澤赤黄男「一本のマッチをすれば湖は霧」「めつむれば祖国は蒼き海の上」。なるほど、材料はほぼ同じである。寺山がこれらを参考にしたことは間違いなかろう。だけど、やっぱり違う、盗作でも剽窃でもない、というのが私の感想。寺山の歌から受ける印象はこれら3つの俳句のそれとは全く違う。海辺か船上かわからないが深い霧のなかで一瞬燃え上がり消えゆくマッチの炎のイメージを「身捨つるほどの祖国」に結びつけたところが寺山の独創。立派な創作というべきだろう。

 と、ここまで書いてきて一つの事に思い至る。ひょっとして寺山は金子の「寂しさの歌」を読んでいたのではないか、と。「国土」「ふかい霧」といった表面上の相似があるからというのではなく、自分の生まれた国を祖国として愛することができるのか、寂しさに蔽われた祖国を愛するとはどういうことなのか、といった問題が両者を結び付けているように思えてならない。

 

【上のこととは無関係な追記】

以前このブログのタイトルを「比叡山坂本徒然草」としましたが、それを短くして語呂も4・4・4となる「叡山坂本つれづれ」と変更します。

ここまで読んでいただいた方々(いらっしゃるのかな?)におかれましてはよき新年をお迎えください。