プロ野球の記憶

 最近はスポーツにおおむね興味がなくなって、とくにプロ野球に関しては完全に無関心状態。テレビ中継を見ることも絶えて久しいし、どのチームにどんな選手がいて誰が監督といったことについても全く無知である。しかし振り返ってみれば、子供の頃はそれなりに熱中したものだ。
 巨人ファンだった。その理由としてまず考えられるのは、最初に球場で見た試合で巨人が連勝したからという単純明快なもの。小学4年生ぐらいだったか、父親に連れて行ってもらった後楽園球場。当時は一日に2試合同じチームが対戦するダブルヘッダーがあり、それに巨人が連勝した。この時、巨人は強いチームというイメージが私の頭のなかに植え付けられたのはまちがいない。でも、それが巨人ファンになった本当の理由かといえば、そうでないような気もする。この時の対戦相手は国鉄スワローズ。もし国鉄が2連勝していたら国鉄ファンになっただろうか。なったかもしれないし、ならなかったかもしれない。
 私の後楽園体験は1950年代の終わり頃だったが、それに続く60年代は、読売テレビ読売巨人軍の試合をせっせと放映していて、セ・リーグの他の球団は巨人と試合をするとき以外はあまり写らない。もちろん他の局にも野球中継はあるのだけれど専用チャンネルを持っている(と考えてよい)巨人の露出度にはかなわない。パ・リーグの球団となればテレビに登場するのはもっと少なかった。いきおい、パ・リーグよりセ・リーグに人気がかたより、球団では巨人に人気が集中することとなった。それに輪をかけたのが長嶋、王といったスーパースターの活躍であったと言えるだろう。子供の好きなものは「巨人・大鵬・目玉焼き」などと言われた60年代は巨人の黄金時代で、川上監督の下、向かうところ敵なし。野球で巨人、相撲で大鵬を応援するのは大げさに言えば当時の少年の宿命みたいなものであった。私が巨人ファンになった理由としてはダブルヘッダーの結果よりむしろこちらのほうが大きかったかもしれない。
 私が初めて後楽園でダブルヘッダーを見た時には長嶋も王もまだ入団していなかった。その時のメンバーで今なお覚えているのは十時、与那嶺、坂崎、宮本の4人。その時誰がどんなヒットを打ったとか、どんなプレイをしたかなどは覚えていないし、その後どんな活躍をしたかも今はほとんど思い出せない。なのに、名前だけがずっと記憶に残っていて、いつもこの4つの名前がセットになって出てくるのである。このうち一番有名なのは与那嶺で、彼についてはその後のことも多少知っている。現役としても活躍したし、引退後もいろんな球団でコーチを務め、中日ドラゴンズの監督もやった。有名にならなかったのは十時か。「ととき」と読む。坂崎についてネットで調べたら、浪商の強打者であって、55年春の甲子園大会決勝、桐生高校戦では2打席連続敬遠されたという記述があった。5打席連続でないにせよ松井秀喜の先輩ということか。プロでも活躍し、王、長嶋とクリーンナップを組んだこともある。やっぱり強打者だったのだ。宮本について思い出すのはとても些細な事。確か大洋ホエールズの島田だったかに巨人がもう少しでノーヒットノーランを喫するという試合があった。その数日後、テレビ中継で解説者が、宮本はあの夜ひとりで黙々と素振りをしていましたと言うのを聞いて、この人はまじめな選手なんだと妙に感心した。
 当時の監督は水原。巨人の歴代監督では川上がひときわ大きな存在だろうが、私はその前任者であった水原のほうがなぜか印象に残っている。それは多分三原監督の西鉄ライオンズにこっぴどくやられたせいなのかもしれない。とりわけ58年の日本シリーズ。巨人3連勝の後の4連敗。伝説となったライオンズ稲尾投手の4連投4勝。現在なら到底あり得ない投手起用である。しかもほとんど全部を一人で投げたのである。驚き呆れるばかり。
 74年に長嶋が、80年に王が引退し、その間の78年には例の江川騒動があった。私の心も巨人から離れてゆき、同時にプロ野球への興味も薄れていく一方であった。江川騒動でスケープゴートになった小林が巨人相手に投げ、勝利投手となった試合を甲子園の一塁側で見たことがあるが、これは、その日一日限りの判官びいき。それまでもそれ以降も阪神を応援したことは一度もない。応援するチームがないとプロ野球なんて面白くもなんともない。そんなものである。ほかのプロスポーツも似たり寄ったりだろう。80年に原が巨人に入団したが、私が彼についてよく覚えているのはプロでの活躍ではなくて、高校野球で彼と対戦した高校の投手が、どこに投げても打たれる気がして怖かったと言っていたことである。
 球場で最後に見たプロの試合は6年前の札幌ドーム、日ハム対楽天。どちらかのファンでもなく、選手といえば大谷と中田しか知らなかった。1週間ばかり目的もなく札幌に滞在していた折に、夜、何もする事がなくて時間つぶしに出かけた。入場料が平日のシニア割引(半額だったかも)でなんだかとても得をした気分になったこと、ペットボトルのお茶を持っていたら入口で紙コップに入れ替えさせられたこと、私の前に座っていた夫婦らしい二人連れがやたらにビールを飲んでいたこと、楽天の投手陣がだらしなかったこと、レアード(それまで知らなかった日ハムの選手で、寿司を握るポーズで有名らしかった)がホームランを打ったこと。記憶にあるのは以上である。多少興味のあった大谷は出場せず、見られなかった。これが球場で私の見た最後のプロ野球となるはずである。