NHK「ニュースウオッチ9」問題

 菅首相の長男が勤める放送関連会社「東北新社」から高額な接待を受けて批判を浴びていた山田真貴子内閣広報官が辞職することになった。山田氏は体調不良で診察を受け、2週間程度の入院加療を要するとの診断により入院。参考人として呼ばれていた3月1日の衆院予算委員会を欠席した。山田氏といえば、今回の接待問題以前に、NHKに対して電話で圧力をかけたのではないかという疑惑によって有名になっていた人物。参考人として出席した2月25日の衆院予算委員会ではその疑惑を否定している。
 事の起こりは昨年10月26日のNHK「ニュースウオッチ9」に生出演した菅首相が学術会議会員任命拒否問題で質問を重ねる有馬キャスターに腹を立て、「説明できることと、説明できないことがある」と居直った一件。後日山田広報官がNHKに電話し、「あんなに突っ込むなんて、事前の打ち合わせと違う」「総理、怒っていますよ」と抗議したと、一部週刊誌が報道した。これを受けて11月25日の衆院予算委員会立憲民主党の大西議員が、キャスターはごく当たり前のことを訊いただけなのになぜ怒ったのかと菅首相に質問。菅首相は「私は怒ったこともありません。山田広報官に指示したこともありません」「私はその辺のことの常識は持ってます」「山田広報官が電話したというのは、週刊誌か何かですか? 私は承知しておりません」と答えた。
 さらに12月に入って「朝日新聞」がこの番組について坂井官房副長官の次のような発言を本人に確認したうえで報道した。「首相への出演依頼が所信表明についてだったのに、番組内では学術会議(問題)への質問が多かった。約束は守ってほしかった」「もし、出演依頼をする部署と番組制作をする部署が連携できていなかったとすると、ガバナンスが利いていないのではないか」。坂井氏は「報道を規制すべきだという趣旨では全くない」とも述べているけれど、国民の多くが関心を持っている事柄について政権担当者にキャスターが独自の判断で質問するのを政府として認めないなどという考えはれっきとした報道規制の思想なのではないかと私は思う。報道番組は脚本どおりに、それも上層部の書いた脚本どおりに進行するドラマではないのだから。
 以上のような報道が人々の関心を引き、官邸の意向を忖度したNHK上層部は有馬キャスターを「ニュースウオッチ9」からはずすのではないかという憶測が飛び交うなかで2月10日NHKの人事異動が発表され、案の定と言うべきか、有馬氏はキャスター降板ということになった。ついでにと言ったら語弊があるかもしれないが、「クローズアップ現代+」の武田アナが大阪転勤となり、番組を降りる。これも、1月19日の当番組で自民党の二階幹事長にインタビューした際に新型コロナについて「政府の対策は十分なのか。さらに手を打つことがあるとすれば何が必要か」と質問し、二階氏から「いちいちそんなケチをつけるもんじゃないですよ」と凄まれたという経緯が関係しているのではないかと囁かれている。
 NHKは今回の異動は当初の予定どおりだと言うだろうし、政権への忖度などはありえないと言っている(「週刊文春」への回答)。そりゃそうだろう。はい、忖度しましたと言うわけはない。いやいや、ここは懐疑的にならず、好意的に解釈することも可能である。当初の予定どおりの人事異動であって、番組でのやり取りとは無関係であると。NHK関係者に取材して情報を得ている週刊誌の記者ならいざ知らず、そうでない私たちとしてはそのあたりは判断しづらい。では、何をどう判断すればよいのか。よく分からないので考えません、という思考停止には陥りたくない。そういう場合には魑魅魍魎の跋扈する現実世界から離れ、想像世界において単純かつまともな考え方を模索するのも一興。
 まず、自分がNHK上層部の人間であると想像してみる。そして、今回の人事異動は当初からの予定であって、官邸への遠慮や配慮とは一切無関係であると想像してみる。内閣広報官からの抗議電話もなかった。忖度をうんぬんされ、痛くもない腹を探られるのはとても残念で悔しい。なんとかしてそのような疑いを晴らしたい。よい方法はないものか。とまあ、このように腐心するわけである。すると、ひとつきわめて効果的な方法があることに思い至る。当初の予定を変更して有馬キャスターも武田アナも続投。これである。これしかないだろう。これで週刊誌の記事がでたらめであったことも暴けるし、NHKが独立した報道機関としての気概を失っていないことも示せる。私ならそう考えるところだ。・・・でも、そうはしなかった。なんでかな?やっぱり、ですか?
 次に、おこがましいけれど自分が首相であると想像してみる。「山田広報官が電話したというのは、週刊誌か何かですか? 私は承知しておりません」なんてあいまいな答弁はしない。電話したかしなかったかを広報官に直接問いただす。したということならば、厳しく注意をし、その旨を公にする。首相が報道機関に注文を付けたり、ましてや圧力をかけるなどはあってはならないことで、たとえ私自身の知らないことであったにせよ部下がそのようなことをしたのは私の責任であり、申し訳ない、と謝るのである。では、電話していないと確認できた場合はどうするか。怒りをあらわにする。首相が報道機関に注文を付けたり、ましてや圧力をかけるなどがあってはならないという考えは自分のみならず官邸全体の基本的な信念である。その信念が歪められたかのごとき偽の報道がされ、私があたかも強権弾圧の政治家であるかのように言われることは許しがたい。ここで「責任者出てこい!」と人生幸朗ばりに叫んでもよいかもしれない。さらに続けて、私も血のかよった人間であるから、生出演したテレビで訊かれたくないことを訊かれムッとすることもあるかもしれない。だからといって、質問したキャスターを悪く思ったりはしない。むしろ、政治家の胸中を忖度しておべっかを使うような人間よりズバリ質問をぶつけてくる人間が必要なのだ。今後も報道の皆さんには忌憚のない意見を述べていただきたいし、私も率直に対応していきたい。とまあ、これが首相になったと想像した私。なにか、三谷幸喜の映画『記憶にございません!』みたいになってしまった。
 現実世界に戻ってみよう。2月25日の衆院予算委員会での山田内閣広報官の発言は以下のとおり。
NHKへの抗議電話をしたかどうか→「総理のNHK番組出演に関して、番組出演後、電話を行ったことはない」(「電話を行う」の意味不明、筆者)
NHKの記者、職員などNHK関連の方に電話したことはないか→「私の方でたまたま残っていた通話履歴をみたところ、NHK関係者に発信したという履歴はなかった」
携帯以外の方法でNHK関係者に伝えたことはなかったか→「通告いただいてないので、確認してみたいと思うが、その日に直接NHKに出向いて誰かと話をするとか、そういったことはなかったと思う。メールも送った覚えはない」
 どこかにあいまいさを残したしゃべり方である。何げなしに限定的条件を設定したうえでの否定。最後に「メールだけでなくSNSなど、いろんな伝達手段がある。あらゆる伝達手段を含めて、NHK関係者、記者、職員含めて伝えたことがあるか、文書で提出してもらえるか」と求められ、山田氏は「なかなか難しいが、ちょっと検討してみる。連絡を取っていないと考えているが、いずれにしても考えてみたい」と答えた。しかし、体調不良、入院、辞職と来たからには考えてみる必要もなくなり、これで幕引きになるのだろう。