今こそオリンピック・パラリンピック中止の決定を

 数日前、定期的に高血圧の薬を出してもらっているかかりつけの医院に行ったところ、待合室の様子がいつもと違って、人が多い。受付の人たちも忙しそうである。よく見ると、待っている人の手にはコロナワクチン接種券が握られている。あれ、もうワクチン接種が始まっているのかな、私はそんな連絡を受けていないけれどと思いながら耳をすませば、皆さん予約するためにやって来ているのだと分かった。診察時にお医者さんに尋ねると、まず75歳以上対象の接種が始まり、私はそれより年下なので、順番はその次とのこと。5月初旬に予約についての連絡が届くはずだから電話で予約してもらったらいいですよと言われ、待合室に戻り、改めて耳をすますと、75歳以上の人たちの接種が始まるのは6月のようである。6月9日に1回目で、といった声が聞こえてくる。すると私は7月か。人ごみの中に出かけることもないし、急がないけれど。それに、接種を受けると百パーセント決めたわけでもない。副作用について、接種が本格的になってから見極めてもいいのだから。などと考えていたら、またぞろ東京オリンピックのことが気になりだした。
 まず、IOCのバッハ会長の発言。東京都などとの5者協議のテレビ会議で次のように発言した。
「The Japanese people have demonstrated this perseverance throughout their history. And it’s only because of this ability of the Japanese people to overcome adversity that these Olympic games under these very difficult circumstances are possible.
 日本の人々はその歴史を通じて堅忍不抜を示してきました。そして、今次オリンピック大会がこの非常に困難な状況下で可能になるのは、ひとえに、日本の人々の逆境に打ち勝つ、この力ゆえなのです。」
 この外交辞令は日本人にとって耳障りのよいものではない。いくらバッハ会長に持ち上げられても不可能事は不可能事。7月23日のオリンピック開催までにコロナウイルスに打ち勝つのは無理というもの。もちろん、バッハ発言の趣旨がそうではないことぐらいは分かるが、日本人のabilityで何とかしろ、オリンピックをやれと言われてもどうしようもないのである。ネット上その他で盛んに批判されているのも当然といえば当然。
 そして、東京オリンピックパラリンピック組織委員会日本看護協会に大会の医療スタッフとして看護師500人の確保を依頼したことも問題になっている。とりわけ医療現場からの声は深刻である。以下「スポーツ報知」の報道。
「組織委の突然の要請に、医療現場からは悲痛な声が上がっている。東京23区内の病院に勤務する看護師たちは、この報道を耳にし、現状を赤裸々に語った。〈もともと、大前提として医師、看護師不足が大きな問題としてある中、さらにコロナで病床はひっ迫、経営は赤字の状態。非常に苦しい。これ以上、どこから500人も看護師を出す考えなのか分からない。病院ではコロナ対応に人員を割かれ、一般病棟も人手不足の中、懸命に働いている〉。医療スタッフは競技会場や選手村の感染症対策センターなどでの仕事が中心になると言われている。西日本にある病院勤務の看護師は苦しい胸中を語った。〈感染者が少ない県から人員をかき集めれば500人は集まるでしょう。ただ、わざわざ感染しに行くような場所に行きたくないのが正直なところ。日頃、勤務先から『他県には行くな』と指示されているし…〉。当然、五輪開催について医療現場では〈中止にしてほしい〉という意見が大半を占めている。…仮に開催されたとしても五輪後の感染拡大に懸念の声が高まっているといい、現場では政府への不信感を募らせている。」
 そんななか、5月3日には安倍前首相がBSフジ番組で「夏の東京五輪パラリンピックについて〈菅義偉首相や東京都の小池百合子知事を含め、オールジャパンで対応すれば何とか開催できると思う〉と述べた。〈日本だけではなく、世界が夢や希望が持てる、そういう大会にしていきたい〉とも語った」とか。(「産経新聞」2021.05.03)
 「オールジャパンで対応」って何のことだか? この期に及んで「夢や希望」について語りますか! ひたすらあきれ返るしかない。具体的な方針や対策を示すこともできないまま(示せるはずがないのだが)、開催に執着するのはもう止めにしたらどうか。むしろ、今こそオリンピック・パラリンピックは中止すると国の内外に向かって宣言する潮時ではないのか。とくに国内に向けての開催中止のメッセージは大きな意味を持つのではなかろうかと私は思う。
 緊急事態宣言も3回目で、もしこれで感染抑え込みに今までとは次元の違う成果ないし展望が得られなければどうなるのか。2回目までと同じように感染者数、重症患者数、病床逼迫度、死者数が一定程度減少した段階で宣言を解除して、飲食店や大型商業施設などへの営業控えや時間短縮の要請を緩和し、国民には自粛を求め続けつつ様子を見よう、ワクチンも接種し始めていることだし何とかなるのではないか、そこに期待するしかない、というのが政府の考えなのだろう。それ以外に何か積極的な具体策を講じているようには見えない。しかし、もし今回も1回目2回目の緊急事態宣言と同じ轍を踏んで、宣言解除後に感染者が増えるようなことになればどうするつもりなのか。リバウンドは絶対に阻止する、4回目の緊急事態宣言はありえないという覚悟ができているのだろうか。1回目の非常事態宣言が出されていた昨年のゴールデンウイークに比べてどこも今年は人出が多くなっていることが繰り返し報道されている。政府の言う事に耳を貸す気を失いつつある人が増えているのである。4回目の非常事態宣言などということになれば公然たる軽視が始まるだろう。
 オリンピック開催のための医療体制は決して小規模なものではないはずである。看護師500名確保は氷山の一角に過ぎないのではないか。そんな医療体制を構築できるのか。他の医療に犠牲を強いることなしにできるはずがない。7月にコロナが収束していることはあり得ないし、コロナ対策を怠らないようにすればそれ以外の医療がおろそかにならざるを得ない。どこかにしわ寄せが行く。オリンピック強行が現在でもすでに危惧されている医療崩壊へ続く危険な一方通行路であることぐらいみんな分かっているはずなのに。
 ここで、ちょっと視点を変えてみよう。東京オリンピックパラリンピック開催にあたってIOCJOC、東京都の三者が締結した開催都市契約というものがある。この第66条は契約の解除に関する規定であり、IOCが契約を解除して、開催都市における本大会を中止する権利を有すると定めている。契約解除該当事由のなかに戦争状態や内乱と並んで「IOCがその単独の裁量で、本大会参加者の安全が理由の如何を問わず深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠がある場合」が挙げられている。要するに、選手の安全が守られない恐れありと判断すれば、IOCは大会を中止する権利があるというのである。なるほど、そういうことか。で、以下は私の空想。
 ひょっとすると、日本のオリンピック関係者はIOCがこの権利を行使するのを待っているのかもしれない。条文によれば大会を中止する権利を持つのはIOCであってJOCでも東京都でもない。IOCが選手の安全が脅かされると判断すればよいのである。日本側としては中止を言い出す権利がないのだから、あくまで開催に向けて最大限の努力をすることにする。批判覚悟で看護師500人派遣を要請したのもその一環である。その結果はしかし、選手の安全が確保できるまでに至らなかったとIOCが判断し、日本の献身的努力に深く感謝しつつ中止を決定する。こんな脚本ができていると考えるのは妄想か? 妄想でしょうね。
 ここはやはり、日本が中止を決めるべきではないのか。最大の影響を受けるという点で最大の当事者である日本は、コロナを想定していなかった開催都市契約に制約される必要はないだろう。国内のコロナ対策に全力を挙げるためにオリンピックは中止せざるを得ないと明言すべきでないのか。事実もその通りであって、今回の緊急事態宣言下で徹底したコロナ対策を取るつもりならばオリンピックに割く余力などないはずである。看護師500人派遣に関して菅首相は休業中の方もいるのだから可能だというようなことを言ったけれど、それなら人手不足にあえいでいる医療現場になぜ今すぐ派遣しないのか。首相会見は図らずも政府が現状打破のために全力を尽くしていないことを露見させてしまった。
 どんな実効的な対策が必要なのか? 私がまず考えつくのは、ウイルスを運ぶ人、それも発症せずにウイルスを運ぶ人を減らすことが重要で、そのためにPCR検査を飛躍的に拡大して感染者を見つけ出し、他の人との接触を遮断することである。まあしかし、私の素人の思いはさて置くとして、専門家の皆さんにはしっかり考えていただき、忌憚のない意見を政府や自治体に言っていただきたいものである。政治や経済への配慮に縛られなければ対策として考えられる事はたくさんあるのではないだろうか。こんな対策が必要なのだが現実には無理だろうなどと斟酌せずにズバリ専門的意見を言ってほしい。菅首相も口癖のように「専門家の意見をよくお聞きして」と言っているのだから。
 そして最後にひとつ。是非、日本政府にはオリンピック・パラリンピックの中止を明言してもらいたい。東京都やJOC任せにするのではなく、またIOCの顔色をうかがうのではなく政府主導でやってほしい。それも今すぐに。緊急事態宣言を出している今を逃すべきでない。オリンピック中止決定と緊急事態宣言をセットにして政府のやる気を示し、国民の理解と共感を得、実行ある対策を打つ。これしかないのではないか。