東京オリンピックが可能という理屈は可能か?

 東京オリンピックパラリンピックについてIOCや日本の組織関係者のトップの人たちは相変わらず開催の姿勢を崩さず、バッハIOC会長などは私たちの神経を逆なでするような発言を繰り返している。とりあえず現時点では、この人たちが事態を冷静に直視し、日本国民の多数意思を尊重し、意を翻して開催中止の判断に至ることは期待できないと考えざるを得ない。立場もあるだろうし、私たちには測り知ることのできない思惑でもあるのだろう。無理が通れば道理が引っ込むとでも踏んでいるのか。開会予定まであと2ケ月足らず。日本国民の多数が反対の意思をはっきり示す必要が大きい。とはいえ、国民のすべてが反対しているわけではなく、開催賛成、あるいは開催やむなしという意見もある。JOC組織委員会関係者ならいざ知らず、そうでない人がいったいどういう論理で開催賛成と考えるのか、開催することに道理を見出すのはいかにして可能なのかが気になる。そんな折、「現代ビジネス」(5月24日)に「IOCの言うとおり、東京五輪は〈開催可能〉だ…その理由を説明しよう」という記事を見つけ、興味をひかれた。
 読んでびっくり。開催可能の論拠として挙げられているのはワクチン接種が今後進捗することが予想されるということだけ。そのうえで、予測通りならば、東京五輪はコロナに打ち勝ったといってもいいだろうと結論付けているのである。恥ずかしげもなく、このずさんな理屈にもならない理屈を垂れ流している筆者は何者かと見てみれば高橋洋一となっている。あれ、あの「さざ波」「屁みたいなもの」発言の高橋さんかと思って調べたら、5月24日付で内閣官房参与を辞任したあの高橋さんであった。
 まず冒頭、高橋氏は、IOCが東京が緊急事態宣言下にあってもオリンピックを開催する考えであるのを受けて、「東京における新型コロナの状況、五輪が国際ビジネスになっていることを考慮しても、筆者にとっては〈そうだろうな〉という感想だ。IOCは、各種テスト大会ができていることやワクチンの接種状況を理由としたが、それらも2ヵ月のイベントビジネスとして考えれば、違和感はない」と述べている。率直といえば率直、あけすけといえばあけすけ。オリンピックが国際ビジネス、イベントビジネスであることを、たとえそう思っていても、悪びれもせずにここまで平気で口にする人ってあまりいないのではないか。高橋氏は多分、ビジネスはビジネスだからそう言ったまでだ、何が悪い、現実を糊塗してスポーツの祭典などと美化しても何も始まらない、とでもおっしゃるかもしれない。現状無批判肯定論者の面目躍如たるところか。
 そして、高橋氏は、自分のワクチン接種予約体験(地元医療機関ではだめだったが自衛隊の大規模接種会場での予約が取れたこと)を述べ、さらに、防衛省の予約システムの脆弱性をめぐっての政府側とメディアとのやりとりにも言及している。それに続いて、河野大臣が薬剤師をワクチンの注射打ち手として活用する可能性について明言したことに触れ、次のように論じている。「大手マスコミは、4月26日の通達を正しく報じていないので、歯科医師と薬剤師で何がどう違うのかが、さっぱりわからない。その通達は、(1)歯科医師の協力なしにはワクチン接種ができない状況にある、(2)筋肉内注射の経験か研修を受けている、(3)被接種者の同意という条件があれば、医師法第17条との関係では違法性が阻却され得る、と書かれている。…このロジックであれば、米国で行われている薬剤師、英国で行われている研修生も可能だ。そこで、河野大臣は、薬剤師を検討対象として上げたのだ。この種の議論は、国会でも既に行われているおり、東徹参院議員らが既に厚生労働委員会などで政府に要求しているものだ。これはマスコミにとって不都合なのか、どうしてマスコミが報道しないのか不思議で仕方ない。」
 歯科医師を注射の打ち手として使うならば薬剤師だって可能なはずで、それに向けた議論が始まっているにもかかわらず、大手マスコミは報道していない、けしからん、という主旨。でも論理がずさんだし、事実にも反している。4月26日の通達というのは厚労省自治体に宛てた事務連絡文書で、歯科医師をワクチン注射の実施者とすることの法的論点と条件を整理したものである。薬剤師については一言も触れていないので、正しく報じようが報じまいがこの通達から歯科医師と薬剤師の違いが分かることはない。高橋氏の言いたいのは、この通達が示している歯科医師を注射打ち手とする条件は薬剤師にもそのまま妥当するので、「通達」を正しく報道しさえすれば薬剤師活用の可能性もおのずから明らかになるということらしいが、薬剤師の資格や就業実態(高橋氏には自明のことであるとしても)の検証抜きでいきなり歯科医師と同じだと言い張るのは論理上の手続き無視でしかない。さらに、この種の議論はマスコミでも報道されている。報道しないという文言は事実に反する。以下にそのいくつかの報道事例を挙げておく。
河野太郎規制改革相は18日の閣議後の記者会見で、新型コロナウイルスのワクチン接種の打ち手を確保するため薬剤師の活用を検討すると表明した。現在、接種できるのは医師、看護師、歯科医師に限る。〈薬剤師も次の検討対象になる)と明言した。」「日本経済新聞」5月18日
「薬剤師による新型コロナウイルスワクチンの接種について、日本薬剤師会の山本信夫会長は19日、〈要請があれば協力できるように研修内容の検討を始める〉と発言し、前向きな姿勢を示した。」「読売新聞」5月19日
新型コロナウイルスワクチンの〈打ち手〉が不足している問題について、立憲民主党は21日、薬剤師もワクチンを打てるように法整備などを求める要望書を田村憲久厚生労働相に提出した。政府に早急に決断するよう促している。」「朝日新聞」5月21日
菅首相は24日、官邸で日本薬剤師会の山本信夫会長と面会し、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種が円滑に進むよう協力を要請した。山本氏は〈薬剤師としても最大限の協力はさせていただきたい〉と応じた。山本氏は面会後、記者団に〈(ワクチンを)打つための接種体制の整備、確保のために薬剤師もほかの医療職と一緒に頑張ってほしいという要望を受けた〉と説明。〈打ち手が足りず、薬剤師もやれといわれれば、私どもは決して逃げることなく対応する覚悟を持っている〉とも述べた。」「産経新聞」5月24日
 高橋氏によれば、マスコミはワクチン接種体制整備に向けての動きを伝えるのは自分にとって不都合だと考え、報道していないということになる。しかし、マスコミ側は不都合だとは考えていないで報道しているというのが事実である。なぜ「不都合」などという見当はずれの憶測が出てくるのか。ここから先は私も憶測してみよう(見当はずれでなければいいのだが)。高橋氏は、マスコミがオリンピック中止へと傾いている国民の気持ちに迎合して、コロナの危険を誇張し、オリンピック中止を煽るような報道ばかりやっている、国民に媚びを売ることを旨とし、IOCバッハ会長やコーツ調整委員長の配慮を欠いた発言、自治体での海外選手の相次ぐ事前合宿中止決定、中止すべきではないかという様々な人の意思表示、海外メディアが示すオリンピック開催への懸念、小池都知事対丸川大臣のバトル等々、オリンピックに水をかけるよう報道ばかりをしている、と見ているのであろう。それに比べると、オリンピック開催を後押しすると高橋氏の考えるワクチン接種に薬剤師を活用する問題はマスコミにとって不都合なテーマであり、マスコミはこれを黙殺していると高橋氏は理解しているのである。しかしこれが誤解であって、マスコミがこの問題を報じていることは前述のとおりである。
 高橋氏の拠り所は日本の感染者数割合が欧米諸国に比べて低いということと、ワクチン接種がうまく機能するだろうということの2点である。感染者数割合とワクチン接種は相関的に論じるべきというのが氏の持論である。「原則として感染の拡大が深刻な国・地域から行われている」ので日本のワクチン接種率が低いのも異とするに足らずということになる。「4月19日時点で、世界84ヶ国で日本は71位と下位であるが、感染度合を加味すると、日本はほぼ平均の45位だった。現時点の5月21日ではどうか。世界112ヶ国で日本は80位であるが、感染度合を加味すると42位と平均よりやや良くなっている。5月24日から大規模接種が東京、大阪でスタートするので、日本でのワクチン接種は加速するだろう。もし、これから新型コロナ感染状況が極端に悪化せず、ワクチン接種が予定通りに進むのであれば、他国が今の順位のままで単純に考えると、2ヶ月後の五輪開催時に、日本の順位は感染度合を加味しない場合で25位程度、加味すれば10位程度と予想される。その予測通りなら、東京五輪は新型コロナに打ち勝ったといってもいいだろう。」
 71位と80位が接種率そのものに基づく順位であろうことは理解できるが、感染度合いを加味した45位と42位とがいったいどのような数値に基づく順位なのか不明である。接種率を感染率で補正するための変換式とその結果の数値が示されなくては、45位から42位へとか言われて私たちは何を納得したらよいのか。感染度合いを加味して42位といった数字はいったい何を論証するものなのか。42位と言えば日本の状況がそれほど悪くないことが分かるのであり、これで十分、それ以上の説明は不要だと高橋氏は考えているのか。もし引用している「Our World in Data」に何らかの説明があるならば、その説明をも載せるべきであろうし、高橋氏自身の変換操作によるのならば、なおさら説明しなくてはならないはずである。
 さらに理解不能なのが、2ヵ月後には日本の順位が単純数値で25位、感染度合いを加味して10位程度という予想。完全に根拠不明。他の国だってワクチン接種は加速するだろうし、新型コロナ感染状況を悪化させないように手を打つだろう。なぜ日本だけ状況が改善されるのか。もちろん日本人誰しも日本のコロナ対策が充実することを願っているが、そのことと、こんないい加減な数字を弄ぶこととは別物。無責任そのもの。そして、最後の1行こそ無責任の極み。「その予測通りなら、東京五輪は新型コロナに打ち勝ったといってもいいだろう」。このうしろに是非(笑笑)と付けたいところである。ワクチン接種が進んで世界10位(そもそもこの数字がでたらめで、意味がない)になることが、どうして東京オリンピックパラリンピックの開催可能の理由となるのか。あまりの論理のずさんさに情けなくなってしまった。
 高橋氏はツイッターで物議をかもしたことの責任を取って内閣官房参与を辞された。菅総理によれば「大変反省をしておられた」とのこと。氏のツイッターからは日本の緊急事態宣言を「屁みたいなもの」と形容した文言は削除されている。さすがにこの下品さはまずかったのだろう。しかし、日本のコロナ感染状況を「さざ波」と呼んだ文言は削除されていない。どうも、大変反省をしておられるようには見えない。
 それで、最後に「さざ波」について一言。高橋氏は資料として「Our World in Data」のデータから国別の感染者数割合を比較した折れ線グラフを挙げている。このグラフを見ればなるほど米国やイタリアは大波状態であって、これ対して日本をさざ波と呼ぶこともあながち的外れとは思えない。しかしこれは、感染者数の多い国と比べた場合であって、感染者数の少ない国と比べたらどうなるか。オーストラリア、ニュージーランド、韓国、台湾、マダガスカル(島国ということで興味がある)と並べてみた。すると日本が大波状態になってしまう。10日ほど前から台湾の感染者急増が気になるが、それでもまだ日本より低い(5月25日現在)。要するに、比較対象によって日本の感染状況はさざ波にでも大波にでもなるのである。さざ波だけを見て大波を無視し、日本の状態をたいしたことはないと言い張るのはいいかげんにやめたらどうか。