東京オリンピックが開催したが

 今日は7月28日。東京オリンピック開会式から6日経過し、日本の金メダルが昨日までで10個となり現在国別のトップ。日本連日の金メダルラッシュという文字もメディア上では踊っていて、やっぱりオリンピックやってよかったのではないかといった雰囲気がないこともない。とくに、3日前の柔道阿部兄妹、一昨日の卓球混合ダブルスの水谷と伊藤、昨日のソフトボールは期待どおり、もしくは選手には失礼な言い方になるかもしれないが、期待以上の活躍で、日本中を沸かしたのは間違いない。オリンピック開催にこだわった人たちの大喜びが目に見えるようである。では、反対した人たちはどうか。もちろん祝福している。おめでとうという気持ちはオリンピック開催に反対の考えとは矛盾しない。私のように開催反対で、かつ、国ごとのメダル獲得数を比較して一喜一憂する風潮にうんざりしている人間でも日本選手の活躍には声援を送る。
 それで気になるのは「手の平返し」という攻撃。これまで開催に反対ないし消極的であった人たちやテレビ番組が手の平を返したように日本人選手を応援し、メダル獲得を喜んでいるではないか、という批判である。この意地悪で安易な見方が結構多い。でも、開催反対と選手応援とは矛盾するものではない。開催反対とは、開催に伴うコロナ禍拡大の様々な危険性を見て見ないふりをし、安全安心を呪文のように唱えるだけで明確な根拠は示さず、やればなんとかなるだろう、やってみなけりゃ分からない(としか理解できない)という姿勢で開催へと突き進む無責任ぶりに対する批判であり、日本人の健康と命を元手に国がギャンブルをすることに対する反対である。ギャンブルであるからひょっとして当たることもある。つまり、大過なくオリンピックを全うできることもありうる。でも、やはり政策としてギャンブルを選択することは間違いではないのかという批判が反対の根底にある。結果いかんにかかわらず、開催か中止かの事前の選択肢のなかで中止を選ぶことが政策として正しいあり方であるというのが反対の要点である。オリンピックがうまく行ったからといって(まだ分からないが)、反対が間違っていたということにはならないのである。この点は重要だろう。
 そして、オリンピックが始まった。あとはどうなるのが望ましいか。大会の内外においてコロナ禍が拡大しないこと(大会の外におけるコロナ感染状況もオリンピックと無関係ではない)。選手たちがトレーニングの成果と力を存分に発揮できること。この2つである。私は日本人であるから日本選手が活躍すればうれしい。でもこれは、オリンピックがうまく行ったかどうかとは関係ない。日本が金メダルをたくさん取ったからオリンピックは成功だった、開催反対は間違いだったというような馬鹿な議論はゆめゆめやることなかれ。あくまでも先に挙げた2つが重要である。そして、その2つはどうか。かなり厳しい。昨日の東京コロナ新規感染者は2848人で過去最多。恐ろしいとしか言いようがない。3000人! 4000人! 5000人! 悪夢のように数字が膨らんでしまう。東京都福祉保健局の吉村局長は、「年明けの第3波のピークの時とは本質的に異なっているので、医療に与える圧迫は変わっている。入院患者は確かに増えてきているが、すぐに第3波のような状況になるとは認識していない」。「医療機関の負担が増えていないことはないと思うが、第3波の1月と比べれば格段の差があると思う。いろいろな、医師に聞いた感覚的な話だが、まだ1月みたいな雰囲気ではないと思っている」。「いたずらに不安をあおることはしていただきたくない」と言っているが(27日NHKニュース)、どこまで真に受けていいのか。
 そして、選手たちのプレーする環境。トライアスロンの選手がゴール後倒れ込んで嘔吐するとか、テニスのジョコビッチが試合時間を夜に移すことを求めたとかが報道され、最初から分かっていたこととはいえ、酷暑の東京が改めて浮き彫りになってきている。東京(1964)とメキシコシティー(1968)のオリンピックで連続して金メダルを獲得した重量挙げの三宅義信氏が7月25日の「スポーツニッポン」紙上にオリンピックに寄せる真率な思いを吐露していて、私などは納得することばかりだったが、そのなかで酷暑問題についても次のように述べている。「64年の東京五輪は10月。日本が最も過ごしやすい最高の季節だった。現在のように夏季大会が7、8月開催と決められたのは、テレビ局の意向だと聞く。アスリートファーストをうたったのはこの東京五輪。気温40度に迫るコンディションは、選手にとって望ましい状況ではないことなど、火を見るより明らかではないか。ここにも経済的な問題がまとわりついてくる」。当たり前の指摘であるとはいえ、三宅氏のような人の言葉だと重みがぐんと増す。それにしても、何よりも一番の被害者はアスリートなのだから、もっともっとアスリートたちがこの問題で発言してもよいのではないか。
 昨日までのオリンピック関係者のコロナ感染者数は154。上記吉村局長は「オリンピック関係者で150何人、感染者が出ているが、きょうの〔東京の〕2848人に比べれば軽微だ」と言って、こちらのほうもあまり騒ぐなと言いたいらしいけれど、1日の感染者が数名から10名余りといった状況がいつまで続くか心もとない。選手村でクラスター発生などという事態にならないことを願うのみ。そして、無事にオリンピックが終わり、みんなで冷静になって(メダルの数にはしゃいだりせずに)オリンピックのあり方を考えることができたらよいのにと思う。
 最後に上記手記での三宅義信氏の言葉を紹介しておきたい。「現在の価値観に従った五輪運営の行く先は決して明るくないと、私は考えている。今回の東京五輪開催の最大の意義となるべきは、大会が原点に返るターニングポイントになるということに尽きる。例えば競技数を減らすとか、無駄なイベントを減らすとかして、お金をかけない運営方法を模索することはいくらでもできるはずだ。華美な大会はアスリートのためではない。選手が本当に求めているのは、努力を思い切って発露できる清らかな世界一決定の舞台だ」。