80代で逝った3人の方々

 ついこのあいだ、8月中旬に80代のタレント3人が立て続けに亡くなった。ジェリー藤尾笑福亭仁鶴千葉真一。それぞれの本業は歌手、落語家、俳優。享年は81才,84才,82才。かつてテレビに慣れ親しんだ世代にとっては本当に懐かしい人たちである。それぞれについて私が思い出したのは次のようなこと。
 ジェリー藤尾さんの大ヒット曲と言えば「遠くへ行きたい」で、永六輔作詞、中村八大作曲。この2人の手になるヒット曲は沢山あるが、一番有名なのは坂本九がうたった「上を向いて歩こう」だろうか。これは名曲と呼んでもよいだろう。3人を合わせて689トリオなどという呼び方も人口に膾炙した。「上を向いて歩こう」は世界的にも大ヒットして、「SUKIYAKI」なんて変なタイトルを付けられてしまったが、いずれにせよ、いろんな国の様々な歌手がカバーした。「遠くへ行きたい」もそれに劣らない名曲だと私は思うのだが、こちらは世界的に認められることはなかった。ずっと短調で終始する地味な曲調は、アップテンポの「上を向いて歩こう」(こちらも途中で短調が出てくるようだが)に比べて世界向きでなかったのかもしれない。それ以外にも、たまたま誰それの目に留まったとか留まらなかったとかいった曲の運命もあるだろう(人間と同じ?)。多少の例外はあるかもしれないが、「遠くへ行きたい」をカバーしているのはもっぱら日本の歌手たちで、かなりの数になると思う。それはともあれ、私が覚えているのは、ジェリー藤尾さんがNHK紅白歌合戦」でこれをうたった時のこと。歌詞を忘れるか、間違えるか、そのどっちだったか私の記憶もあいまいだが、多分間違えたのだと思う。彼は「あがっちゃって」と釈明していた。50年、60年昔の「紅白歌合戦」といえばまさに年末の国民的イベント。視聴率も70%とか80%で、今では想像もつかない数字。日本中の人々が見つめていると言って過言ではない舞台ではプロの歌手でさえ平常心ではいられないのか。あるいはジェリー藤尾さんて結構ナイーブであったのかもしれない。
 仁鶴さんはこの30年余りは、「四角い仁鶴がまあ~るくおさめまっせー」のフレーズで始まるNHKバラエティー生活笑百科」の相談室長として活躍される姿が鮮明であった。4年前に奥さんを亡くしてからは自身の体調も思わしくなく番組からも降りていたが、復帰叶わぬままに亡くなった。私が一番よく覚えているのはずっと昔、民放で「ヤングおー!おー!」という番組があり、この司会をやっていた仁鶴さん。私の好きな番組のひとつで、日曜日の夕方には可能な限り家にいて、テレビの前に座ったものである。これは公開収録であり、観客のなかには端倪すべからざる喜劇センスの持ち主(大阪人?)がいて、きわどい掛け声やヤジを飛ばしたりする。例えば歌手の金井克子がうたっている最中に女の子(多分、高校生)が「おねーさま」なんて掛け声をかけたりする。会場はどっと沸き、金井のほうは一瞬戸惑いと恥じらいの表情を見せる。最後に仁鶴さんがまあーるくおさめるといった具合であった。とある駆け出しの漫才コンビの名前を募集し「オール阪神巨人」と決まったのも確かこの番組であった。あと仁鶴さんで思い出すのは「おばちゃんのブルース」。ビルの掃除をしながら育て上げた一人息子は立派なサラリーマンになったけれど、結婚してからは離れていった。でもくじけず生きるお掃除おばちゃんのことを歌いあげる。挿入されるセリフが素敵。「おばちゃん、若い時、だんさんと一緒に行水入ってんてな」「夕焼け空に、おばちゃんの顔、きれいななー」。
 千葉真一さんは俳優というよりアクションスターと呼ぶべきか。アクション映画が趣味でない私は、じつは千葉さんの映画もドラマもほとんど見ていない。唯一の例外はキイハンターだけれど、特に印象に残っているシーンはない。印象に残っているのは、ドラマでも映画でもなく実物の千葉さん。大津坂本の日吉大社でロケ中の姿を見た。私が坂本での一時的な暮らしを始めたのは10年ほど前からで、本格的に住み始めたのは今から2年少し前。それまでは坂本を訪れることなどほとんどなく、せいぜい2,3度あったかどうか。それが、どういうわけか、40年ほど昔、たまたま日吉大社紅葉狩りに来た折、ロケ中の千葉さんを目撃したのである。撮影の合間らしく、忍びの衣装に身を包んだ千葉さんが橋の欄干越しに川面のほうを眺めながら若手の俳優らしい人物と何やら話し込んでいる。多少の手ぶり身ぶりを伴った話しぶりだが、アクションとはほど遠いもの静かなジェスチャーで、あれこれと教えているといった感じであった。その千葉さんもコロナにやられてしまった。今や日吉大社は私の定番散歩コースになっていてほぼ毎日鳥居をくぐる。千葉さんの訃報を聞いて以来、日吉大社に来るたびに千葉さんのあの姿がよみがえる。
おさんかたのご冥福をお祈りします。