自民党総裁選が近づくが

 菅首相が「コロナ対策に専念したいという思いの中で、総裁選には出馬をしない」「コロナ対策と選挙活動、莫大なエネルギーが必要なのでどちらかを選択すべき」という奇妙な理屈で自民党総裁選に出馬しないと表明したのが9月3日。それまで総裁選に意欲を見せていたはずの総理のこの唐突な翻意に至るまでの経緯をめぐってさまざまな憶測が飛び交い、政局の裏面に通じているらしい政治評論家の皆さんがたが自民党内の動きについていろんな事をしゃべっている。そのあたりの事情などは私など一市民のあずかり知らないところであるが、唯一推測できるのは、菅総裁では選挙が戦えない、次の衆議院選挙で大幅な議席減が待ち受けているという危機感が自民党内に広く行き渡り、それが菅降ろしのベクトルを一挙に加速させたのだろうということだけである。新型コロナ対策で有効な施策を打ち出せないまま手詰まり状態に陥った安倍政権を「継承」し、ひたすら国民に自粛を呼びかけるしかなす術を持たず、ワクチン接種普及にわずかな期待をつなぎながら、オリンピック開催を強行しなければならなかった菅氏は貧乏くじを引いたと言えないこともない。別に同情する気はまったくないけれど。
 さて、その自民党総裁選は今月17日告示、29日投開票の予定。すでに出馬表明している岸田文雄政調会長、出馬の意向を示している高市早苗総務相河野太郎行政改革担当相に加え、石破茂元幹事長と野田聖子幹事長代行も意欲を示しているといった情勢の中で、河野氏が派閥親分の麻生氏と会ったとか、石破氏が二階幹事長と会談したとか、しかし石破派内には河野氏を支持する議員もいて推薦人20人のめどが立っていないとか、安倍前首相が高市氏支持の意向であるとか、麻生派に属する甘利税調会長が「岸田さんにシンパシーを感じている」「事情が許せば応援してあげたい」と述べたとか、岸田派以外の派閥は対応を決めずに様子見であるとか、まあとにかくいろいろ報道されている。さらに、誰が次期首相にふさわしいかの世論調査なども行われており、例えば読売新聞が実施した結果は、河野氏23%、石破氏21%、岸田氏12%などといった数字が出ている。今のところ、実質的に河野氏と岸田氏の争いであると見る向きが大勢を占めているようだが、麻生氏が安倍氏に同調すれば高市総理なんてこともあり得ない話ではないなどとぶち上げる週刊誌の記事もあったりして、予断を許さない側面を含む今回の自民党総裁選は、前回の菅氏が選ばれた時とは全く異なった様相を呈している。これを面白がっている人もいるが、私は面白いとは思わない。
 しょせん自民党の総裁選びであり、自民党内部での権力争い。政策上の違いのほとんどない候補者同士がたとえしのぎを削るような厳しい戦いを繰り広げたところでどれだけの意味があるというのか。候補者の人柄性格云々といった枝葉末節の議論(リーダーシップを発揮できるのは誰か、国民への発信力を持つのは誰か、等)にもうんざりさせられる。重要なのは政局ではなく政策ではないのか。新型コロナ対策も含めて今の日本が置かれている状況をどう打ち破っていくのか、安倍政治を継承した菅政治を継承しない政治はどうあるべきかを模索すべき時に、派閥力学に基づく駆け引きに血道を上げている場合か。そんなのコップの中の嵐でしかないと言っても過言ではなかろう。ドタバタ喜劇と言ってもかまわない。誰が選ばれようと日本の今後の政治に大きな影響を及ぼす可能性はないのである。河野氏は大臣になって以後は脱原発も言わなくなったし、首相となれば、そんな事、私、言ったっけ、と健忘症発症することまちがいなし。岸田氏は9月2日には、森友学園問題の再調査について「国民が納得するまで努力をすることは大事だ」と力説。おや、やる気があるのかなと思いきや、さっそく7日には、この問題での財務省の決裁文書改ざんに関する再調査は考えていないと否定的訂正。安倍前首相が高市氏支持を表明することで岸田氏を牽制し、岸田氏が安倍氏と麻生氏の意向を忖度したと見る向きもある。こんな体たらくであるから誰がなっても日本の政治は変わらない。ただし、万が一、高市氏が首相になるようなことになれば変な波の立つ恐れがあるが。
 それにしてもメディアの政局に大きく傾いた報道姿勢はどうかと思う。この点に関して、4日の「サンデーモーニング」で青木理氏が「・・・一挙に政局ですよね。今もうこの番組もそうですけど永田町も政局一色。一方でコロナの状況はよくなっていない。むしろ深刻で医療にアクセスできずに亡くなる方が出ている状況なのに、政局一色になっている上に、野党が憲法に基づいて臨時国会の召集を要求しているのに、国会も開かずに、これから恐らく総裁選まで自民党の中は政局一色。我々に対して問われるところなんですが、テレビメディアを中心にテレビ、メディアも報道が政局一色になっていってしまう。こういう状況で果たしていいのか。今コロナがこれだけ深刻ななか、政局にかまけている政治、あるいはメディアに疑問を突き付けられるのではと思っています」と述べた。私はまったく同感なのだが、反対の人もいる。
 6日の「情報ライブ ミヤネ屋」で橋下徹氏は「ある番組で政局報道一色になるのは情けないって言った人がいるんですけど、とんでもないですよ。国家権力を作り上げるプロセスっていうのは一番重要で、今日はギニアでクーデターがあったし、アフガニスタンを見て下さいよ。血みどろの権力争いですよ。でも、この平和な民主国家では投票で権力を作り上げる。ここをちゃんと報道することはね、中身は重要ですけど、ものすごい重要なことだと思いますよ」と話している。まず気づくのは橋下流の論点すり替え。青木氏の指摘は政局一色の報道がおかしいと言っているのであって、政局を報道すること自体がいけないとは言っていないのである。逆に橋下氏の言葉を素直に理解すれば、報道は政局一色になるべきだと聞こえるけれど、そのような解釈は「とんでもない」として氏は否定されるだろうか。それからもうひとつ気になるのが「国家権力を作り上げるプロセス」という言葉づかい。自民党総裁選は自民党内の権力構造を作り上げるプロセスではあっても、日本という民主主義国家の国家権力を作り上げるプロセスではない。政権与党の総裁イコール国家権力者という図式は民主主義国家日本においてこそ厳しく排除されるべきなのではないか。橋下氏の権力ないし権力者、ひいては民主主義に関する概念は昔から危険な不確実さが付きまとっていて、気になっていた。氏が大阪市長であった時、新人職員に対して「公務員たる者、ルールを守ることを示さないと。皆さんは国民に対して命令する立場に立つ。学生のように甘い人生を送ることはできない」と訓示しているニュースを見て驚いたことがある。公務員は国民に命令する、というのである。とすれば、大阪市の公務員の長たる橋下氏は最大の命令権を持つ人物であると自分を考えているのか。大阪の皆さん、こんな人を市長にしてどうもないのですかと余計な心配もした。他にも氏は、気に入らない報道機関の記者を吊るし上げにする(もちろん言葉で、ではあるが)とか、従軍慰安婦問題に関して「人間に、特に男に、性的な欲求を解消する策が必要なことは厳然たる事実。現代社会では、それは夫婦間で、また恋人間で解消することが原則になっているが、時代時代に応じて、さまざまな解消策が存在した」ので慰安婦制度が必要だったとか言ったりと、いろいろ物議をかもしだした。おっと、おっと、脱線してしまった。
 とか言いながら、さらに橋下氏の言葉を引用する(!)と、氏は岸田氏について「政治って結局、戦(いくさ)なんですよ。権力をつかむってことで。去年の総裁選の時、番組で共演した時は・・・ものすごい物腰柔らかい紳士のような感じだった。昨日・・・武将になってました・・・完全に戦闘モード」「最初のパンチ、自民党の役員3期までって言うことは明らかに二階さんの首を飛ばすぞってことですから。二階さんという最大の権力者の座にいた人を食い飛ばすというケンカをふっかけたことで、自民党の中でガッと評価が高まって、完全に武将になってますよ」と話している。ここは橋下氏の言葉を信用することにしよう。すると、やっぱり総裁選って自民党内の権力闘争であるということがますます明白になる。
 告示まであと9日。期待はしないけれど、立候補者や周囲の人たち、マスコミの論調などにそれなりに注目はしておきたいと思う。