19世紀フランス小説を読みながら考えた安倍元首相国葬問題

 小説を読んでいると、本筋とはあまり関係がなく、従ってあまり重要でないくせに素通りすることができず、立ち止まって考え込んでしまう箇所に出くわすことがときとしてある。読書時点の現実世界で問題になっている事柄に触れるような箇所が小説世界からひょっこりと顔を出すのである。最近の私の体験では、例えばフロベールボヴァリー夫人』第3部第2章の次のような一節が安倍元首相の国葬問題と関わってひょっこりと顔を出した。(以下、山田𣝣訳による)。
 「シャルルは父親のことを考えていた。今まではこちらからほとんど愛情らしい愛情を感じたつもりのない人なのに、急にこうまでしたわしく思えることが不思議だった。ボヴァリー老夫人も夫のことを考えていた。昔、不幸のどん底かと思った日々すらも、追憶の目にはかえってなつかしかった。あんなにも長かった夫との明け暮れをしのんでは、本能的な哀惜の思いがいっさいを水に流した」。
 これは、主人公エマの夫シャルルの父親(やはりシャルルという名)が死んだときの叙述である。父親シャルルは息子シャルルに対して愛情と理解あふれる父親であったとは言い難く、また、妻に対して思いやりと誠実さをもった夫であったとはとうてい言えない男であった。女がハンサムな男に惚れこみ、男が持参金目当てというのがスタートであった結婚生活はうまく行かず、「昔は気さくで情の深い女だった」妻は「年をとるにつれて(ちょうど気のぬけたぶどう酒が酢になるように)、がみがみどなる、ヒステリックな、やかまし屋」になり、夫が「村の娘と見れば相手かまわず追いまわ」し、「夜ともなれば数知れぬ悪所から正体もなく酒くさい息を吐きながら帰って来る」のに苦しめられる。ついに彼女は「怒りを内攻させた忍苦の無言の行にはいり、死ぬまでその行をつづけた」。「代言人や裁判長をたずね、手形の期日を思い出しては、猶予を乞うた。家ではアイロンをかけ、縫い物をし、洗濯をし、職人の仕事ぶりを見張り、勘定を払った」。夫のほうは「年がら年中浮かぬ顔で居眠りにほうけ、目をさませば細君をいびるばかりで、暖炉のわきで煙草を吸っては灰のなかに唾を吐いていた」。
 家の内と外、家政も家計もすべて妻が引き受け、ひたすら耐える人生。大革命で認められた離婚が王政復古とともに再び禁止されていた時代背景があるのかもしれないが、とにかく家族崩壊状態。このように自堕落で無責任な夫との暮らしを、しかし夫の死んだ今、彼女は追憶して懐かしむというのである。そして、死者への哀惜の思いがいっさいを水に流すというのである。なぜそんなことが可能なのか。今さら死者をなじってみたところで何も始まらないから何も言わないでおくだけのことなのか。どんなに低劣な人間であっても死んでしまった家族は懐かしいものなのか。死者を鞭打たないのは人間らしい思いやりなのか。いろいろと考えられる理由はどれもあてはまらない。つまるところは死というものの持つ浄化作用がものをいうのである。人間には死者を哀惜する本能がそなわっている!? そして、どうもこの本能は家族間に限定されたものではないらしい。
 さて、安倍氏。もちろん安倍氏は父親シャルルのようなひどい人間ではない。二人を同列に論じることはできない。凶弾に倒れた氏を国民の誰もが悼んでいる。そんなことは重々わきまえたうえで言うのだけれど、安倍氏の場合にも死の浄化作用は起こりえるのであり、現に起こっているのではないか。あるいは起こそうとしているのではないか。非業の死を遂げた元首相に対して批判的な言辞を弄するべきでないというような雰囲気を盛り上げ、行き着く先が国葬国葬を主張する人たちは死の浄化作用に期待していて、加計・森友問題も桜を見る会問題もなかったことになってほしいのだろう。安保法制とかアベノミクスもよい政治であったということにしてしまいたいのだろう。けれど、スキャンダルを含めた安倍氏の政治はやはり政治家安倍晋三の功罪として、死と切り離して評価しなければならない。いっさいを水に流してはならない。これ、当たり前のことなのだが。
 国葬という儀式に関連してスタンダール赤と黒』に興味深い箇所がある。第1部第18章。この章は「ヴェリエールにおける国王」とタイトルがついていて、フランス国王の地方都市ヴェリエール訪問が描かれる。そのさい、レナール町長夫人がいとしのジュリアンを親衛隊に加えるべく動き、ジュリアンの晴れ姿に彼女の喜びもひとしおというエピソードが語られる。それと並ぶエピソードが、ヴェリエール近郊のブレ・ル・オ修道院に安置されている聖クレマンの遺骨の国王による参拝。ジュリアンは司祭長に任ぜられたシェラン師の副助祭としてこの礼拝に参加し、国王と司教を間近に見る機会を得る。ヴェリエールの町もこの修道院の周囲も人々で埋め尽くされている。(以下、桑原武夫生島遼一訳による)。
 「司教の演説がおわると、陛下はそれに答えられてから、天蓋の下に進み、次にうやうやしく祭壇の前の小蒲団の上にひざまずかれた。・・・謝恩の頌歌(Te Deum)がうたわれ、香の煙が立ちのぼり、小銃と大砲がひっきりなしに発射された。百姓どもは幸福と法悦に恍惚としていた。急進党〔ジャコバン〕の新聞が百号かかって築いたものも、こういう一日ですっかり駄目にされてしまうのだ」。
 名は明示されてないが、この国王はシャルル10世(在位1824~30)である。ルイ15世の孫で、大革命後に亡命し、王政復古期(1814~1830)にはユルトラ(過激王統派)として活動し、即位後も貴族復権をめざす反動的な政策をとった人物。この国王自身が遺骨礼拝をどのような意図で行ったのか、純粋な宗教心によるものか政治的意図によるものかは小説のなかでは触れられていないので分からない。はっきり書かれているのは宗教儀式の持つ政治的効果が絶大なものであるという点である。百姓どもは恍惚とし、国王がどんな政治をしているのかなどは忘れ、かくしてジャコバンの百日の努力も一日にして水の泡となる。国王にとってこれ以上の政治的パフォーマンスはないだろう。
 21世紀の日本国民は19世紀のフランス農民とどれほど違うのか。政治的に成熟しているのか。死や葬式とは性質が異なるが、選挙のたびにタレントや歌手や元スポーツ選手(今回の参議院選挙ではついにユーチューバ―まで)が担ぎ出され、当選するという構図を見ている限り、有権者が成熟しているとは言えないのではないか。地道に訴えられる政策に耳を貸すより知名度や耳障りのよいフレーズ、あるいはお祭り騒ぎに恍惚とはしないだろうが悪乗りする人たちは結構多いのである。(ほんとうは、政治が成熟していないのかもしれないが)。
 安倍元首相の国葬。いくら批判されても政府・自民党は引っ込めなどするはずがないし、反対する人っているのですねと高を括るだけだろう。ひょっとして、広告代理店に式の演出を発注し、効果的に国民の哀悼の気持を表現した形にするべく、○○クリエーターといった人々を動員しないとも限らない。オリンピックと同じ乗りで。そうなると、オリンピックは感動、国葬は哀悼という違いがあるだけで、国を挙げての一大イベントという性格が前面に押し出される点は同じである。いやいや、先走りし過ぎてしまった。国葬の演出について私が詮索しても始まらない。ともあれ、世界から多くの哀悼の意が寄せられることは確実で、加えて、偉大な政治家安倍晋三というオーラを発散でき、安倍政治に対する批判がさらに遠慮がちになってしまえば政府・自民党としては願ったり叶ったり、ますます好きなように政治ができるというわけである。国葬にこだわる主張は宗教的なものではなく、極めて政治的なものなのである。まあ、初めから誰も宗教的なものだとは思っていないか。
 死者の生前の政治をどう評価すべきかに関してモンテーニュがもっともなことを言っているので、最後にそれを引用しておきたい。『随想録』第1巻第3章(関根秀雄訳)。
 「死者に関するもろもろの法規の内、最も動かしえぬもののようにわたしに思われるのは、〈帝王たちの行為はその死後において審判せられねばならぬ〉となすそれである。彼等は、法規と同列のものであって、その主宰〔あるじ〕ではない。正義が、さきに彼等の頭上に加ええざりし所のものを、あとから彼らの評判の上に、彼等の後継者の財寶の上に、即ち我等が往々生命よりも貴しとするそれらのものの上に、加えるのは當然である。實にこの習慣は、これが遵守せられる國々に非常な便益をもたらすのみならず、すべての善王たちのむしろ願う所である。・・・私的な寵遇を蒙ったことを思って賞むべからざる王の記憶を不正に擁護する人々は、己れ獨りの節義を完うすべく天下の正義をなみするものだ。宜なるかなチツス・リヴィウスは言った。〈王様の庇護の下に養われた者の言葉は、常におびただしい衒氣と空なる證言に満ちている。各々別ちなくその王を最上位に押し上げるが故に〉と」。