2022年バイロイトの『神々の黄昏』

 近頃ご無沙汰気味のクラシック音楽を聴こうかという気になって、年末から年始にかけ、NHKオンデマンドの「プレミアムシアター」で過去の番組を興味のおもむくままに見てみた。そのなかにバレーがいくつかあり、これがなかなか楽しい。ベートーベンの『第9』にモーリス・ベジャールが振付けたNHKホール公演、パリ・オペラ座のバレー『赤と黒』、同じくパリ・オペラ座の創立350年記念ガラ公演など。鍛え上げられた人間の肉体はここまで美しいのか。バレーって、飛んだり跳ねたり回転したりするだけではないのである。ダイナミックな跳躍もさることながら、小さなしぐさや顔の表情まで表現力に満ちている。しかも、すべての動作に過剰な部分がない。バレーダンサーの肉体に贅肉がないのと同様に踊りそのものにも贅肉がない。贅肉をそぎ落とした肉体による贅肉をそぎ落とした踊りがバレー芸術と言えようか。
 贅肉がないといえば、音楽にも贅肉のない音楽がある。純粋な音楽。例えばバッハの『無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ』。やはりオンデマンドの「五嶋みどり バッハを弾く」で全曲演奏を聴き、見た。バッハが宮廷楽長を務めたケーテン城での収録。ひたすら耳を傾ける。「ほかの音楽からの引用や旅から得たひらめきで作られたものではなく、バッハ自身が内に秘めていたものから作られています」という五嶋さんの言葉に納得。ヘーゲルが同じようなことを言っていたと思い、後で調べてみた。『美学講義』のなかで建築や彫刻や絵画と比べつつ音楽について次のように述べている。「音の原理にふくまれる外面性は内面的主観性を表現するのにふさわしい存在」「石や絵具は広く多様な物の形を受け入れ、それをありのままに表現するが、音はそれができない。・・・音楽の中心課題は、対象となる物ではなく、内奥の自己の主観的で観念的・心情的な動きを、そのまま音として響かせること」(長谷川宏訳)。
 もちろん音楽も100パーセント純粋になることはできない。楽器の干渉を排除することだけは不可能であり、それゆえ音が音自身によってのみ存在することはできない。バイオリン、ピアノ、人間の声など、音を出す手段により、同じ楽譜(楽器が違えば完全に同じ楽譜はあり得ないから、ほぼ同じ楽譜というべきかもしれないが)から違った音楽が生まれる。それでも原理的に音楽は他の芸術に比べて純粋である、あるいはもっとも純粋に近づきうる芸術であると考えられる。そして、なかでも一本のバイオリンで演奏される『無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ』のような作品は純粋性においてきわだっているといってよかろう。
 しかし、音楽は純粋性を志向するとは限らない。むしろそうでないほうが普通かもしれない。標題音楽や描写音楽といったものがあるだけではない。行進曲はどうか。言葉と一体となった歌曲があるし、民謡も軍歌も歌謡曲もコマーシャルソングも音楽だろう。バレー音楽があり、映画音楽がある。実際の音楽は現実世界とのつながり、他の芸術との提携を積極的に求めているとさえ言ってよいだろう。その頂点にあるのがオペラ。オペラには音楽以外の要素がいっぱい詰め込まれており、音楽として扱われるだけでなく、芝居としても扱われる。だったら楽劇と呼ぶのがふさわしいかも。音楽、脚本、劇場、大道具、小道具、衣装、振付、照明、そして演出などを考慮すれば総合芸術と呼ぶべきかもしれないが、これは映画なども含む上位概念なのでやはり楽劇と呼ぶのが妥当か。楽劇は音楽の観点からいえば贅肉がいっぱいで、それが魅力でもある。
 バイロイトの観客はガラが悪い。やはりNHKオンデマンドで2022年バイロイト音楽祭『神々の黄昏』を見て、そう思った。ブーイングの激しいこと。カメラは舞台上の歌手やスタッフしかとらえないが、ここはぜひ観客席も写してほしいところであった。興味深い見世物かつ歴史的映像になったはずである。第1幕、第2幕が終わった時にもブーイングはあったが、劇全体が終了すると、待ってましたとばかりにブーイングが鳴り響く。歌手が姿を見せた時には少し和らぎ、拍手も交じってはいたが、指揮者コルネリウス・マイスターに対しては厳しく、演出のヴァレンティン・シュヴァルツ以下、衣装や美術のスタッフ6人が登場するや否や容赦ないブーイングの嵐。もしバイロイトが野外劇場だったら石が投げられていたかもしれない。
 ブーイングはガラが悪いと思うけれど、観客の不満は理解できる。私はこの『神々の黄昏』の映像を3回見た。1回目はなにげなく、餅つき器(正しくは餅こね器だが)のつきあげる餅を丸めたり、あんこをつけて食べたりしながら、太鼓腹のジークフリートやな、などと思いながら眺めていた。そして最後のブーイングで目が覚めた。興味がわいてウェブ上でいくつかの記事やブログを読んでみると、この上演に対して否定的ないし懐疑的な評価しか見当たらない。それでもう一度映像を見た。今度は集中して見ているのだがよく理解できない。訳が分からない。ピンとこない。登場人物や音楽は『神々の黄昏』なのだが、なにかずれている。そこで3回目は、同じバイロイトパトリス・シェロー演出のもの(1980年収録)とハリー・クプファー演出のもの(1991年収録)を見て『神々の黄昏』はこういうものだったはずと確認した後で、2022年のシュヴァルツ演出版に戻った。気になる箇所は停止したり繰り返したりしながら、音楽を楽しむというよりもっぱら好奇心であれこれ詮索しながら見てみると結構おもしろい。

 Festspielhaus in Bayreuth © picture alliance / Eventpress Herrmann | Eventpress Herrmann

◇幕が開いてまず登場するのは3人のノルンではなく、台本にはない女の子と、その子に本を読んでやっている母親らしい女性と、少し離れた所に立つ男性。この3人は指環とブリュンヒルデジークフリートである。この女の子はなんと指環なのである。権力の象徴である指環が愛の結晶である子供の姿を取って、この後ずっと登場する。舞台も炎に包まれた岩山ではなく、普通の家庭の居間。ブリュンヒルデジークフリートが退場すると女の子は眠りにつき、3人のノルンが登場してうたい出す(普通はこの歌から劇が始まる)。そのうちの1人は女の子のベッドのカバーの下から姿を現す。ひょっとしてノルンとその絶望の歌(運命を紡ぐことができなくなってしまった)は女の子の見ている悪夢なのかもしれない。ノルンたちが紡ぐ運命の綱は浮き輪とビーチボールに置き換えられている。
ブリュンヒルデジークフリートの仲はどうもうまく行っていないみたいである。ジークフリートが新たな行動を求めて旅立つのを見送るブリュンヒルデの態度は別れを悲しむ妻のそれではなく、行きたいならさっさとどこへでも行ってしまえとでも言いたげな、どこか投げやりなものを含んでいる。旅の荷物の手渡し方もそっけない。その文脈でブリュンヒルデの歌に耳を傾けると、どうせ私は値打ちのない憐れな女ですよ、あなたは私をバカにしてるんでしょうと拗ねているように聞こえなくもないのがおもしろい。ブリュンヒルデジークフリートの夫婦仲が険悪であるという設定は必ずしも無理筋(台本に対する裏切り)ではないと私は感じた。
◇出立に際してジークフリートブリュンヒルデに指環(女の子)を贈り、それと交換にブリュンヒルデジークフリートに愛馬グラーネを贈るのであるが、指環が人間の女の子になっているのと同じくこのグラーネも人間の姿で登場する。白い髪を伸ばした中年か初老かの男である。この人物はすでに『ワルキューレ』でも登場しているらしい。キャリーバッグを持った彼を連れてジークフリートは旅に出る。グラーネを人間の姿で登場させる試みはこのバイロイトが初めてではない。私はたまたま2008年ワイマル国民劇場ライブ(ミヒャエル・シュルツ演出)のディスクを持っているが、そこでもグラーネは人間になっている。白髪を長く垂らした初老の婦人。しかし、この人間グラーネは理解可能である。彼女が母なるものを寓意していることは劇全体からはっきり見えてくる。ところがこちら2022年バイロイトの人間グラーネは意味不明。もしかしてブリュンヒルデの意向を受けてジークフリートを監視する役?
◇ギービヒ家一族はどうか。飲んだくれのグンター、けばい(としか言い表しようがない)衣装で超グラマーのグートルーネ、ポロシャツでジーパンのハーゲン。部屋の中央には3人がアフリカ(らしい)で縞馬を仕留めた時の写真。部屋にはさらに半透明の袋に入れた象(の模型)らしい物が転がっている。彼らは狩猟が趣味で、動物を殺すことに喜びを見出しているのか。グンターのシャツの胸には〈WHO THE FUCK IS GRANE?〉という上品とは言いかねる一文が縫い取りしてある。劇全体としてグラーネへのこだわりが強すぎるのではないか。グートルーネはスマホに夢中だしドラッグ依存。どうもこの人たちは品格も威厳もあったものではない。現代の軽佻浮薄でいかれぽんちの金持。それが演出の意図なのだろうが、ワーグナーとどう繋がるのか?

◇妹グートルーネをジークフリートの妻とすべくハーゲンは、過去に出会った女性のことを忘れる薬をジークフリートに飲ませるわけだが、この演出では、ジークフリートは薬の入った酒杯から飲むことなく、中の液体をグラーネの頭にかけるのである。緑の液体で服までドロドロになったグラーネ。忘れ薬の力を借りなくてもジークフリートブリュンヒルデのことを忘れてグートルーネに夢中になるということなのか。浮気者ジークフリート? 忘れ薬をかけられたグラーネは、かつての主人ブリュンヒルデのことを忘れるべし、新しい恋に余計な口出しするべからずということなのか。
 この場面でおもしろいのは、ジークフリートが液体でぬれた床で足を滑らせ転ぶところ。これも演出かと思ったが、どうも違うらしい。ほんとうに転んでしまったらしい。病気のステファン・グールドの代役で急遽ジークフリートをうたうことになったクレイ・ヒリーはまともなリハーサルなしで舞台に上がり(休暇中のバリから前日に電話で呼び出されたとか!)、予定以上の液体をこぼしてしまい、それに足を取られたのだろうか。もし彼が怪我をしたら代役の代役はいたのだろうか。怪我で代役といえば、この4日前に上演された『ワルキューレ』でヴォータン役のトマス・コニエチュニーが舞台上で負傷し、第3幕ではミヒャエル・クプファー=ラデツキー(『神々の黄昏』のグンター役)が代わりにうたったという。まだある。そもそも『二ーベルングの指環』を指揮する予定だったのはピエタリ・インキネンだが新型コロナにかかりコルネリウス・マイスターが代わりに振った。ここまで不運に見舞われてよくぞ上演にこぎつけたと言うべきか。不運に見舞われなくともブーイングの嵐には間違いなく見舞われたであろうけれど。
◇グンターとジークフリートが義兄弟の杯を交わす場面が興味深い。いや、いっそグロテスクと呼ぶべきか。二人がそれぞれ腕を切って血を酒に入れ、それを飲み交わす。はずなのだがそうならない。ハーゲンがコップに入った赤い液体を運んでくる。グンターは一口含んで吐き出す。ジークフリートはちょっとだけ口をつける。ハーゲンは血の付いたゴム手袋をはめている。ジークフリートとグンターがブリュンヒルデ獲得へと出発した後にハーゲンが一人残っていると、給仕が運搬用台車に裸で血みどろで痙攣しているグラーネを乗せて運んでくる。給仕の手にはナイフの入ったビニール袋。ハーゲンがナイフを手にしているところで第1幕2場の終了。コップの赤い液体はグラーネの血だったのか?! 


◇動画映像では見られないのだが、『ラインの黄金』でアルベリヒはラインの黄金を盗む代わりに子供を誘拐するということになっているらしい。つまり、この男の子がラインの黄金ないし指環ということになる。しかし『神々の黄昏』では指環は女の子になっている。さらに、男の子の服とハーゲンの服の色が一緒である。ハーゲンは誘拐されてアルベリヒに育てられた男の子なのか。ラインの黄金(指環)、男の子、女の子、ハーゲンの繋がり具合が見えてこない。 
ブリュンヒルデを妹ヴァルトラウテが訪れて、父親ヴォータンの窮状を救うべく指環をラインの乙女たちに返してほしいと頼む場面はあまり奇抜な演出ではないが、1つだけ目立つのはヴァルトラウテの衣装。かつては豪華な服だったようだが今は汚れ、擦り切れて穴が開いている。彼女の様子は、まるで嫁ぎ先の姉のところへ来て実家の困窮ぶりを訴え、何とか助けてほしい、このままだとお父さんが可哀そうと泣きついているような趣である。ブリュンヒルデの左胸に青いバラのタトゥーらしきものが見えて気になるのだがよく分からない。
◇妹を追い返したブリュンヒルデの前に求愛者グンターが現れる。これは変身したジークフリートなのだが、私にはグンター本人にしか見えない。彼は変身兜をかぶっていることはかぶっている。穴の開いた汚れたキャップである。それでもとにかく変身兜ではある。ギービヒ家を出る時にジークフリートが見せびらかしていた鍵も持っている。この2つの点からすれば論理的にはこれは変身したジークフリートであると考えるのが妥当である。しかし視覚的にはグンターである。視覚的にはキャップと鍵という小道具はほとんど効果がない。むしろ効果がないということを示すのが演出意図なのかもしれない。ブリュンヒルデは燃える炎に囲まれた岩山の上ではなく普通の家の居間にいるのであるから、ジークフリートの力を借りずに彼女に近づくことは誰にでもできる。鍵さえあれば変身兜など不必要で、野球帽をかぶったグンターがなんなく侵入してブリュンヒルデを手に入れると考えてもおかしくない。 
 それにまた、このグンター、かなり暴力的である。子供に猿ぐつわをかませて後ろ手に椅子に縛りつけるかと思えば、ブリュンヒルデの首を絞めあげて壁に頭を打ちつける。さらにベッドに押し倒して暴行。幼児虐待と家庭内暴力なのか。そしてグンターは暴力でブリュンヒルデを我が物としたのか。ここまで来るとワーグナーから随分隔たったという感じがする。
◇ハーゲンと父親アルベリヒが出会う場面ではボクシングのサンドバッグをハーゲンが殴っている。アルベリヒはミットを構え、それをハーゲンが打ち込む。父親がコーチで息子が選手。神々に復讐し、ジークフリートを倒して指環を手に入れるためのトレーニングか。
◇しかし、なんといっても最大の不評の的は第3幕。皆さん異口同音に貶している。幕が上がると、空っぽの錆びついたプールの底の水たまりでジークフリートと子供が魚釣りをしている。ジークフリートは頻繁にビール瓶を手にする。3人のラインの乙女は破れコートにハイヒール、サングラスをかけた女性たち。かつてはしゃれたオフィス勤めだったが会社倒産で路頭に迷い出たホームレスか。1人は片方しか靴を履いていない。彼女たちが手にしているのはミネラルウォーターの入ったペットボトル。ライン河が水たまりとビールとミネラルウォーターによって置き換えられているのか。
ジークフリートはハーゲンに槍ではなくナイフで背中を刺されて死に、その後ずっとその場に転がったままである。男たちに担がれてギービヒの邸宅へ戻る場面もない。あの「ジークフリート葬送」が重々しく鳴り響くあいだも転がったまま。私たちの目が見ているものと耳が聴いているものとの乖離が著しい。このように音楽を無視することがはたして正当なのだろうか。
◇グンターはすでに第2幕の途中から白いビニール袋を処分に困ったように持ち歩いていたのだが、ここにきてこの袋をプールの片隅に投げ捨てる。ジークフリートの誠実さを称え、裏切りを嘆き、その彼に対する愛を滔々と歌い上げたブリュンヒルデがポリ容器の液体(ガソリン? さすがに実際に液体は出ないが)を自分の頭からかけた後、白いビニール袋を開けるとグラーネの首が出て来る。ブリュンヒルデはそれに接吻し、抱きしめつつ、ジークフリートの遺骸と並んで横たわる。何ですかね、この首。リヒャルト・シュトラウスの『サロメ』のように倒錯した愛という文脈で理解できるわけでもない。デイヴィッド・リンチャ―監督の映画『セブン』との関連に言及している人もいる。ブラッド・ピット扮する刑事の妻が殺されて、その首が段ボール箱で送られてくる話。関連あるかどうか、私には判断不可能。
◇そしてフィナーレ。燃え上がる炎にブリュンヒルデが愛馬グラーネとともに飛び込む場面などは、ここまでの経緯からしてあり得ない。ジークフリートの遺骸、グラーネの首、ガソリンをかぶったブリュンヒルデがそこに横たわっているだけ。静かなものである。指環を争ってグンターがハーゲンに殺される場面もない。火が燃える気配もない。ブリュンヒルデは最後に上方に腕を伸ばす所作を2回繰り返す。ワルハラも燃えていることを暗示しているのだと私は理解したが、どうだろうか。そして最後におまけが付いて来る。大型プロジェクション画面に2人の胎児が映し出される。『ラインの黄金』の最初でも2人の胎児が映し出されるそうである。胎児に始まり胎児に終わる『二ーベルングの指環』。こうなると私には理解する術がない。
◇◆◇
 バイロイトにおけるブーイングはなにも今回が初めてではない。これまで何度も繰り返されてきた。特に1976年のパトリス・シェロー演出、ピエール・ブーレーズ指揮の『二ーベルングの指環』初演時のそれは有名である。ブーイング派の観客とブラボー派の観客の間で小競り合いまで起こり、警察が出動したとか。この演出はその後若干の手直しが加えられたようだが、映像化された1980年のライブを見る限り、なぜブーイングを浴びせられたのかよく分からない。違和感は感じない。清水多吉『ヴァーグナー家の人々』(中公新書)は次のように記している。「パトリス・シェローの演出は、奇想天外なものであった。彼のねらいは、ヴァーグナー楽劇における神話性の徹底的否定であり、人物、時代設定の完全な現代性であった。・・・ギビフング族の王グンターは、蝶ネクタイにモーニング姿のエスタブリッシュメントであり、梟雄ハーゲンはプロレタリアートの指導者、労働組合の委員長然としている。そのうえ事もあろうに、英雄ジークフリートはヒッピー青年まがいである。したがって、プロレタリアートが、横死したヒッピー青年ジークフリートの棺を担ぐ様は、何やら過ぎ去った60年代後半の思想状況に対する挽歌のようにも思える」。
 1980年ライブ版に見るシェロー演出は年ごとの手直しを加えられたせいかもしれないが、そこまで過激とは私には見えない。しかし、神話性が否定されているという点は確かにそのとおりであり、神話性を否定した演出は必然的なものであったとも思う。『二ーベルングの指環』はとうてい神話や伝説や寓話で終わる作品ではない。北欧神話やゲルマンの英雄伝説、メルヘンといった衣に惑わされてはいけない。権力をめぐる闘争、富への欲望、没落への恐怖、信頼と裏切り、愛と憎しみ。これらを過去の物語としてではなく、現代的アクチュアリティを持ったものとして理解することはまったく理にかなっている。ワーグナーの台本と音楽がそうさせる力を秘めているのである。今では、シェローの演出がワグナーからの離反だとは、たいていの人は考えないだろう。
 今回のシュヴァルツはどうか。シェローのように、初演時の反発も徐々に収まり5年後には認められるという道を進むのか。そうはならないと私は思う。なぜか。ワーグナーからの逸脱が大きすぎ、そのうえ追及するところがよく分からないからである。擦れ違い夫婦になってしまったブリュンヒルデジークフリート、頽廃した富裕層であるギービヒ一族、暴力的なグンター、経済的に困窮しているらしいヴォータンとワルキューレ、ホームレスらしきラインの乙女たち。これらの姿形をとおして現代社会の病理を描こうという意図があるのだろうと私はなんとなく察するのだが、確信はない。とにかく劇全体のイメージが焦点を結ばない。人間の姿を取った指環とグラーネは劇の展開にうまく嵌まり込んでいるとは思えない。女の子(指環)が絶えず登場するのは目障りでさえある。グラーネがリンチされ(たぶん)、首をちょん切られることは必要なのか。興味本位すぎないか。女の子のところからアルベリヒが持ち去るおもちゃの(水?)鉄砲、ハーゲンがはめているメリケンサック、女の子が持ち歩く馬のぬいぐるみなど、小道具の使い方にも疑問が残る。
 『ヴァーグナー家の人々』は『二ーベルングの指環』演出の歴史について次のように述べている。「『指環』の舞台は、多種多様な寓意性をこめて上演されてきている。あのヴァルハラをニューヨークの摩天楼に見立てた演出の仕方もあった。とすれば、黄金の指環にまつわるさまざまな人間の葛藤は、資本主義社会の欲望と権力争いになぞらえられる。また、ヴァルハラをクレムリン宮殿に見立てれば、『指環』の演出は、社会主義社会の権力争奪を揶揄する内容となる。あるいはまた、ラインの三人の乙女にヌード・ダンサーを配し、その他、神々、英雄たちに宇宙服まがいのコスチュームをつけさせ、ヴァルハラを宇宙船のコントロール室にでも擬するなら、『指環』は、『スター・ウォーズ』ばりのエロチック・アクションものになる。これらは、実際に演出され、上演されたもののほんの数例にしかすぎない」。いやはや、いろんなおもしろい演出があったものである。しかも1980年時点の回顧でこれだから、それ以後どんな演出があったことやら私の想像を絶する。
 資本主義社会の欲望と権力争いとか社会主義社会の揶揄への作り替えであれば、好き嫌いは別として、あり得る、つまりワーグナーから逸脱していない、と思う。2013年からのバイロイトにおけるフランク・カストルフ演出の『二ーベルングの指環』は、石油資本をめぐって米国やロシアが争う構図になっていたらしい。『ラインの黄金』ではルート66号沿いのガソリンスタンドとモーテル、『神々の黄昏』ではニューヨークの証券取引所が出て来たりするそうである。私は見ていないので無責任な事は言うべきでないと承知の上で言うのだが、こういった演出もあり得るのではないか。
 こうなれば、是非2022年のバイロイトニーベルングの指環』4作すべてを映像で見てみたいところである。『ワルキューレ』ではジークリンデは最初から身重の状態で登場するという。ではジークフリートの父親はジークムントではないのか。いったい誰が父親? 素直に考えれば夫のフンディングだが、ヴォータンだという説もある。どちらにしても大問題だが、そのような変更がはたして可能なのか、説得力があるのか、自分の目で確かめたい。それ以外にも『ラインの黄金』では保育園に子供がいっぱいいる場面があるとかで、好奇心が疼く。しかし残念ながら映像で確かめることはできない。
 今年の夏も『二ーベルングの指環』は引き続きシュヴァルツ演出で上演されることになっている。指揮はピエタリ・インキネン、ジークフリートをうたうのはステファン・グールドで、昨年の当初に予定されていた顔ぶれである。ブリュンヒルデはキャスリン・フォスターに替わる。アホみたいなことを言うようだが、昨年代役でジークフリートをうたったクレイ・ヒリー、ブリュンヒルデのイレーネ・テオリン、そして今年のグールドにフォスター、皆さん揃って肥満体である。クラシックの歌手は立派な体格の人が多いことは多いのだけれど、よくぞこれだけ太い人が勢ぞろいしたものである。思わず、これも演出の一環かと勘ぐってもみたくなる。シェローなどの演出は神話性を否定するかに見えて権力をめぐる相克を基軸にしていて実は神話性を保持している、神話性の否定を徹底させるためには神や英雄にふさわしい体型の歌手ではなく現代的肥満体型の歌手にうたわせるべきだ、とシュヴァルツが考えたわけではないだろうけれど。今年のバイロイトはどうなるのだろう。またもやブーイングなのか。野次馬としては興味津々。
 音楽の贅肉で始めた今日の駄文も歌手の贅肉の話が出たところでこれにて終了。

 

もみじ三昧

 2年前の秋に馬篭妻籠へ旅行したときのこと。馬篭でハイキングをしていた地元の人と立ち話をしていて、京都から来たと言ったら、京都にはいっぱい見る所があるのに何をわざわざここまで来るの、と不思議がられた。でも、広々した山の眺めは京都の景色とは違いますから(事実そのとおりである)などと返事をしつつ、でも、あまり紅葉を意識して京都の神社仏閣を訪れることはこれまであまりなかったな、そのうち出かけるのも悪くはないか、と考えたりした。それで、一昨日、所用で京都に帰った機会を利用してというのも大げさだが、手軽に行ける何ヵ所かの紅葉をカメラ片手に見てまわった。

 まずは鞍馬寺出町柳から叡山電車を利用。かつては一つ手前の貴船口で下車し、貴船神社から鞍馬山を超えて鞍馬寺まで出るハイキングを何度かしたことがあるが、今は、たとえ散歩に毛の生えた程度のコースであれ、歩き通す元気はない。それで今回は終点鞍馬まで乗り、鞍馬寺だけお参りした。入山料300円。ケーブルカー200円。このケーブルは途中までのごく短いものだが、私は乗って体力温存でき、よかった。帰りは下りだからよいとして、行きは乗るべし。本堂前の石段はかなり急で、私だけでなく皆さん息切れしていらっしゃる。

鞍馬寺

 京都の自宅に一泊し、翌日は自転車をフル稼働。5カ所を訪れ、電車で大津に帰る途中、山科の毘沙門堂にも足を延ばした。

妙覚寺

妙顕寺

【今宮神社】

今宮神社の東門を出た所にある、あぶりもちの茶店

大徳寺

 サイクリング訪問の最後は趣きを変えて植物園へ。大徳寺から東へ向かい、加茂川にかかる北大路橋を超えればそこは植物園への道。入園料は200円。私は70歳以上なので無料。皆さん三々五々のぶらぶら歩き。お弁当を開いたりしている。遠足に来ている保育園児たちの姿も。地元の人が多いみたいだが、観光の方にも勧めたい。

京都府立植物園

毘沙門堂山科駅(JR、京都市営地下鉄、京阪とも)から徒歩15分ほど



樋口一葉『たけくらべ』

 樋口一葉は21篇の小説を書いた。筑摩書房樋口一葉全集』には小説として22篇が収められているが、そのうち『裏紫』は未完なので、完成したものとしては21篇ということになる。『たけくらべ』『にごりえ』『大つごもり』はこれまでに読んだことがあるが、今回、全21篇を読んでみた。いずれもそれほど長くはない。一番長い『たけくらべ』でも45頁、短い『雪の日』『琴の音』などは6頁しかない。簡単に読めるだろうと思っていたが、意外とてこずった。文語文はやはりそれなりにハードルが高い。歴史的背景や文化的背景で分らない点も多々ある。和歌や古典の知識を前提にしているらしい文章も理解できないことが多い。というわけで以下の本を参考にした。①筑摩書房『明治の文学第17巻、樋口一葉』(主な小説12篇と日記の一部を注釈付きで収録)、②学研『明治の古典3、たけくらべ にごりえ』(円地文子訳『たけくらべ』、田中澄江訳『にごりえ』『十三夜』『日記(抄)』を収録、注釈前田愛)、③角川書店『ビギナーズ・クラシックス、一葉の「たけくらべ」』、④岩波文庫にごりえたけくらべ』。(以下①②③④と表示)
 どの作品も2回ないし3回読んでみた。でないと分かりづらい。部分的には5,6回読んだ箇所もある。不思議なことに繰り返して読むと最初分らなかった箇所も分かるようになることが多い。もちろんすべてがそうではないが、繰り返しが理解を深めることは確かである。外国語だとそうはいかない。未知の単語や表現は辞書を引くしかない。しかし日本語なら、知らない語や言い回しが挟まっている文章でも何度か読んでいるうちにもやもした霧が晴れるように納得のいくことがある。今回はそういう体験をした。母語の不思議さというべきか。いやいや、そうではなくて、一葉の名文だからこその不思議なのかもしれない。
 ④の解説(和田芳恵)は、一葉の小説の代表作として『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』『わかれ道』『大つごもり』を挙げている。『たけくらべ』『にごりえ』『大つごもり』を代表作とするについては大方の意見が一致するだろう、たぶん。これがベストスリー。それに次ぐのは何かということになれば、個人的好みによるしかない。私は、『十三夜』は新派の演目にもあり(新派にピッタリ!)、有名な作品ではあるが、小説としての完成度に欠けるのではないかと思う。むしろ『やみ夜』なんかのほうが小説としておもしろい。文章の魅力を味わうなら『ゆく雲』。ストーリーはたわいないが、簡にして要を得た文語文の流れに思わず引き込まれてしまう。というふうに興味をひく作品はいくつかあるけれど、結局は『たけくらべ』に戻る。これは別格。以下は『たけくらべ』のストーリーを追いつつの感想文。
 小説冒頭で物語の舞台が提示される。「廻れば大門〔おおもん〕の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝〔どぶ〕に燈火〔ともしび〕うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来〔ゆきゝ〕にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前〔だいおんじまへ〕と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申き」。この前半部分は多くの情報が省略されていてむずかしい。説明付きの現代口語文になおせば次のようになるだろう。「裏からぐるっと回って吉原の正面入口である大門まで来る道のりは、大門の近くにある見返り柳、これは遊郭帰りの客がここで名残りを惜しんで振り返ったのでそう呼ばれているのだが、その柳の枝と同じくらいに長くて遠回りである。しかしそんな遠回りをせずに裏手からでも、吉原を取り囲むお歯黒溝遊郭の三階の灯りがうつるし、賑わいぶりも手に取るように分かる」。これは翻訳というより解説というべきで、原文の趣など微塵もないが、いくら名文といっても意味不分明のままに読み流せばよいというものではなく、このように理解したうえで改めて原文に戻ると、より深くその魅力を味わうことができるのではないか。
 物語の舞台は吉原の西側、裏手に隣接する大音寺前一帯。お歯黒溝によって吉原から隔てられているが、跳ね橋を下せば出入り可能。住民の多くは吉原で働くという土地。彼らも大門まで回り道をするのではなく跳ね橋を使って仕事に出かけたのであろう。この大音寺前で横丁組と表町組に分かれて反目しあう思春期の子供たちが主人公。
 横町組を取り仕切るのは鳶の親方の息子長吉(16歳)で、頭よりも腕力をふるうほうが得意の乱暴者。親の威光も笠に着ていっぱしの大人気取りだが、金持の正太郎がいて、美登利もいて、大人の後ろ盾もついている表町組には太刀打ちできない。公立学校に通う正太郎と比べ私立学校(多くは江戸時代の寺子屋が小学校に昇格したもので、地縁的な親しみはあったが、設備の点では公立の小学校に劣っていたと②の注)に行っている身としてコンプレックスも感じている。そのような実際的及び心理的な弱点を補うために、お寺の息子で勉強のよくできる真如を横町組に引き入れる。
 藤本真如(15歳)は龍華寺の跡取り息子で、今は長吉と同じ私立学校育英舎の生徒だが、やがて僧侶養成の学校へ入るはず。かば焼きが好物で酒のみで金貸しまでやっている生臭坊主の父親とは対照的に、おとなしく内向的で、悪くいえば煮え切らない性格。父親に反感を持つが表立って反抗することはない。「お前は何も為〔し〕ないで宜〔い〕いから、唯横町組だといふ名で、威張つてさへ呉れると豪気に人気〔じんき〕がつくからね」と長吉に説得されて否とは言えず、横町組の陰のリーダーに仕立てられてしまう。
 表町組。ここを取り仕切っているのは田中屋の正太郎(13歳)。家はかつて質屋を営んでいたが、正太郎が3歳の時に母が亡くなり、父は「田舎の実家に帰つて仕舞たから今はお祖母さんばかり」だという。つまり父親は入り婿であって、妻の死後、義母(正太郎の祖母)とうまく行かず家を出たということらしい。今はこの祖母が金貸しをやっていて、経済的には恵まれてはいるが、祖母と孫の二人きりという淋しい家庭。金貸しは裏では人々から恨まれ軽蔑される日陰の生業でもある。年上の美登利(14歳)を一途に慕っているが、美登利がその思いに異性として答えてくれる可能性はゼロ。どこまでいっても仲良し、最善でも弟的存在としか見てもらえない。
 主人公美登利はこの土地ではなく紀州の生まれ。「姉なる人が身売りの当時、鑑定〔めきゝ〕に来たりし楼の主が誘ひにまかせ、此地に活計〔たつき〕もとむとて親子三人〔みたり〕が旅衣、たち出〔いで〕し・・・」。姉を連れに来た遊郭大黒屋の経営者が妹の美登利を目に留めスカウトしたというわけである。美登利の将来性を見越した楼の主はさしずめ明治版ジャニー喜多川というところか。父母まで一緒に東京に呼び出したというのだから期待の大きさも分かろうというもの。美登利の容貌については、「色白に鼻筋とほりて、口もとは小さからねど締りたれば醜くからず、一つ一つに取たてゝは美人の鑑に遠けれど、物いふ声の細く清〔すゞ〕しき、人を見る目の愛敬〔あいけう〕あふれて、身のこなしの活々したるは快き物なり」とある。これが売れっ子遊女になるための条件か。朝湯から帰って来る美登利を見て廓帰りの若者が「今三年の後に見たし」などと言う。鏑木清方の筆になる美登利(下)はなかなかの美人である。

 姉は大黒屋の看板花魁。美登利自身は大黒屋の主にとってダイヤモンドの原石。皆からちやほやされ小遣いにも不自由しない。「子供に似合ぬ銀貨入れの重きも道理」。同級生20人にゴムまりを買ってやるとか、なじみの筆屋で売れ残ったおもちゃを買い上げてやるなどのバラマキをやってのける。普通なら(普通の社会で普通の人間がやれば)、歓心を買うためじゃないのかと警戒されたり、馬鹿じゃないかと軽蔑されかねないこうした行為も、しかも14歳の女の子だというのに、美登利の場合は誰も批判や非難はしない。ひとつには美登利の人柄(愛嬌、天衣無縫)のせい、ひとつには吉原という特別な環境のせいなのであろう。とにかく美登利は吉原とそれを取り巻く世界に完全に溶け込んでいる。しかも吉原の陰の部分はまだ意識せす、日の当たるところだけを見ている。「美登利の眼の中に男といふ者さつても怕〔こわ〕からず恐ろしからず、女郎といふ者さのみ賤しき勤めとも思わねば、過ぎし故郷を出立の当時ないて姉をば送りしこと夢のやうに思はれて、今日此頃の全盛に父母への孝養うらやましく、お職を徹〔とお〕す(もっとも玉代の多いお職女郎の地位を張り通すことであると①の注。また、お職女郎とは最上位のおいらんのことであると④の注)姉が身の、憂いの愁〔つ〕らいの数も知らねば・・・廓ことばを町にいふまで去りとは耻〔はず〕かしからずと思へるも哀なり」。
 表町組でもう一人忘れてはならないのが三五郎。13歳の一昨年から働いていると書いてあるので15歳かと思えば、別の箇所では生意気ざかりの16となっていて、どっちかよく分からない。まあ、これは些細なこと。大事なのは、大げさにいえば、三五郎が社会的矛盾を背負わされた子供であるという点である。父親は人力車夫(ついでながら車夫は一葉の他の作品でも落魄の身となった男の世過ぎとして登場する。『別れ霜』の芳之助、『十三夜』の録之助)で横町の住人。三五郎は6人子供の長男。住む地処は龍華寺のもので家主は長吉の父とくれば是非とも横町組でなければならないはずなのに、父親が田中屋に金を借りているがために年下の正太郎に頭が上がらない。「内々に此方(表町組)の用をたして、にらまるゝ時の役廻りつらし」と書かれてはいるものの、暗い影は感じさせない。「横ぶとりして背ひくゝ、頭〔つむり〕の形〔なり〕は才槌とて(小型の木槌に似て額と後頭部が突き出た頭)首みじかく、振むけての面〔おもて〕を見れば出額〔でびたい〕の獅子鼻、反歯の三五郎といふ仇名おもふべし、色は論なく黒きに感心なは目つき何処までもおどけて両の頬に笑くぼの愛敬、目かくしの福笑ひに見るやうな眉のつき方も、さりとはをかしく罪の無き子なり」。「滑稽者〔おどけもの〕と承知して憎くむ者の無き」キャラクターで、物語にはなくてはならない人物。三五郎がいるおかげで小説『たけくらべ』がどれほど豊かになっていることか。千足神社の夏祭の日に殴り込みをかけてきた横町組にボコボコにやられるという役回りも割当てられていて、重要な登場人物である。
 殴り込みの先頭に立った長吉の本来の攻撃目標は正太郎であったが、不在であったため三五郎が割を食う。女の美登利は殴られはしなかったが、長吉に「何を女郎め頬桁たゝく(何をぬかすか女郎めが、というくらいの意味)、姉の跡つぎの乞食め」と罵られ、泥草履を額に投げつけられる。額に傷はつかなかったが心には大きな傷がついた。今まで誰もあえて口にしなかった「女郎」「乞食」という語を面と向かって浴びせられ、自分がどういう存在であるかに美登利は厭でも気づかざるを得ない。
 美登利に泥草履と悪罵を投げつけたのは長吉であるが、その陰には真如がいて糸を引いていると美登利は考える。長吉は実行犯、真如が黒幕というわけである。「ざまを見ろ、此方〔こち〕には龍華寺の藤本がついて居るぞ」という長吉の捨てぜりふを真に受けたからだが、濡れ衣を着せられた真如こそとんだ迷惑。翌日から美登利は学校に行こうとしない。「我れ・・・姉は大黒屋の大巻、長吉風情に負〔ひ〕けを取るべき身にもあらず、龍華寺の坊さまにいぢめられんは心外と、これより学校に通ふ事おもしろからず、我まゝの本性あなどられしが口惜しさに、石筆を折り墨をすて、書物〔ほん〕も十露盤〔そろばん〕も入らぬ物にして、中よき友と埒も無く遊びぬ」。憎むべき相手が長吉ひとりであったなら美登利もここまでは思いつめなかったのではあるまいか。
 そもそもの始まりは4月。美登利も真如も通う育英舎の運動会の日。真如が転んだ際、泥をお拭きなさいと美登利が紅の絹ハンカチを差し出してやったのが馴れ初めである。しかし、これを普通の意味で馴れ初めと呼ぶのは適切でないかもしれない。内気で羞恥心の強い真如は噂されるのが嫌で、美登利が親しげに接してくるのを避けてばかりいて、二人の仲が深まることはない。それどころか、真如のそっけない態度に業を煮やした美登利は最後には無視を決め込む。「用の無ければ擦れ違ふても物いふた事なく、途中に逢ひたりとて挨拶など思ひもかけず、唯いつとなく二人の中に大川一つ横たはりて、舟も筏も此処には御法度、岸に添ふておもひおもひの道をあるきぬ」というのが、殴り込みがあった時点での状態。二人の心が通っているとは見えない。
 祭の騒動も一段落し、美登利が学校に行かなくなり、季節が夏から秋へと移るとともに、物語はゆっくりと、しかし確実に動く。秋雨の淋しく降る夜、いつもの筆屋に美登利と正太郎に加えて2、3人の子供がたむろしておはじきで遊んでいると外にどぶ板を踏む気配。正太郎がくぐり戸から外を覗くと立ち去ってゆく真如の後姿が見える。正太郎から真如だと知らされた美登利の科白と行動は次のように描写される。「信〔のぶ〕さんかへ、と受けて、嫌やな坊主つたら無い、屹度筆か何か買ひに来たのだけれど、私たちが居るものだから立聞きをして帰つたのであらう、意地悪るの、根性まがりの、ひねつこびれの、吃〔どんも〕りの、歯〔はっ〕かけの、嫌やな奴め、這入つて来たら散々と窘〔いじ〕めてやる物を、帰つたは惜しい事をした、どれ下駄をお貸し、一寸見てやる、とて正太に代つて顔を出せば軒の雨だれ前髪に落ちて、おゝ気味が悪るいと首を縮めながら、四五軒先の瓦斯燈の下を大黒傘肩にして少しうつむいて居るらしくとぼとぼと歩む真如の後かげ、何時〔いつ〕までも、何時までも、何時までも見送るに、美登利さん何うしたの、と正太は怪しがりて背中をつゝきぬ」。美登利の気持、とてもよく分かる。まずは冒頭の「信さんかへ」だが、ほんとうに憎ければ「あのくそ坊主かへ」とかいうべきところをこの優しい言い方。「ひねつこびれ」「吃り」「歯かけ」といった悪口雑言も決まり文句を並べただけで、逆に、本気でないことが見え見え。そして、わざわざ自分で見に出て、冷たい雨だれを受けながらじっと見送るのである。同じ語を繰返すやり方は一葉がよく使う手で、凡人がやれば安易に堕しやすいが、一葉はうまく使う。ここの「何時までも」の3回繰り返しもぴったりはまっている。正太郎につつかれなければずっと見送っていたはずであると私たちは感じる。
 でも、しかし、である。美登利は、こちらから声をかけてもそっけない態度しか示さない真如を無視することに決めていたのではなかったか。千束神社の夏祭のさいに長吉を使って女郎だの乞食だのと自分を罵らせた張本人は真如だと考えていたのではなかったか。その誤解は解けたのか。そんなことがあったとはどこにも書かれていない。状況は秋となった今も変わっていないはず。だとすれば考えられることは一つしかない。何があっても真如を思う美登利の気持は揺るがなかったのである。真如を無視したのも本意ではなかった。「龍華寺の坊さまにいぢめられんは心外」と学校を辞めたのも、真如に対する嫌悪からではなく、憎むべき真如を憎みきれない心の整理がつかず、自分をどこにもって行くべきかが分らなかったからなのである。
 そして物語のクライマックスがやって来る。美登利が両親と共に暮らしている大黒屋の寮の前で吹きさらしの雨のなか、通りかかった真如の下駄の鼻緒が切れる有名な場面。誰かが下駄の鼻緒が切れて困っているのを見た美登利が友仙ちりめんの切れ端を手にして出てみると、そこには真如。彼女は固まって、声をかけることができない。「物いはず格子のかげに小隠れて、さりとて立去るでも無しに唯うぢうぢと胸とゞろかすは平常〔つね〕の美登利のさまにては無かりき」。「這入つて来たら散ゝと窘〔いじ〕めてやる」と言っていたのもやはり正太郎の手前があっての嘘、虚勢だったのである。美登利に気づいた真如も「わなわなと慄〔ふる〕へて顔の色も変るべく、後向きに成りて猶も鼻緒に心を尽すと見せながら、半ば夢中に此下駄いつまで懸りても履ける様には成らんともせざりき」。どんくさい真如にもどかしさばかりを募らせる美登利だが声をかけることはようしないで、母親の呼ぶ声に家の中へと戻ってしまう。格子越しに布きれを投げてよこすのが精一杯であった。あとに残された真如が振り返ると紅色の友仙の切れ端が雨に濡れている。「そゞろに床しき思ひは有れども、手に取あぐる事をもせず空しう眺めて憂き思ひあり」。気になってしかたがないのだけれど取り上げようとせず眺めているだけ。心はせつなく苦しい。この場面以前に、真如の美登利に対する気持ちについて書かれることはなかった。今やっと明らかになる。真如、やっぱり美登利のことを思っていたのである。

木村荘八たけくらべ絵巻』

 美登利と真如の恋は、恋と呼んでいいのかどうかもためらわれるほど淡くてはかない。どう転んでも情熱的などではない。この淡くてはかない恋を一葉は写実的にではなく象徴的に描いた。美登利がなぜ真如を好きになるのかの理由は明らかにされない。真如がどんな気持ちなのかの説明もない。このあたり、正太郎が自分の気持や家族のことを美登利に向かってしみじみと語る場面などと比較すれば違いがよく分かる。あるいは、三五郎の容貌や性格が明確に描写されるのと比較してもよいだろう。このような写実を避けての象徴的な手法。まずは、筆屋の店先での場面も大黒屋の寮の前での場面も雨降る中であるのは偶然ではない。二人の恋はお日様のもとで明るく咲き誇るものではないのである。次に恋の始まりと終わりに注目。転んで羽織を泥で汚した真如に美登利が差し出した紅の絹のハンカチで恋が始まり、雨に打たれて取り残された紅の友仙ちりめんの切れ端で恋が終わる。紅は美登利の思いの象徴であるが、真如がそれを受け取ることはない。そして巻末に登場する造花の水仙も忘れてはならない。かつて学校からの帰り道、高い所に咲いた花を折ってくれと美登利に頼まれた真如は人の目を気にして「手近の枝を引寄せて好悪〔よしあし〕かまはず申訳ばかりに折りて、投げつけるやうにすたすたと行過ぎ」ていったものであった。小説は、真如が僧侶になる学校に入るべく大音寺前を去るところで終わるのだが、出立の前日、美登利の家の格子門に水仙の造花が差し入れてある。「誰の仕業〔しわざ〕と知るよし無けれど、美登利は何ゆゑとなく懐かしき思ひにて違い棚の一輪ざしに入れて淋しく清き姿をめでける」。真如はかつての冷淡な仕打ちを詫びているかのようである。しかしそれは本物の花ではなく造花によってするしかなかった。恋が成就しなかったことの象徴か(②もそのように注釈)。
 真如その人の人物造形に言葉があまり費やされていないにもかかわらず、とくに、美登利のあこがれの対象としての魅力が描き出されているわけでもないのに(勉強のよくできるお寺の跡取り息子というだけでは何の魅力もない)、美登利と真如のはかない恋が印象に残るのはなぜか。『たけくらべ』が美登利と真如の恋物語であると考えても間違いでないのはなぜなのか。畢竟、大黒屋前の場面があるからだ、ということに落ち着く。はかない恋の存在は象徴的に暗示されるが、その恋の終結を告げる場面は徹底して写実的に描かれる。真如が雨のなかを大黒屋の前まで来たとたん突風に傘をあおられ、脚を踏んばった瞬間下駄の鼻緒が切れて、それを繕おうとするが焦るばかりでうまくゆかず、友仙ちりめんの切れ端を持った美登利が出て来るが真如と気づいて顔を赤らめ胸はドキドキ・・・振り返った真如も無言のままで冷汗が脇の下を流れ・・・母親の呼び声で家の中へと戻る美登利が投げていった紅入り友仙の切れ端が雨に濡れて取り残され、真如は手に取ることができない、心はせつなく苦しい・・・というふうに二人の所作と感情が細かく描写される。写実的だからいいというわけではもちろんない。いい写実だからいいのである。ここに来て、これまで影の薄かった真如がクローズアップされる。そして、はかない恋の強烈なはかなさが浮かび上がるのである。はかなさは必ずしもはかなくはない。ここで描かれているのは、はかない恋の強烈なはかなさなのである。
 真如は切れた鼻緒をなおすのを諦め、羽織の紐を下駄に巻き付けて2歩ほど行くが、「友仙の紅葉〔もみじ〕目に残りて、捨てゝ過ぐるにしのび難く心残りして見返」る。そこへ偶然長吉が通りかかり、自分の下駄を真如に貸し与え、自分は慣れっこだからと裸足になって歩み去る。真如はお使い先の姉のもとへと向かう。「思ひの止まる紅入の友仙は可憐〔いじら〕しき姿を空しく格子門の外にと止めぬ」との一文でこの場面は終わる。映画だったら雨に打たれる赤い布切れがアップで映し出されるはず。可憐しき姿などと形容されるこの布切れは、美登利、真如と並んで、この場面の主人公である。
 さて、粋なところを見せた長吉ではあるが、じつはこの時、廓からの朝帰り。これが初めての廓通いであるとはっきりとは書かれていないが、16歳の長吉が以前から廓通いをしていたとは考えにくい(16歳でも早くてびっくりだが)。「黒八の襟のかゝつた新らしい半天、印の傘をさしかざし高足駄の爪皮も今朝よりとはしるき漆の色、きわぎわしう見えて誇らし気なり」。黒八丈の襟のついた新品の半天を羽織り、今朝おろし立てとはっきりわかる爪皮(雨降りに下駄の爪先にかけるカバー)を付けた高下駄を履き、どこぞやの遊郭の屋号の入った傘をさして意気揚々と引き上げて来る長吉の様子を見ると、どうもこれが初めてらしいと読める。しかし、初めてかどうかにこだわる必要はなく、要点は、物語の進行するこの半年の間に長吉が大人になったということである。

木村荘八たけくらべ絵巻』

 長吉は大人になった。しかし大人になったのは長吉だけではない。三五郎だけはちょっと置き去りの感があるが、他の3人はもはや子供ではなくなるのである。真如は育英舎を辞めて僧侶養成学校へと立ち去りゆくし、正太郎はといえば、大鳥神社の酉の市に三五郎がやっている大頭〔おほがしら〕(酉の市の売り物の一つである唐の芋のことと、①の注)の店やその他の知り合いの汁粉屋などを見回って「どうだ儲けがあるか」などと声をかけ、商売の仕方を伝授したりして、いっぱしの的屋の胴元みたいな雰囲気を漂わせている。
 そして美登利の決定的な変貌。外面的には髪型が桃割れから島田に変わり、子供から娘への変化を明示するのであるが、事はもっと重大。島田に結った美登利の艶姿にうっとりの正太郎が、何時結ったのだい、もっと早く見たかったのに、などと甘えかけるの対して美登利のとった態度はどこか奇妙。「美登利打しほれて口重く、姉さんの部屋で今朝結つて貰つたの、私は厭やでしようが無い、とさし俯向きて往來〔ゆきゝ〕を耻ぢぬ」。「憂く耻〔はづ〕かしく、つゝましき事身にあれば人の褒めるは嘲りと聞なされて、島田の髷のなつかしさに振かへり見る人たちをば我れを蔑む眼つきと察〔と〕られて・・・」。憂鬱で恥ずかしい事とはいったい何があったのか。被害妄想を伴った羞恥心と憂鬱の原因は何なのか。正太郎を振り払って独りで家へ帰ろうとするのをいぶかしがられると「美登利顔のみ打赤めて、何でも無い、といふ声理由〔わけ〕あり」。顔赤らめる事情とは何か。家に帰るとうつぶせに臥して口をもきかず、ついには忍び泣きまでする始末。なぜかと問われても、つらい事はいろいろあるが、これは人に話すような事ではないと、ただ顔を赤らめるばかりである。やたらに恥ずかしがっている。「ゑゝ厭や厭や、大人に成るは厭やな事、何故このやうに年をば取る」。この日を境にして美登利は生まれ変わったかのように別人になる。もう、正太郎とも他の誰とも遊ばない。たまり場であった筆屋へも行かない。表町は火の消えたように淋しくなる。
 美登利の突然の変貌をどう見るかについては2つの有力な説があるとか。初潮説と水揚げ説。議論の中身をまったく知らずに勝手なことを言わせてもらえば、私は水揚げ説に賛成。美登利の過剰な反応を見れば初潮説は説得力に乏しいのではないか。女性が初潮を迎えた時にどんな気持ちになるか男の私には分らないが、ここまで大騒ぎするかしら? 周辺の女性たちに尋ねる蛮勇は私にはないけれど、初潮に美登利ほど過激に反応することはないだろうと思う。それに、物語の筋道からしても初潮では通りがよくない。美登利が肉体的に成熟して子供でなくなったというだけでの話では、遊女として宿命づけられた美登利の物語が最後に来て貧弱なものになってしまう。ここはしっかりと決めておきたい。ところで水揚げとは何か。私の手元にある国語辞典はどれも、芸妓・遊女が初めて客に接することであるという程度の説明しか載せていない。これではよく分からない。美登利はまだ遊女にはなっていない。③にズバリの説明があるのでそれを引用する。水揚げとは「初めて男性に接して処女を喪失すること」であり、「処女が初めて店に出る場合、事前準備として水揚げが行われた。水揚げする男性は信頼のおける顧客から選ばれる。極秘ではないけれど、廓内の関係者だけで執り行われる大事な儀式で、廓の外に公表されることはない」。まさしくこれだろう。本人以外に事情を承知しているのは母親のみというのもぴったり符合する。皆は美登利が病気ではないかと心配したりするのに「母親一人ほゝ笑みては、今にお侠〔きゃん〕の本性は現れまする、これは中休みと仔細〔わけ〕ありげに言」う。美登利がスター遊女になるのを待ち望んでいるのは大黒屋の主だけでなく母親もなのである。その日も近い。
 表町は火が消えたように淋しくなり、正太郎が歌をうたうこともほとんどない。彼は今や毎晩借金の取り立てに忙しい。提灯をともして夜の土手を行く寒そうな姿が遠くに見える。彼がこれからやらなければならないのは祖母の期待に応えて質屋を再興することである。もう美登利と遊ぶことはないだろうし、美登利への思いも胸の内に封印しただろう。真如は坊さんになるために大音寺前を出て行った。美登利を愛した二人の少年はもはやいない。今後美登利を人間として愛してくれる男はいるのだろうか。真如とのはかない初恋が美登利にとって最後の恋になる可能性は大きい。遊女は本気で人を愛してはならない。偽物の恋が遊女の務め。真如が彼女に贈った造花の百合は二人の実らなかった恋を象徴しているだけでなく、美登利の行く末をも暗示しているのである。

木村荘八たけくらべ絵巻』

清沢洌『暗黒日記』


 何年も前、NHKラジオ「朗読の時間」だったかで清沢洌〔きよし〕の評論が取り上げられていた。その時初めて清沢洌という人のことを知り、興味が湧き、岩波文庫で『暗黒日記』と『清沢洌評論集』を買い求めた。他にも読みたい本があって、この2冊にはなかなか手が回らずに本棚に放り込んだままになっていたのを先日取り出して読んでみた。分かりやすくておもしろい(おもしろいといっては語弊があるかもしれないが)。広く読まれるべき本だと思う。
 『暗黒日記』の解説(山本義彦)によれば清沢は1890年生まれで1945年没。1906年に渡米し、1918年に帰国。「中外商業新報」外報部長、「東京朝日新聞」企画部次長を歴任したが、評論「甘粕と大杉の対話」が右翼の攻撃を受け、「朝日」を辞任。その後はフリーの評論家として執筆や講演に従事した。
 真珠湾攻撃の1年と1日後、1942年12月9日に「近頃のことを書残したい気持から、また日記を書く」と始められた日記は死の直前、1945年5月まで綴られ、戦後『暗黒日記』と名付けて出版された(この表題は本人によるものではない)。彼の批判は、戦争が悪であるという一般論にとどまらず、現に行われている戦争の不合理と非条理を衝くという具体的な形をとっており、それが「おもしろい」理由である。以下、いくつかの観点を選び、それぞれについて抜き書きしてみた。◇は抜き書き、*は私のコメント。
【太平洋戦争はどんな戦争か】
大東亜戦争――満州事変以来の政情は、軍部と官僚との握手である。戦争を目的とする者と、一部しか見えない事務家、しかも支配意識を有している者とが混合妥協した結果生れたものである。
◇日本はこの興亡の大戦争を始むるのに幾人が知り、指導し、考え、交渉に当ったのだろう。おそらく数十人を出でまい。秘密主義、官僚主義、指導者原理というようなものがいかに危険であるかがこれでも分る。来るべき組織においては言論の自由は絶対に確保しなくてはならぬ。また議員選挙の無干渉も主義として明定しなくてはならぬ。官吏はその責任を民衆に負うのでなくては行政は改善出来ぬ。
浪花節文化が果実を与えて来た。大東亜戦争浪花節文化の仇討ち思想である。新聞は「米利犬〔メリケン〕」といい、「暗愚魯〔アングロ〕」といい、また宋美齢のワシントン訪問に、あらゆる罵言的報道をなしている。かくすることが戦争完遂のために必要なりと考えているのだ。何故に高い理想のために戦うことができないのか。世界民衆に訴えて、その理性をとらえうる如き。ああ。
浪花節関係者やファンが怒る必要はない。浪花節を批判しているわけではなく、仇討ち思想による戦争を批判しているのである。
宋美齢蒋介石の妻。ワシントン訪問とは、日本との戦いにおいてアメリカの援助を得るために訪米したことを指すのだろう。
◇我国において敵を憎むことを教う。たとえば星条旗の上を足で踏む如し。戦争目的は、そうした感情よりも遥かに高からざるべからず。昔の仇討ち思想では世界新秩序の建設は不可能である。高い理想を打ち建て、その理想の実現を米国がはばむというのでなければ駄目である。
*高い理想を目的とした戦争ならしてもよいと清沢は言っているように取れるが、それが彼の真意とは考えにくい。あまりにも愚かな仇討ち思想による戦争を強調するためのレトリックだろう。日記の他の箇所には以下のような記述がみられる。
◇戦争を世界から絶滅するために敢然と立つ志士や果たして何人あるか。予、少なくともその一端を担わん。
◇この世界から戦争をなくすために、僕の一生が捧げられなくてはならぬ。
【国民、ジャーナリズム】
◇戦争というものが何を意味するかを納得することは将来の日本に大切である。日本人は戦争に信仰を有していた。日支事変以来、僕の周囲のインテリ層さえ、ことごとく戦争論者であった。・・・これに心から反対したものは、石橋湛山馬場恒吾両君ぐらいのものではなかったかと思う。そうした日本人に対しては何よりの実物教育であろう。
石橋湛山は戦後、保守合同後の1956年、自由民主党総裁、首相となり、政治家として有名(病を得たため、首相であったのは2ケ月だけだが)。馬場恒吾は「ジャパンタイムズ」「国民新聞」編集長として活躍し、戦後、1945年から51年まで「読売新聞」社長。二人とも戦時中はジャーナリストとして日本の帝国主義的膨張政策に一貫して批判的態度を貫いた。石橋は、清沢が多く寄稿した「東洋経済新報」を主宰し、清沢の盟友ともいうべき人物。清沢によれば「この言論圧迫時代を、孤城を守り通して来たのは石橋湛山氏の『東洋経済』だけである」。
*論旨からして「そうした日本人」とは石橋、馬場ではなく、戦争に信仰を有する日本人と戦争論者のインテリをさす。この戦争を経験することでそうした人々も戦争の実際を理解するだろうと清沢は期待しているように見受けられるが、しかし、以下のような記述からは、期待していないともみえる。
◇昨日、アッツ島の日本軍が玉砕した旨の放送があった。・・・次にくるものはキスカだ。ここに一ケ師団ぐらいのものがいるといわれる。玉砕主義は、この人々の生命をも奪うであろう。それが国家のためにいいのであるか。この点も今後必ず問題になろう。もっとも一般民衆にはそんな事は疑問にはならないかも知れぬ。ああ、暗愚なる大衆!
アッツ島の山崎大佐が二階級飛びで中将になる。昨夜のラジオも今朝の新聞も、それで一杯、他の記事は全然ない。軍の命令であることが明らかだ。昨夜のラジオも八時から九時のものはプログラムを変更した。「鬼神も哭く」式の英雄は、もう充分なり。願わくはもはや「肉弾」的な美談出づるなかれ。そして作戦をしてさような悲劇を繰返す如き方途をとらしむるなかれ。それにしても国民は「責任の所在」を考えないのだろうか。イグノランスの深淵は計りがたい。
*アッツもキスカアメリカ領アリューシャン列島の島で、1942年日本軍が一時的に占領したが、翌年アメリカ軍の反撃でアッツ島の日本軍は全滅した。その指揮官であった山崎大佐の戦死を一斉に右へ倣えで美化するジャーナリズムの翼賛ぶりを清沢は批判している。それにしても「暗愚なる大衆」の「イグノランス」に対する清沢の絶望は相当なものである。なお、キスカの日本軍は全滅することなく撤退した。
◇僕はかつて田中義一内閣の時に、対支強硬政策というものは最後だろうと書いたことがあった。田中の無茶な失敗によって国民の眼が覚めたと考えたからである。しかし国民はさように反省的なものでないことを知った。彼らは無知にして因果関係を知らぬからである。今回も国民が反省するだろうと考えるのは、歴史的暗愚を知らぬものである。
*田中内閣は1927年4月から1929年7月。外には軍事力による満蒙分離政策(山東出兵)、内には普通選挙への干渉、三・一五事件での共産党弾圧、治安維持法の死刑法化など、碌なことはやらなかった。
◇科学の力、合理的心構えが必要なことを、空襲が教えるにかかわらず、新聞やラジオは、依然として観念的日本主義者の御説教に満ちる。この国民は、ついに救済する道なきか。
*絶望しつつも、清沢は言論の自由と教育に期待する。
◇日本人は、いって聞かせさえすれば分る国民ではないのだろうか。正しい方に自然につく素質を持っているのではなかろうか。正しい方に赴くことの恐さから、官僚は耳をふさぐことばかり考えているのではなかろうか。したがって言論自由が行われれば日本はよくなるのではないか。来るべき秩序においては、言論自由だけは確保しなくてはならぬ。
◇今は第五等程度の頭脳が、憲法や法律を蹂躙してやっている。新しい時代に言論自由確保の必要。
◇この戦争において現れた最も大きな事実は、日本の教育の欠陥だ。信じ得ざるまでの観念主義、形式主義である。
◇今度の戦争で、日本人は、少しは利口になるだろうか。非常な疑問である。教育を根本的に変えなければ。
*フィリピンにおける日本人の野蛮な振る舞いに触れた箇所では「教育の失敗だ。理想と、教養なく、ただ〈技術〉だけを習得した結果だ」とも述べている。理想と教養を置き去りにした技術習得だけの教育という批判はそのまま現代にもあてはまるのではないか。
◇日本人が良心的でないのは、どこに原因があるのだろうか。考えていることと、まるで反対のことをいうのである。・・・丸山国雄君の『ペリー侵略史』・・・伊藤道夫君の米人鬼畜呼ばわり・・・海老名一雄君がラジオや講演会で、米人惨虐説の宣伝・・・僕の周囲で、これをやらないものはほとんどない。僕などが、沈黙を守っている唯一の存在だ。これは国家を最大絶対の存在と考え、その国策の線に沿うことが義務だという考え方、それとともにそうすることの方が利益だという利益主義からであろう。外国においては、そうした立場をとらない人々が少なくない。そのアチチュードを作ることが、今后の教育の任務だ。
【軍人、政治家】
◇軍人の考え方は、相対的、機動的でないから、綜合的に物を推論することができぬ。日本本土では対手をやっつけることができると、まだ彼らは信じているのだが、その時に日本の飛行機も、軍艦もなく、また敵の武器が一段の工夫をこらして、絶対的に優勢だという事実を知らぬのである。日本人全体の頭が一体にそうであって、それを直すのには教育の一変以外にはない。
*東条内閣(1941.10-1944.7)も当然、批判の対象である。
◇明日で東条内閣二周年目を迎える。この内閣に対する批判は、後の歴史家がなそう。しかし、これくらい知識と見識に欠けた内閣は世界において類例がなかろう。
◇昨日、議会開かる。東条首相が演説ズレによって調子だけは重厚を加えてきた。しかし内容は、こんな平凡なことを、よくも長くやれると思われることばかりだ。
*先日(10月3日)の岸田首相の所信表明演説を思い起こしてしまう。岸田首相に限ったことではないが、平凡なことを長々とやるのが所信表明演説の通例となっている。
*東条の後を受けた小磯に対してはさらに手厳しい。ほとんど馬鹿扱い。
◇小磯首相、ラジオで放送。何をいっているか分らぬ。「天皇に帰一し奉る」ということが結論だが、それは何を意味するのか。これぐらい分ったようで分らぬ文字はない。
◇本日は大東亜戦争勃発の三周年である。朝、小磯首相の放送があったが、例により低劣。口調も、東条より遥かに下手である。全く紋切り型で、こうした指揮者しか持たない日本は憐れというべけれ。
◇蠟山君の話しに、議会で、安藤正純君が、「戦争責任」の所在を質問した。小磯の答弁は政務ならば総理が負う。作戦ならば統帥部が負う。しかし戦争そのものについてはお答えしたくなしといったという。我憲法によれば天皇その責に任じたまうの外はなきに至っている。戦争の責任もなき国である。
天皇が首相である小磯を戦争の責任者に任じたはずなのに小磯は曖昧答弁で責任逃れをしている、というのが清沢の言いたいこと。
大日本帝国憲法天皇主権】
*清沢は反体制派ではない。皇室敬愛の思いも強い。私が読んだかぎりでは、大日本帝国憲法の正当性を疑うような記述はない。天皇主権が言論の自由と両立しうるかどうかの問題意識は彼にはなかったようである。天皇主権は絶対的なものではなく、現在のような象徴的存在に近いものと見なしていたようにも思える。
紀元節だ。朝日さやけし。ああ、天よ、日本に幸いせよ。日本を偉大ならしめよ。皇室を無窮ならしめよ。余は祖国を愛す。この国にのみ生れて、育ちて、死ぬ運命に結ばるのだ。
◇電車の中で、宮城の前を通る時に頭を下げる。その時、僕は、神様どうぞ、皇室が御安泰であるように祈るのが常だ。・・・この共同的訓練のない国民が、皇室という中心がなくなった時、どうなるだろうというような理屈もあるが、しかしそうした理性的な問題ではなしに感情的に「日本人的」なものを持っているからだ。
*明治になって日本は西欧化によりせっかく近代国家になったはずなのに、ここにきてまたもや封建主義が復活して道理に合わない戦争をしていると清沢は見ている。また、明治時代には天皇側近によるチェックが有効に機能し、軍やそれに追随する官僚の暴走を許さなかったとも。
◇今日は、明治天皇祭だ。明治天皇の御偉大さ。東亜戦争の責任者たち――政治家も文士も――は、明らかに明治天皇の御方針に不満なのだ。日露戦争があまりに「米英的だ」というのはその一つの例である。
◇明治の功臣たちが何故に欧化したか。彼らは武士として攘夷主義者の先達ではなかったか。鹿鳴館事件の井上馨の如きは、最初はその最も然るものであった。明治の功臣は、大東亜戦争の指導者たちと異って、考え方に屈伸性があったのだ。日本を偉大にするためには常に優れたるものに従ったのだ。
◇明治時代には重臣は、真の発言権を有していた。明治天皇の御信任を拝して、首相をも監督する地位にあった。それがチェックス・エンド・バランセスの役目をつとめた。しかるに、今重臣は全く並び大名で、首相に対する質問すらもできない有様だ。
共産主義、革命】
共産主義と革命に対する清沢の評価は否定的である。彼が必至と見、恐れていた革命的騒動はしかし起こらなかった。
◇予はコンミュニズムは封建主義と同じフレーム・オブ・マインドの産物なりとの見解を抱く久し。
◇戦争の深化――食糧難――騒動――内閣更迭――動揺の継続――和平論の台頭――革命的変化――そのような順序をとるのではあるまいか。
◇日本における「革命」は最早必至だ。それに先行する暴動が我らの胆を寒くする。仮に「革命」があっても、それは多分に破壊的、反動的なもので、それによって、この国がよくなる見込みなし。
【味方と敵】
*清沢にとって石橋湛山馬場恒吾の他にも蠟山政道、正木旲〔ひろし〕などが思想的に共感し、交友関係もあった人々である。これらの人たちはそれぞれ戦後活躍した。清沢は戦争終結前に死んでしまって、活躍する機会を奪われたけれど。
◇正木旲という弁護士の『近きより』という小雑誌がある。その一月号、二月号は驚くべき反軍的、皮肉的なものである。戦争下に、これだけのものが出せるのは驚くべく、これを書いたかれの勇気驚くべし。かれはボーン・デモクラットで、文章も非常に上手だ。
*反対に、軽蔑の情をもってしか言及しえない人間たちとして赤尾敏笹川良一児玉誉士夫などがいた。
◇右翼やゴロツキの世界だ。東京の都市は「赤尾敏」という反共主義をかかげる無頼漢の演説のビラで一杯であり、新聞は国粋党主という笹川良一という男の大阪東京間の往来までゴヂ活字でデカデカと書く。こうした人が時局を指導するのだ。
◇ゴロつき万歳の世だ。笹川良一とかいう国粋同盟の親分は何千万円の財産家だという。右翼で金のうならぬ男なし。これだから戦争はやめられぬ!
◇今回の戦争で儲けたものは右翼団で、彼らは支那、内地、どこでも鉱山その他の権利を得て、大金を儲けているそうだ。彼らは軍人と連絡があるからだ。その一例として児玉誉士夫という大森区から代議士に立候補した右翼の男――国粋会の何かだ――が今日の『毎日新聞』によると福岡で水鉛鉱山を経営しており、写真入りで紹介している。
*この連中はしかし戦後には「大活躍」した。石橋や正木などより、むしろ赤尾、笹川、児玉といった名前のほうが私にはなじみがある。多くの日本人にとっても同様なのではなかろうか。
 大日本愛国党党首の赤尾敏。1960年に浅沼社会党委員長を刺殺した山口二矢は赤尾に私淑し、愛国党党員だったはず。
 笹川はいろんなことに手を出し、自らテレビCMにも登場し「一日一善」とか「人類みな兄弟」とかやっていたのではないか。モーターボート競走の生みの親としても有名。現在、「BOAT RACE オフィシャルウェブサイト」などに「昨今の北朝鮮関連情勢から、Jアラートによるミサイル緊急警報が発信された場合には、人命を最優先とし、レース・舟券の発売・払戻しを中止する場合があります。お客様におかれましては、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます」と、ことさら北朝鮮の脅威を無理やりボートレースに結びつける記載があるのは笹川の遺伝子が生き残っていることの証左か。
 児玉誉士夫とくればロッキード疑獄が有名であるが、それに限らず、戦後保守政治の黒幕として巨大な存在であったことはいうまでもない。
*清沢にとって上の3人は右翼のゴロツキとして片づければよかったが、そう簡単に済ませられないのが徳富蘇峰。思想、言論を生業とする者同士であり、また、かつての自由民権派から膨張主義国家主義者へ変節したことも含めて、どうしても許せなかったのだろう。天敵のようなもの。彼への批判は随所に噴き出す。新聞各紙が彼を重用することへのいら立ちも感じられる。
◇朝、ラジオで徳富蘇峰の講演あり。ぺルリが日本占領の意図あり、かれの像を建てた如きは、もっての外という。また日露戦争ルーズヴェルトが仲介したのを感謝する如きも馬鹿馬鹿しいことだという。米国は好戦国民である。仁義道徳のなき国だ。そうしたことがその講演の内容だ。先頃、山本提督の死の時にも講演し。このところ、徳富時代である。この曲学阿世の徒! この人が日本を誤ったこと最も大なり。
◇『毎日』に、例によって蘇峰の文章あり、『朝日』にもその談話あり。海軍の行動を希望するようなことをいっているのは、陸軍が書かしたのではないか。蘇峰は完全に陸軍のお雇い記者である。
大東亜戦争に導いた民間学者で最たるものが二人ある。徳富蘇峰と秋山謙蔵だ。この二人が在野戦争責任者だ。『読売』は、まだこれをかついでいる。
【空襲】
*「東京空襲、すこぶる切迫したように考えられる」という44年7月2日の記述から始まり、1944年の夏以降、空襲に関する記述が増える。以下いくつか引用してカッコで日付を記しておく。
◇午后五時より一時間ばかり、九州、中国西部を米機空襲した旨のラジオあり。(44.8.20)
◇鮎沢君に招かれたので石橋君の自動車に便乗しようと出かける。電車が大森駅に行くと「空襲だから退避しろ」という。皆な飛び出て、思い思いのところに隠れる。十分ばかりで解除。再び電車に乗って品川まで行くとまた「空襲、退避」だ。皆な遽てて線路を横ぎって、建物の横などにかくれる。そんなところにいると火事が出たら、まる死にだ。僕は外に出る。非常な混雑だ。十分ばかりで解除になったが、省線は動かない。仕方がないから市電で東洋経済に行く。ちょうど、地下室に退避するところであった。これで空襲があったら、ほんとに大変だ。形式的な訓練が何にもならぬことが、今日のことで分る。(44.11.1)
◇東京都の講演を頼まれて成城に行く途中、警戒警報発令。ために中止。(44.11.25)
◇毎晩、空襲が来ない日とてはない。最初は隣の防空壕に這入った近所のものが、今や誰も這入るものはない。馴れたのと、また一つはそんなことばかりやっていられないのである。(45.1.12)
*そして多数の死者を出した45年3月10日の東京大空襲。前日、清沢は前橋へ講演に行き、夜、東京へ戻ってきた。この日の記述は詳細。
◇昨夜、汽車は約二時間遅れた。蒲田につくと警報が出て真暗である。手さぐりで電車に乗る。家に帰っても、あかりもなく、寝る。警報でめざめる。けたたましく大砲がなる。外に出ると、B29が低空飛行をやり、探照燈に銀翼を現わし悠々と飛んでいる。盛んに高射砲を打つが、少しも当らず。我飛行機は、一台も飛び出しておらぬ。B29はフックリ空に映えて実に綺麗である。たちまち北方の空、真紅になる。風が非常に吹いているので、この風では止めようもあるまい。風に燃焼の臭いあり。どこか知らねど被害が多かろうと胸いたむ。・・・朝・・・都心に出る。・・・蒲田駅で、目を真赤にし、どろまみれになった夫婦者あり。聞くと浅草方面は焼け、観音様も燃えてしまったという。東京に近づくにしたがって、布団につつまった人が多くなる。・・・汐留駅が、まだ盛んに火を吹いている。・・・見るにたえないのは、老婦人や病人などが、他にささえられながら、どこかに行くものが多いことだ。燃え残った夜具を片手に持っている者、やけただれたバケツを提げる者。それが銀座通りをトボトボと歩いて行く。・・・石橋家が丸焼け・・・この戦争反対者は先には和彦君を失い、今は家を焼く。何たる犠牲。浅草、本所、深川はほとんど焼けてしまったそうだ。しかも烈風のため、ある者は水に入って溺死し、ある者は防空壕で煙にあおられて死に、死骸が道にゴロゴロしているとのこと。惨状まことに見るにたえぬものあり。・・・本郷一面、芝三光町、その他全焼――警視庁では二十万戸と数えている由。・・・それにしても、これが戦争か? 小磯首相は罹災者に対し「必勝の信念」を説いて、敵の盲爆を攻撃した。宮内庁の主馬寮が焼けたことばかり恐縮していることに対し、国民からかえって反感が起ろう。・・・東京の焼跡を見れば、また敵は機械力によって爆撃していることが分る。従って、今までやっている燈火の極端な管制――たとえば煙草の火一つをも怒鳴りまわしている流儀が馬鹿々々しいことが分るはずだ。結局、総ては知識のない連中が指導していることが、こうなるのである。
*和彦君とは石橋湛山の次男で、戦死した。
アメリカの空爆を戦争だから仕方なしと受け止め、その残虐性を告発しようとしない日本的物わかりのよさが、清沢には理解できない。
◇深川、本所の惨状は、聞けば聞くほど言語に絶するものあり。陛下昨日罹災地を御巡幸遊ばさる。日本は何故にこの惨状――婦女子、子供を爆撃せる事実を米国に訴えざるか。かれらは焼いた後を機銃掃射をやったとのことである。もっとも、日本も重慶、南京その他をやり、マニラについても讃められぬが、米国のやり方は非道許すべからず。
◇これらの空爆を通して、一つの顕著な事実は、日本人が都市爆撃につき、決して米国の無差別爆撃を恨んでも、憤ってもおらぬことである。僕が「実に怪しからん」というと、「戦争ですから」というのだ。戦争だから老若男女を爆撃しても仕方がないと考えている。「戦争だから」という言葉を、僕は電車の中でも聞き、街頭でも聞いた。・・・日本人の戦争観は、人道的な憤怒がおきないようになっている。
*清沢がもう少し長生きしていたら、原爆投下をどう見ただろうか。戦後、日本がとってきた、アメリカの責任を不問に付すという姿勢は、アメリカによる統治という戦後日本の政治事情によるところが大ではあろうが、清沢の指摘する日本人の戦争観も与っているのかもしれない。
言論統制
◇『中央公論』の小説「細雪」(谷崎潤一郎)は評判のものだったが、掲載を中止した。「決戦段階たる現下の諸要請よりみて、あるいは好ましからざる影響あるやを省み、この点遺憾にたえず」と社告にある。
*『細雪』は戦意を高揚させるような小説ではないが、掲載中止に追い込まれるような反戦的小説でもない。標的は『中央公論』だったのだろう。こちらは結局、廃刊に追い込まれる。
*清沢も言論統制の被害者である。自由にものを書いたり言ったりできる状態ではなかった。発言、行動には十分注意を払っている様子がうかがえる。
◇『東洋経済』に書いた僕の「日ソ関係の調整」の社論に警視庁から注意があった。・・・予の書いたものについては「厳重なる警告」――少しいくと発行禁止程度のものが待っているのである。
◇僕が『東洋経済』に書いた「侵略者とは何か」という社論は削除になった。
◇午後四時半頃から講演。「自分の材料は英字新聞等による」と断り、かつ非常に警戒す。自己の説をそのまま述べ得ないのである。
◇僕が憲兵隊に検挙されたという流言は、すでに何十回も出ている。・・・事実は僕は、まだそういう意味では一回も呼ばれたこともない。石橋君曰く「君や僕がやられないのは貧乏だからだよ」と。肩書のないことが、怪我のない理由であるかもしらぬ。
◇〔講演旅行に〕この日記帳は持って行かなかった。荷物になることもその一つの理由だが、それよりも、どこで舌禍にかかり、この日記帳を取調べられねばならぬかを恐れたからだ。我らの生活は不断の脅威におびゆ。
【そして現在】
*清沢は戦争終結直前の1945年5月21日、肺炎で急逝。
*『暗黒日記』から80年。現在の日本は戦争をしているわけでもないし、軍人が政治を牛耳っているわけでもない。言論の自由も保証されている。教育制度も拡充し、大学進学率はほぼ60%。しかし、清沢が批判した「秘密主義」「官僚主義」「観念主義」「形式主義」はどれほど克服できたのか。清沢は「朝のラジオは、毎日毎日、低級にして愚劣なるものが多い」とも書いているが、今、インターネット上には低級にして愚劣なるものが溢れているではないか。テレビのワイドショーではタレントたちがしゃべりまくっているが、清沢が考えていた言論の自由とはこんなものであっただろうか。国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」による2022年の報道自由度ランキングで日本は71位である。さらに日本は韓国やオーストラリアなどとともに、大企業の影響力が強まり、記者や編集部が都合の悪い情報を報じない「自己検閲」をするようになっている国として挙げられている。「国家を最大絶対の存在と考え、その国策の線に沿うことが義務だという考え方、それとともにそうすることの方が利益だという利益主義」は今なお跳梁跋扈しているのではないか。
◇小磯首相は議会で、空襲被害はできるだけ詳しく発表するといいながら、町も、被害者数も、場所も発表しないといった。それでは詳しくも何でもない。この大被害の真相を知っている者が、一部官僚だけであるというに至っては、官僚政治の弊害極まれりだ。これを根底から改造しなくては直るまい。だが日本人の傾向でそれができるかしら?
*この文章から小磯と空襲に関する語を白紙にすると次のようになり、○○に当てはまる語句を私たちは現在の政治に関していくつも容易に思いつくのではないか。まことに遺憾ながら。
 ○○首相は議会で、○○はできるだけ詳しく発表するといいながら、○○も、○○も、○○も発表しないといった。それでは詳しくも何でもない。この○○の真相を知っている者が、一部官僚だけであるというに至っては、官僚政治の弊害極まれりだ。これを根底から改造しなくては直るまい。だが日本人の傾向でそれができるかしら?

 

Windows8.1がサポート終了だとか

 先日、パソコン画面に突然、次のようなメッセージが現れた。
「このバージョンのWindowsはサポート終了に近づいています。2023年1月10日はMicrosoftWindows8.1を実行するPCのセキュリティ更新プログラムと技術サポートを提供する最後の日です。私たちは今、あなたの忠誠に感謝し、あなたが次のことに備えるのを手伝うためにリーチします。」
 それでMicrosoftのサポートに関するサイトを開くと、「サポート終了とはどういう意味ですか?」以下、種々説明の項目があるが、その一つに「新しいコンピューターを検討する必要がある理由」というのがあり、次のように説明されている。
「もともとWindows 8.1で構築された PC は、約 10 年前のテクノロジを使用して設計されています。 新しい PC に移行すると、使い慣れたWindowsの多くの側面が見つかりますが、10 年前には利用できなかった重要なソフトウェアやハードウェアのイノベーションや機能も備えています。」 
 私の現在使っているパソコンは2012年秋モデルで、使用歴10年。OSはWindows8.1。現在も問題なく快適に動いている。私がパソコンでやることといえば、ニュースを読む、地図を見る、写真を保存する、文字を書くぐらいで、映画を見るとか音楽を聴くとかゲームをするとかは一切しない。「10 年前には利用できなかった(が、現在では普通に使われている)重要なソフトウェアやハードウェアのイノベーションや機能」は私には関係も関心もない。現在使用中のパソコンで私のやりたいことはすべてできるのである。個人的にはパソコンを買い替える必要などまったくないし、そのつもりもないつもりではある。しかし、すっきりしない。このまま使い続ければいいのじゃないかと決め込みつつも、何かしら不安が心のどこかにわだかまる。有償でOSだけを新しくする方法もあるようだが、「古い」パソコンがそれに対応できるものやら心もとない。セキュリティ更新プログラムと技術サポートが得られなくなれば何か困ったことが起きるのだろうか。起こりそうでもあり、大丈夫そうでもある。運まかせなのか。よく分からない。Windows8.1を使い続けることによって生じるかもしれないトラブルに対してMicrosoftが責任を取るつもりはないと言っていることだけはよく伝わってくる。
 それにしても、上に引用したメッセージはけったいな文章である。2番目のも少し日本語としてこなれていないが(「多くの側面が見つかります」)、1番目のは奇妙な文章というべきか。私はこれまでWindows8.1を使ってきたことに対し忠誠を感謝されているのである。私にはそんなつもりは全然なかったのだけれど、Microsftにとって私は忠誠なる何者かであったらしい。ひょっとして家来?
 「リーチ」という語も最初よく分からなかった。わたしはMicrosoftと麻雀をしているわけではない。なんでリーチされるのか。手元にある国語辞書をいくつかあたってみても意味不明。英和辞典のreachの項にようやく該当するらしい意味を見つけた。「〈人が〉手〔腕など〕を伸ばす」から比喩的に「援助の手を差しのべる」ということらしい。しかし、私の日本語語感ではそのような意味の「リーチ」は日本語のなかには存在しない。そう思うのは多分私だけではないはず。こんな英単語を不用意に日本語として使う必要はなかろう。いや、使ったら駄目なのではないか。これで通じると考えているのだろうか。ある種の傲慢さ(英語帝国主義?!)をさえ感じる。
 奇妙な文章の原因は何なのか。おそらく英文からの翻訳にあるのだろう。「提供する最後の日」という言い方も日本語らしくない。まず英語による原文があって、それをそれぞれ世界各地の言語に翻訳したのだろう。その日本語版が今見ている文章。翻訳は自動翻訳ソフトによるものか、それとも人の手によるものか。あるいは自動で翻訳されたものに人の手が加わったのか。翻訳ソフトの現状を私は知らないが、100%信頼できるレベルにはないはずである。そんなレベルにあるとすれば同時通訳者や翻訳者が大量に失業してもおかしくないが、そんなニュースは聞いたことがない。原理的にも、ソフトだけで翻訳完了という状態は将来的にもありえないと私は思っている。ソフトが翻訳したものに人が手を加える以外に方法はないのではなかろうか。今回の文章もきっとそれ。だとすれば、疑われるべきは最終チェック者の日本語力ということになる。どんな人がやったのだろうと詮索してもつまらないから詮索しないが、本当にけったいな日本語文である。まさかとは思うが、もしかして翻訳ソフトにまかせっぱなしで、人間によるチェック無しという可能性もあながち否定できない。
 この10年間に進歩したソフトやハードの恩恵を私は感じないし、享受するつもりもないのだけれど、もし100%信頼できる翻訳ソフトができたらぜひ使ってみたい。これだけは別である。いや、100%はあり得ないだろうから、90%でいい。細部のニュアンスや方言差には歯が立たなくとも、標準的な言葉使いならきちんと翻訳してくれるソフトが動くなら、新しいパソコンに即日買い替えたいものである。

『赤と黒』(2)、レナール夫人の「正しい」不倫

 『赤と黒』は大きく第1部と第2部からなり、第1部ではフランスの架空の町ヴェリエールを舞台に、ジュリアン・ソレルと、この町の町長レナール氏の妻との恋が語られる。小説全体を通じての主人公はジュリアン・ソレルなのだが、第1部においてはレナール夫人の比重が大きく、第1部の主人公はレナール夫人だといってもいいくらいである。そこで語られるのは、レナール夫人がジュリアンへの愛を通じて人間として目覚める過程。レナール夫人はどう変貌するのか。その変貌ぶりをたどってみたい。(以下の引用は人文書院スタンダール全集」第1巻『赤と黒』、桑原武夫生島遼一訳による)。
 物語の始まりで初めてジュリアンと出会った時のレナール夫人はどんな人間であったか。まずは名前と年齢。彼女はルイーズという名前であるが、この名前は小説全体のなかでたった1回しか出て来ないので読者の意識にこの名前が残ることは多分ない。あとは一貫してレナール夫人と呼ばれている。年齢は30ぐらいに見えるが、まだなかなか美しい、というのが彼女が最初に登場した時の語り手の評価。ちなみにジュリアンは初対面の際レナール夫人に年を尋ねられて、もうじき19歳になると答えているが、その少し前では「19といっても見かけが弱々しいので、せいぜい17にしか見えない」との叙述もあり、あいまいさが残る。話が進展した時点でレナール夫人は自分が恋人より10歳年上であることに気後れを感じる場面がある。さらに他の箇所からも情報を集めると、夫人は16歳で結婚、12年間の結婚生活、3人の子供の母、一番年上は11歳。これらを考え合わせると、初対面時の年齢はレナール夫人が29歳か28歳、ジュリアンが19歳か18歳となる。 
 レナール氏は小説の冒頭で50歳近い男として登場するので、夫婦の年齢差は20歳くらいということになる。レナール夫妻が結婚した経緯は、レナール夫人が「16のとき堅い貴族の家に嫁いだ」と言及されるだけで、詳細は不明。レナール夫人は今でも「背丈が高く姿がよくて、この山間の人が言うとおり、土地の美人だった。身のこなしには、どこかうぶな若々しいところがあった。パリの人の目からみると、無邪気でぴちぴちしたこの素直な美しさには、いささか肉感的なものを思わすほどの力があったのかもしれない」。12年前ならもっとうぶで若々しく、ぴちぴちしていたであろう。しかも、彼女はブザンソンに住む叔母の莫大な財産の唯一の相続人であるというのである。そんな16歳の少女が何の魅力もない40歳近い男となぜ結婚したのかは謎である。彼女のほうに結婚すべき理由などひとつもない。「生まれてこのかたほんの少しでも恋愛と名のつくようなものを、経験したこともなければ、見たこともなかった」。親に無理強いされて泣く泣くというのでもないらしい。男がうまくだましたというのでもないようである。人生未経験のまゝ、何も考えずに貴族社会の伝統に従ったというだけのことか。
 レナール夫人は娘時代をイエズス会修道院で過ごした。そして16歳で結婚したのだから、修道院を出てすぐに結婚したのだろう。俗世間と交わる暇はなかったはずで、恋愛経験なしも当然であり、社会経験もあるはずがない。「ばかでなかったから、修道院で習ったことなんか道理に合わぬことだというので、間もなくすっかり忘れてしまった。だが、そのあとへ何もかわりのものを入れなかったから、けっきょく何もおぼえないでしまったのである」。結婚後も社会経験を積んだ形跡はなく、彼女の心と頭は3児の母となった今もなお思春期の少女みたいなタブラ・ラサ状態である。
 現在のレナール夫人の愛情は3人の子供にのみ向けられており、彼女にとっては子供がすべてである。では夫に対してはどうなのか。「夫を批評したり、夫を嫌だと考えたりするほど思いあがった気持には、かつて一度だってなったことはなかった。はっきり自分の胸に問うてみたわけではないが、夫婦のあいだにこれ以上やさしいまじわりはないものと思っていた。彼女は子供たちの将来のことを話すときの夫がいちばん好きだった。・・・要するに、彼女は自分の夫が、自分の知っているどの男よりも、ずっとましだと思っていた」。一見、何の問題もない結婚生活。しかし、どれほどましな男かを説明する語り手の口調は皮肉たっぷりであり、この結婚生活がほんとうは空虚なものであることをあらわにする。「ヴェリエール町長は、伯父ゆずりの半ダースばかりの洒落のおかげで、才知があり、ことに上品だという評判をえていた」。伯父のレナール老大尉が大革命前にオルレアン公の歩兵連隊に勤務しており、その伯父がパリのサロンで出会ったとかいう著名人たちのことを一時期レナール氏は話題にして得意がっていたのではあるが、最近ではそんな骨の折れる思い出話はほとんど話さなくなっている。「彼は金銭にかんするはなしのときは別として、たいへん慇懃だったから、ヴェリエールでいちばん貴族的な人物だとみなされていた」。レナール氏が熱心に話すのは、かつては伯父の名誉、今は金、なのである。「なんとなくあさはかな機転のきかぬ一種の自己満足と、うぬぼれの態度」が見られ、「この男の才能は貸した金はじつにがっちり支払わせるが、借りた金はできるだけ遅く支払うということだけ」。どこが上品か?! 何が才知か?!
 では、レナール夫人が夫のことを自分の知っているどの男よりもずっとましだと思えるのはなぜか。彼女の周囲にましな男がいないからである。愛情や尊敬はおろか、まともな付き合いに値するような男はひとりもいない。彼女に言い寄る貧民収容所所長のヴァルノは「地方では美男子〔いいおとこ〕と呼ばれる、粗野で、あつかましくて、騒々しい連中の一人」で、夫人はこの男の「いつもせかせかした態度とばか声が嫌い」である。「男というものはみんな自分の夫やヴァルノや群長シャルコ・ド・モジロンみたいなものだとばかり思っていた。野卑、そして金銭、位階、勲章に関係のないあらゆる事物にたいするじつにひどい無関心、自分たちに都合の悪いあらゆる理論にたいする盲目的な憎悪」。
 ほんとうは夫も軽蔑に値する俗物の一人であるのだが、だからといって夫婦生活に異を唱えたり、事を荒立てるようなことはレナール夫人の関心事ではない。「はっきり自分の胸に問うてみ」ることはせず、「うわべは非のうちどころのない従順さで、すっかり自分を殺し・・・彼女の心の動きはいつも・・・もっとも気位の高い気性から生まれたものであった」。「ただ一人で勝手に我が家の美しい庭をさまよってさえおれば、彼女にけっして不満はなかった」。自分を抑えつつ、低俗な周囲のことは気にかけず、とりあえずの平安のなかに自足する気位の高い女ということか。いずれにしてもレナール夫人は夫に対して関心がない。夫人が夫の言動に対して取っている態度に比べると、傲慢な王女ですらもっと多くの注意を周囲の貴族たちに払っていると述べられ、傲慢な王女という比喩が突然出て来てびっくりさせられるが、意味は明白である。レナール夫人にとって夫は心のつながりという点では完全に無視し得る存在、無なのである。そこへ心を通わせられる男がやってきたらどうなるか。なるようにしかならない。
 レナール夫人は最初、家庭教師というからには粗野な男がやって来て、ラテン語ができないからといっては子どもを鞭でぶったりするのではと心配するが、それもすぐに氷解する。彼女の前に姿を見せたのは恐れていたような醜い坊主ではなく、少女が変装したかと思われるほど色白で優しい目をした可憐な少年。「なに御用、坊ちゃん?」「奥様、私は家庭教師にまいりました」「レナール夫人はものも言えなかった。二人は非常に近寄ってお互いの顔をじっと見つめあっていた」「やがて彼女はすっかり小娘のようにはしゃいで、笑いだした」。ひょっとして彼女が小娘のようにはしゃいだり笑ったりしたのは人生においてこれが初めてではなかろうか、という気がする。小娘の時にもそんなことはなかったのではないか。イエズス会修道院で彼女がはしゃいで笑ったとは絶対に考えられない。今や、感情が解放される。恋の第一歩。以後、二人はどのように接近して行くのか。
 ジュリアンが来るまでは子供たちにしか注意を払わなかったレナール夫人は最初この貧しい若者の「気高く誇りをもった魂に同情を寄せ」、そのことに喜びを見出す。「寛い心、高尚な魂、人間らしさ、そういうものはこの若い僧侶以外の人には存在しない」と彼女は信じる。男はみんな夫やヴァルノのような俗物(俗物という意識は彼女にはないだろうが)であり、それが当たり前であるとしか思っていなかった彼女にとって新たな世界が開ける。
 そんな折、夫人の小間使いのエリザがジュリアンに恋をし、ある人の財産を相続したのをきっかけにジュリアンとの結婚を望むが、ジュリアンは相手にしない。この時ジュリアンはまだレナール夫人に恋などしていないのだから、恋が拒否の理由ではない。ジュリアンの大いなる野望が低いところに安住するのを許さないのである。彼の野心にとって、小間使いと結婚して田舎で平凡な一生を送るなど問題外である。エリザの告解を受け、喜んで結婚をとりもとうとしたシェラン司祭は、弟子でもあり若い友でもあるジュリアンの拒絶に驚き、「心の奥底には何か一つ暗い熱情がひそんでい」ることを感じ取り、行く末を案じる。いっぽうレナール夫人は、エリザの結婚希望を知った時は「病気になったかと思うほど、それがこたえた。熱のようなものが出て夜眠れなかった」のが、エリザ本人から断られた経緯とジュリアンに対する恨みを聞くや否や「あまりのうれしさに理性の働きを奪われたよう」になる。そして「どうしても駄目か、骨を折ってあげたいわ。あたしからジュリアンさんにはなしてみよう」などと言う。もちろん彼女の真意ではなく、ジュリアンを説得する気などない。この嘘は物語のなかでレナール夫人が犯す唯一の偽善である。ジュリアンとかマチルドは偽善がその性格の骨格をなしていて、しょっちゅう偽善的言動に出るのであるが、レナール夫人はこの1回のみ。そして期待どおりの返事をジュリアンから得る。「エリザの申し込みも、またその財産もてんで問題にされないのを見て甘い楽しさにひたっていた」。このようなレナール夫人らしからぬ意地悪も恋ゆえであり、ここに至って夫人自身もようやく気づく。「あたしジュリアンに恋しているのだろうか?」。
 一方、ジュリアンのほうは恋など眼中にない。夜の庭でベンチに腰掛けている時に夫人の手を握る有名な場面があるが、これも恋ゆえでなく、義務を果たしただけなのである。前日の夜、夕涼みの折、たまたま彼の手が夫人の手に触れたのだが、その手は素早くひっこめられた。ジュリアンは「自分の手がふれても、その手をひっこめさせないようにするのが、自分の義務だと思った。・・・それを実行できぬときは物笑いになる、というよりはむしろ自分は人におとるのだという感情を、甘んじてうけねばならぬ」というのが彼の理屈あるいは感情である。自分が勇気ある人間であることを自分に対して示すことが自分の義務であると彼は考えている。そのことによって自分が優れた人間であるとの高慢な自尊心を持ち続けることができるのである。以前、すでに初対面の場でも同様の心理は発動していた。「夫人の手に接吻しようという不敵な考え」を彼は起こし、実行し、夫人を立腹させてしまう。その時の彼の理屈が「つまらぬ職人風情をたぶんこの美しい貴婦人は軽蔑しているのだろうが、その軽蔑を減じさせるかもしれぬ、そんな行為が実行できぬようでは、おれが卑怯だということになる」であった。自分が卑怯者でないことを示さねばならぬという考えは彼の固定観念になっている。夜の庭のベンチでレナール夫人の手が最初は逃れようとしたが、結局彼の手にゆだねられた時「彼の心は歓喜にあふれた。レナール夫人を愛するからではない、恐ろしい責苦がいまおわったからだ」。私はずっと昔10代で『赤と黒』を読んだ時、時計が10時を打ち終えるまでに手を握らなければと焦るジュリアンの気持が痛いほど伝わって来てハラハラしたものだが、今読んでもさほど感じることはない。年のせい? 
 レナール夫人の恋はこの段階ではまだ無邪気なものである。初恋のときめきである。「早くから恋を知るおしゃれ娘は恋の悩みにもなれているが、いよいよほんとうの熱烈な恋をする年ごろになると、もう新鮮な魅力を感じなくなっている。レナール夫人は小説などというものに目を触れたことがなかったから、恋のどの段階も、彼女にはみな目新しかった」。「けっしてジュリアンに何も許すようなことはしまい。・・・あの人をお友達にしよう」などとしおらしいことを考えている。
 初恋の喜びにひたっているレナール夫人とは対照的に、ジュリアンの気持は喜ばしいものではない。彼女の腕に接吻を浴びせたり美しさに見入る時も彼の心は冷めていて、愛や情熱とは関係がない。彼の気持は、己に対する義務を果たしているのだという当初の不純な性格を脱することができない。しょせん身分が違うのであって、自分は軽蔑されているのだという反抗心を払いのけることができない。「おれがいつか出世した暁、なぜ家庭教師などという卑しい職についたのかととがめられたときに、恋のためにそんな地位に身を落としたと、弁解できるようにしておくためには、なおさらこの女をものにしなくちゃならん」などと策略的に恋を位置づけたりもする。レナール夫人のいとこで友人であるデルヴィール夫人はこの二人と一緒にいることが多く、冷静な観察者でもあって、レナール夫人の恋を見抜く(「まあかわいそうに、この人恋をしている!」)のだが、そのデルヴィール夫人はジュリアンの人柄を「あの人はしょっちゅう何か考えていて、何をするのも策略ずくめのようね、陰険な人よ」と喝破する。
 ジュリアンがレナール夫人の寝室へ侵入することで恋は次の段階にはいる。夜中の2時に部屋に入って来たジュリアンを見てレナール夫人は「恥知らず!」と叫ぶ。ジュリアンは「ただ女の足下にひざまずいて、その膝をじっと抱きしめた。夫人にあまりきついことを言われるので、彼は泣きだしてしまった。数時間たって、ジュリアンがレナール夫人の寝室から出て来たときは、物語〔ロマン〕の文体をかりるなら、〈彼が思い一つとしてかなわざるはなかりき〉と言ってよかった」。夫人がどのようなきついことを言ったのかは書かれていないので分からない。私はむしろ、ここの叙述からはきついことなど言わなかったという印象を受ける。男に膝を抱きしめられながら口にしたきついことなど、ほんとうはきつくなさそうである。スタンダールは物語の文体を借りてさっさと結論だけ述べている。こんな手抜きは小説としてよいのか悪いのか? それはともかくとして、かくしてジュリアンの思いは遂げられるのだけれど、しかし、自室に戻った彼の頭にまず浮かんだ考えは「なんだ! 幸福になるとか、愛されるとか言ってみても、たったあれだけのことなのか?」であり、「おれは自己にたいする義務に何一つそむくことはなかったか? おれの役割をうまくやりおおせたか?」である。「それは、いったい、どんな役割か? いつも女どもの前で伊達にふるまう男の役割!」。
 こんな男に身も心を捧げたとあってはレナール夫人としては浮かばれない。しかし、私達が安心してよい(?)ことに、ジュリアンにも変化がみられる。次の夜、昨夜ほどには役割という考えにとらわれなかったジュリアンは「見る目と聞く耳を持っていた」。つまり、伊達男を演じるという意識なしに目の前のレナール夫人を素直に愛せるようになってきたのである。さらに「幾日もたたないうちに、ジュリアンはその年ごろに特有な情熱を、すっかりよびさまされて、狂気のように恋いこがれるようになった」などという文を読むと、ジュリアンの愛も本物になったのかと考えたくなる。しかしそう理解するのは早計。「彼の恋は、やはり野心から出たものだった。それは、あんなに軽蔑されていた、みじめな憐れむべき彼が、このように気高い、美しい女をわがものにする喜ばしさだった。彼が恋いこがれるさまや、恋人の美しさをみて夢中になるところを見て、年齢のちがいを気にしていた夫人も多少安心した。もっとひらけた地方の三十女ならとっくの昔に心得ているはずの処世術を少しでも知っていたら、好奇心と自尊心の満足だけを生命とするような恋愛が、はたして長つづきするものかどうか、そこを考えて戦慄したことだろう。野心を忘れた瞬間のジュリアンは、レナール夫人の帽子や着物のようなものにまで、恍惚として見とれるのだった」。役割を演じるという意識からは脱却できても、野心、好奇心、自尊心は捨てきれない。上流階級という「敵陣で育てられた女」を征服するという思いは依然として彼を離れない。同時に、「恋人の魅力を思うと、ジュリアンはうす暗い野心などは忘れていることが多かった」のでもあるが。ジュリアンは揺れている。
 そんな折、フランス国王がヴェリエールに行幸する。レナール夫人は町長夫人の地位を利用してジュリアンを親衛隊に加え、その晴れ姿を目にして幸福感に満たされる。それが人々の好奇心を免れることはありえない。「木挽きの倅を親衛隊に抜擢した非礼問題」が町中の噂の種となったのは事の必然。「あの高慢ちきなレナール夫人が、こんな不祥事を招いたんだ。・・・ソレルの小坊主の美しい目とあんなに生きいきした頬っぺたの色を見ればわかるじゃないか」。どうもレナール夫人、大胆にやり過ぎたようである。
 それからほどなくして決定的な転機が訪れる。夫人の一番年下の子スタニスラスが重い病気になる。突如として、自分のせいだ、自分の犯している罪で子供が死ぬのだ、神が罰し給うのだという意識がレナール夫人をとらえる。天罰という考え方は神を信じない(私みたいな)人間の心に兆すこともないとはいえないが、レナール夫人のように信仰心を持った人が天罰を思ったら、その苦しみは尋常ではない。罪と罰には何の論理必然性も科学的因果関係もないなどという理屈は一切通じなくなってしまう。罪びとである自分が犠牲を捧げること以外に救いはないとしか考えられなくなる。(余談になるが、ここらあたりの心理を巧みに利用して金銭上の犠牲に転化して、それで救われるとするのがいわゆる霊感商法)。彼女はすんでのところで夫に告白しそうになる。あるいはイエズス会の回し者であるマスロン司祭にすべてを話して懺悔するかもしれない。そんなことは身の破滅以外の何物でもないと説得するジュリアンに対して夫人は言う。「でもあたし、自分自身を辱しめてやるのです。泥沼のなかへ自分自身を投げだすのです。もしかするとそのために、あの子が助かるかもしれませんわ。みんなの面前で、こんな恥を忍ぶのを、おそらくさらしものというのでしょうね。弱いあたしの考えられるかぎりでは、これが神さまに捧げられる最大の犠牲のように思えるのです」。 
 これまでレナール夫人に罪の意識がなかったわけではない。「レナール氏にたいして貞節と従順を誓った身だという考え」が心に浮かばないこともなかったが、しかし「そんなことが思い浮かんできても、うるさいお客のようにさっさと追いはらうだけ」であったというのだから、たいした罪悪感でなかったことは確かである。自分の寝室に侵入してきた男に対し「恥知らず!」と叫ぶ程度の罪悪感。社会の常識に沿っただけの罪悪感。そもそも彼女にとって夫レナールは精神的結びつきを持たない存在であるからして、その男に対して不貞を働いているという思いで苦しむ必要は彼女にはないのである。国王行幸に際してジュリアンを親衛隊に加えるという不敵な行為を敢行したのも、彼女に本来的な罪の意識がなかったことを示している。
 ところが、子どもの重病が落雷のごとく罪の意識を呼び覚ます。「信心深いたちなのに、彼女はこのときまで、神の目から見て自分の罪業がどんなに深いものであるか、思って見たこともなかった」。それは信仰心に基づく罪の意識であるだけに強力であり、理性の手に負えない。レナール夫人は「嫉妬深い神の怒りをやわらげるには、ジュリアンを憎むか、子どもを殺すか、二つに一つを選ばねばならぬ、と信じていた」。しかし、どちらもできない。ゆえに彼女の苦悩は果てしない。ジュリアンを抱きしめるかと思えば突き放す。自分の罪を罵り、神の罰を求めるかと思えば、ジュリアンへの愛を再び口にする。オペラであれば狂乱の場と呼ぶにふさわしい場面が繰り広げられる。
 幸い子供は死なずにすむ。しかし試練を経たレナール夫人はかつてのレナール夫人ではない。「自己の罪業の深さを知った彼女の理性は、ふたたび平静に復することができなかった」。彼女の愛は内面化され、絶対的なものになる。天罰が下ろうが、地獄に落ちようが愛をつらぬく以外の道はない。「あたしは天罰をうけたのです。逃れられない天罰を。・・・あたしこわくて仕方がない――でも地獄を目の前に見てこわがらない人ってある? でもあたし、ほんとうのところちっとも後悔なんかしてないの。犯していいものなら、あたし幾度でもこの罪を犯そうと思うくらいですもの」。これほどまでの愛を見せられてはジュリアンも変わらざるを得ない。「この女が貴族で、おれが職人のせがれであろうが、そんなことはどうだっていい」。虚栄心も自尊心もかなぐり捨てた彼は本心から夫人を愛するようになり、「恋の狂乱のなかへ、身もとろけるような陶酔のなかへ落ちてゆく」。「愛と悔恨と歓楽の交錯のただなかに、二人の月日は稲妻のごとく速やかに流れていった。ジュリアンは自己省察の習慣を失ってしまった」。
 たとえ神が罰を下さなくても人間たちは下そうとする。小間使いのエリザが貧民収容所所長ヴァルノにすべてを話してしまう。国王行幸の際の親衛隊抜擢事件とは違って、今回は身近に仕え、しかも恋敵でもある人物による暴露である。恋は盲目、嫉妬は千里眼とはいうけれど、エリザが事を見ぬくのに千里眼は必要なかったのではないか。かつて言い寄ったが相手にしてくれなかったレナール夫人があろうことか「家庭教師に化けた職人のせがれを恋人にし」「その男を心から熱愛している」ことを知ったヴァルノは早速匿名の手紙をレナール町長に書き送る。レナール氏は「わが家に起こっていることをすっかり手にとるように知ることができた」。遅すぎるぞ、レナール君、と茶化したいところだが、この男の鈍さは今に始まったことではないので責めてみても仕方ない。ともあれ彼はおおいに懊悩する。あれこれ解決の道を探るが、結局妻の不貞はなかったことにするのが一番いいと考えることにする。ところが、どういう経過を経てかはつまびらかにされないが、「当人〔レナール夫人〕がまだそれに気のつかないうちから、町中が彼女のよこしまな恋のことで、もちきっていた」というのだから、これは大変。ジュリアンの「色事」を話したくてうずうずしているエリザはシェラン師のもとへも懺悔に行く。事を知ったシェラン師は1年間はヴェリエールに戻るなと言い含めてジュリアンをブザンソンの神学校へ送り出す。ジュリアンはレナール夫人との最後の逢瀬を果たし、ブザンソンへと立ち去る。
 この後、舞台はブザンソン、パリと移り、レナール夫人はほぼ姿を見せなくなる。ブザンソン神学校長ピラール師は夫人から来た手紙は燃やしてしまってジュリアンに見せないし、パリではジュリアンはマチルドとの恋愛ゲームに翻弄されるしで、ジュリアンとレナール夫人の愛の物語は背景に退いてしまう。夫人が再登場するのは小説の最後のほうで、聴罪師の言うままにジュリアンを腹黒い野心家であると告発する手紙をラ・モール侯爵に送ることによってである。これが、ジュリアンが夫人をピストルで狙撃するという理解しがたい行動を呼び起こす。この『赤と黒』最大の謎については別の機会に考えてみたいとは思うが、さてどうなることか。ジュリアンとレナール夫人の愛の物語のなかにこの事件はきちんと位置付けられるのか。それとも、小説家スタンダールが支離滅裂な失策をやってしまったのか・・・

19世紀フランス小説を読みながら考えた安倍元首相国葬問題

 小説を読んでいると、本筋とはあまり関係がなく、従ってあまり重要でないくせに素通りすることができず、立ち止まって考え込んでしまう箇所に出くわすことがときとしてある。読書時点の現実世界で問題になっている事柄に触れるような箇所が小説世界からひょっこりと顔を出すのである。最近の私の体験では、例えばフロベールボヴァリー夫人』第3部第2章の次のような一節が安倍元首相の国葬問題と関わってひょっこりと顔を出した。(以下、山田𣝣訳による)。
 「シャルルは父親のことを考えていた。今まではこちらからほとんど愛情らしい愛情を感じたつもりのない人なのに、急にこうまでしたわしく思えることが不思議だった。ボヴァリー老夫人も夫のことを考えていた。昔、不幸のどん底かと思った日々すらも、追憶の目にはかえってなつかしかった。あんなにも長かった夫との明け暮れをしのんでは、本能的な哀惜の思いがいっさいを水に流した」。
 これは、主人公エマの夫シャルルの父親(やはりシャルルという名)が死んだときの叙述である。父親シャルルは息子シャルルに対して愛情と理解あふれる父親であったとは言い難く、また、妻に対して思いやりと誠実さをもった夫であったとはとうてい言えない男であった。女がハンサムな男に惚れこみ、男が持参金目当てというのがスタートであった結婚生活はうまく行かず、「昔は気さくで情の深い女だった」妻は「年をとるにつれて(ちょうど気のぬけたぶどう酒が酢になるように)、がみがみどなる、ヒステリックな、やかまし屋」になり、夫が「村の娘と見れば相手かまわず追いまわ」し、「夜ともなれば数知れぬ悪所から正体もなく酒くさい息を吐きながら帰って来る」のに苦しめられる。ついに彼女は「怒りを内攻させた忍苦の無言の行にはいり、死ぬまでその行をつづけた」。「代言人や裁判長をたずね、手形の期日を思い出しては、猶予を乞うた。家ではアイロンをかけ、縫い物をし、洗濯をし、職人の仕事ぶりを見張り、勘定を払った」。夫のほうは「年がら年中浮かぬ顔で居眠りにほうけ、目をさませば細君をいびるばかりで、暖炉のわきで煙草を吸っては灰のなかに唾を吐いていた」。
 家の内と外、家政も家計もすべて妻が引き受け、ひたすら耐える人生。大革命で認められた離婚が王政復古とともに再び禁止されていた時代背景があるのかもしれないが、とにかく家族崩壊状態。このように自堕落で無責任な夫との暮らしを、しかし夫の死んだ今、彼女は追憶して懐かしむというのである。そして、死者への哀惜の思いがいっさいを水に流すというのである。なぜそんなことが可能なのか。今さら死者をなじってみたところで何も始まらないから何も言わないでおくだけのことなのか。どんなに低劣な人間であっても死んでしまった家族は懐かしいものなのか。死者を鞭打たないのは人間らしい思いやりなのか。いろいろと考えられる理由はどれもあてはまらない。つまるところは死というものの持つ浄化作用がものをいうのである。人間には死者を哀惜する本能がそなわっている!? そして、どうもこの本能は家族間に限定されたものではないらしい。
 さて、安倍氏。もちろん安倍氏は父親シャルルのようなひどい人間ではない。二人を同列に論じることはできない。凶弾に倒れた氏を国民の誰もが悼んでいる。そんなことは重々わきまえたうえで言うのだけれど、安倍氏の場合にも死の浄化作用は起こりえるのであり、現に起こっているのではないか。あるいは起こそうとしているのではないか。非業の死を遂げた元首相に対して批判的な言辞を弄するべきでないというような雰囲気を盛り上げ、行き着く先が国葬国葬を主張する人たちは死の浄化作用に期待していて、加計・森友問題も桜を見る会問題もなかったことになってほしいのだろう。安保法制とかアベノミクスもよい政治であったということにしてしまいたいのだろう。けれど、スキャンダルを含めた安倍氏の政治はやはり政治家安倍晋三の功罪として、死と切り離して評価しなければならない。いっさいを水に流してはならない。これ、当たり前のことなのだが。
 国葬という儀式に関連してスタンダール赤と黒』に興味深い箇所がある。第1部第18章。この章は「ヴェリエールにおける国王」とタイトルがついていて、フランス国王の地方都市ヴェリエール訪問が描かれる。そのさい、レナール町長夫人がいとしのジュリアンを親衛隊に加えるべく動き、ジュリアンの晴れ姿に彼女の喜びもひとしおというエピソードが語られる。それと並ぶエピソードが、ヴェリエール近郊のブレ・ル・オ修道院に安置されている聖クレマンの遺骨の国王による参拝。ジュリアンは司祭長に任ぜられたシェラン師の副助祭としてこの礼拝に参加し、国王と司教を間近に見る機会を得る。ヴェリエールの町もこの修道院の周囲も人々で埋め尽くされている。(以下、桑原武夫生島遼一訳による)。
 「司教の演説がおわると、陛下はそれに答えられてから、天蓋の下に進み、次にうやうやしく祭壇の前の小蒲団の上にひざまずかれた。・・・謝恩の頌歌(Te Deum)がうたわれ、香の煙が立ちのぼり、小銃と大砲がひっきりなしに発射された。百姓どもは幸福と法悦に恍惚としていた。急進党〔ジャコバン〕の新聞が百号かかって築いたものも、こういう一日ですっかり駄目にされてしまうのだ」。
 名は明示されてないが、この国王はシャルル10世(在位1824~30)である。ルイ15世の孫で、大革命後に亡命し、王政復古期(1814~1830)にはユルトラ(過激王統派)として活動し、即位後も貴族復権をめざす反動的な政策をとった人物。この国王自身が遺骨礼拝をどのような意図で行ったのか、純粋な宗教心によるものか政治的意図によるものかは小説のなかでは触れられていないので分からない。はっきり書かれているのは宗教儀式の持つ政治的効果が絶大なものであるという点である。百姓どもは恍惚とし、国王がどんな政治をしているのかなどは忘れ、かくしてジャコバンの百日の努力も一日にして水の泡となる。国王にとってこれ以上の政治的パフォーマンスはないだろう。
 21世紀の日本国民は19世紀のフランス農民とどれほど違うのか。政治的に成熟しているのか。死や葬式とは性質が異なるが、選挙のたびにタレントや歌手や元スポーツ選手(今回の参議院選挙ではついにユーチューバ―まで)が担ぎ出され、当選するという構図を見ている限り、有権者が成熟しているとは言えないのではないか。地道に訴えられる政策に耳を貸すより知名度や耳障りのよいフレーズ、あるいはお祭り騒ぎに恍惚とはしないだろうが悪乗りする人たちは結構多いのである。(ほんとうは、政治が成熟していないのかもしれないが)。
 安倍元首相の国葬。いくら批判されても政府・自民党は引っ込めなどするはずがないし、反対する人っているのですねと高を括るだけだろう。ひょっとして、広告代理店に式の演出を発注し、効果的に国民の哀悼の気持を表現した形にするべく、○○クリエーターといった人々を動員しないとも限らない。オリンピックと同じ乗りで。そうなると、オリンピックは感動、国葬は哀悼という違いがあるだけで、国を挙げての一大イベントという性格が前面に押し出される点は同じである。いやいや、先走りし過ぎてしまった。国葬の演出について私が詮索しても始まらない。ともあれ、世界から多くの哀悼の意が寄せられることは確実で、加えて、偉大な政治家安倍晋三というオーラを発散でき、安倍政治に対する批判がさらに遠慮がちになってしまえば政府・自民党としては願ったり叶ったり、ますます好きなように政治ができるというわけである。国葬にこだわる主張は宗教的なものではなく、極めて政治的なものなのである。まあ、初めから誰も宗教的なものだとは思っていないか。
 死者の生前の政治をどう評価すべきかに関してモンテーニュがもっともなことを言っているので、最後にそれを引用しておきたい。『随想録』第1巻第3章(関根秀雄訳)。
 「死者に関するもろもろの法規の内、最も動かしえぬもののようにわたしに思われるのは、〈帝王たちの行為はその死後において審判せられねばならぬ〉となすそれである。彼等は、法規と同列のものであって、その主宰〔あるじ〕ではない。正義が、さきに彼等の頭上に加ええざりし所のものを、あとから彼らの評判の上に、彼等の後継者の財寶の上に、即ち我等が往々生命よりも貴しとするそれらのものの上に、加えるのは當然である。實にこの習慣は、これが遵守せられる國々に非常な便益をもたらすのみならず、すべての善王たちのむしろ願う所である。・・・私的な寵遇を蒙ったことを思って賞むべからざる王の記憶を不正に擁護する人々は、己れ獨りの節義を完うすべく天下の正義をなみするものだ。宜なるかなチツス・リヴィウスは言った。〈王様の庇護の下に養われた者の言葉は、常におびただしい衒氣と空なる證言に満ちている。各々別ちなくその王を最上位に押し上げるが故に〉と」。