野次馬的考古学

 明智光秀坂本城は本丸の石垣と考えられる物のごく一部が琵琶湖の水位が下がったときに姿を現すだけで、その実態がつかめず、幻の城とか何とか言われてきた。本ブログでも以前にその石垣の写真を載せたことがある(2021.11.15)。この秋冬もまた水位が下がり、その石垣が現れたそうであるが、私は見に行ってはいない。もう一度見たところで感慨が増すようなものでもなかろう。第一、あれが坂本城の石垣だと言われても今ひとつピンとこない。ところが、最近、地面の下から坂本城三の丸のものと思しき石垣がみつかり、歴史的にも考古学的にも意味深い発見であるとして大きく報道された。こちらは素人目にも石垣と分かるだけの姿と量で現われたのである。私も野次馬根性を発揮してさっそく発掘現場へでかけてみた。下坂本3丁目という情報だけを頼りに20分ほど自転車で探しまわり、JR湖西線の線路のすぐ東側(琵琶湖側)の新しい住宅が立っている一角を抜けたところに下のような発掘現場を発見。




 私が上の写真を撮ったのは2月8日であるが、10日と11日には現地説明会が開催された。1回あたり150人の定員で10日は3回、11日は4回開く予定と告知されていた。整理券が当日にJR比叡山坂本駅前の坂本石積みの郷公園(広場みたいな所だが)で配布されるのであるが、私などはいったいどれほどの人が来るのかに興味がわく。大きなニュースになったのだからたくさんの人か、それとも考古学的な関心のある人ってそれほど多くはいないだろうからちらほらの人なのか。この点での私の興味は考古学的でなく考現学的。人出が少なくて並ばなくていいならば専門家の説明を聞くのも悪くないな、行ってみようか、なんて思っていたけれど、結果は下のとおり。整理券を求めて長蛇の列。

列は道路へ延々と続く。

 これほどたくさんの人を坂本界隈で目にしたのは初めて。後で聞いたところでは両日で2000人を超える参加者であったとか。予定の倍だが、説明会の回数を増やしたのか、1回の人数を増やしたのか、どうしたのだろう。この点は確認していないけれど、はるばるやって来た人たち(も多かったはず)をまさか手ぶらで帰らせたりはしなかっただろう。なお、この日の資料は大津市文化財保護課のサイトにアップされているのでゆっくり見ることができる。
 さて、気になるのはこの石垣の保存である。例えば下の写真。 これは昨年の7月にやはり発掘現場説明会のおこなわれた穴太遺跡(南川原地区)の現在の様子。場所は京阪石坂線穴太駅から琵琶湖側へ少し行った所にあり、坂本城跡の近くでもある。といっても坂本城と関係はなく、古墳時代の遺跡である。現在ではすでに埋め戻されて、宅地造成工事が進行中であり、遺跡を思い起こさせるようなものは何もない。多くの遺構はこのように発掘と調査が終われば現状保存されることなく、再び土の下に戻される運命にある。
 今回の坂本城石垣について滋賀県の三日月知事は13日の記者会見で「きれいな状態で、しかも従来の予想とは異なる場所から出てきたので、大変注目している」「『埋め戻すのはもったいない』とか、『ほかにも調べてほしい』という声を現地でも聞いた。しかし、私有地であることや、民間企業の開発計画との兼ね合いもある。どう文化財を守っていくのか、大津市ともよく議論していきたい」と述べ、大津市や開発業者と話し合い、見つかった石垣などの保存を検討していく考えを示したと報道されている。いくらなんでもこの石垣を埋め戻して、その上に家を建てるなんてことはないと思うけれど。
 次は私がいつも散歩する途中で見かけている光景。現在、日吉大社からJR比叡山坂本駅まで東西に走る道路が拡張工事中である。私は最初、日吉大社の参道を広げているのかと思ったが、そうではなくて幹線道路としての機能を確保するためであるとか。要するに自動車がもっとたくさん通れる道にするのだろう。工事はだいぶ進捗していて、京阪電車坂本比叡山口駅を出て左(日吉大社比叡山)側を見れば☟
右(琵琶湖)側を見れば☟となっている。一部、掘り返したままになって囲ってあるところが見えるが、近づくと☟

私には分らないが何かの遺構らしい。無造作な囲い方からしてそれほど重要なものではないのだろう。道路が完成したあかつきにはアスファルトで覆い隠されてしまうのだろう。そんなふうに考えると、私たちの暮らしている地面の下には過去の遺物がいっぱい埋もれているはずだという思いに行きつく。当たり前といえば当たり前だけれど。
 下の写真は、先日訪れた「大津市埋蔵物文化財調査センター」で来館記念としてくださったシジミの貝殻で、縄文時代の粟津貝塚から出土したもの。同センターではちょうど坂本城の1979年の坂本城本丸とされる範囲での発掘調査で出土した瓦や陶器を展示中。さらに、大津市里山にある山ノ上遺跡(須恵器を焼いた窯跡)の展示もしていた。
山ノ上遺跡で焼いていた鴟尾〔しび〕の模型☟
ひょっとして大津は考古学上の宝庫?