ChatGPTでレポートを書いてみた!

 今回は前回「ChatGPT事始め」の続きとして、学生がChatGPTなどの生成AIにレポート(リポート)を書かせるという問題を考えてみたい。
 文科省に言われるまでもなくこの問題には各大学とも頭を悩ましているようで、それなりの対策も模索されている。京都大の湊総長は昨年(2023年)の入学式式辞で、わざわざChatGPTなどのAIに言及し、次のように述べている。「AIによる文章作成にはいくつもの問題点も指摘されています。まず、明らかな誤情報が含まれるリスクです。これは無作為のデータベースに基づくサーチである限り、避けられないことでしょう。また、特定の論旨について、その根拠となる資料を正確に引用できないことも指摘されています。これは、サーチのみでリサーチという検証を欠いているためですが、学術レポートとしては、致命的な問題点であり、主要な国際学術誌は、ChatGPTを論文の共著主体として認めることはあり得ないと言っています。少なくとも現況では、AIによる自動文章作成には・・・『文章を書く』ということに伴う重要な検証プロセスが欠けていると思います」。
 レポート試験に関する学生向けの注意喚起と警告の一例を挙げれば、同志社大学の「【重要なお知らせ】 論文・レポート試験における生成AIの使用について」は次のようになっている。「本来、論文・レポート作成に主体的に取り組むことには、自ら調べ、情報を取捨選択し、思考し、文章化する力が身につくという学習効果が期待されています。生成AIによって生成された文章を自身で作成した論文・レポートとして提出することは、学習成果を正しく評価・測定することを困難にし、公正な成績評価を妨げるだけでなく、意図せず第三者著作権を侵害する等の法的問題を招来する恐れもあります。そこで本学は・・・論文・レポート試験において、生成AIによって生成されたものを自身が作成したものとして提出することを認めないこととし、これに反する行為が判明した場合には不正行為として取り扱い、厳正に対処します」。
 「生成AIによって生成されたものを自身が作成したものとして提出することを認めないこと」も「これに反する行為が判明した場合には不正行為として取り扱い、厳正に対処」することも当然であり、どこの大学もこの点では共通した姿勢を示している。ただし一般的にはそれでいいとしても、具体的にどうすべきなのかとなると事はそれほど簡単ではない。「生成AIによって生成された文章」の定義は曖昧である。
 前回「ChatGPT事始め」で取りあげた読売新聞の記事にある「平気でAIの回答を丸写ししたリポートを提出する学生があとを絶たない」という大学教授の話は多分に誇張されているのではないか。学生もそこまで馬鹿ではないから丸写しして一丁上りとやることはあまりないのではないか。文体を変えたり、文章の順序を入れ替えたりは誰でもするだろう。それだけではなく、AIにはテーマに関係する複数の問題に答えさせ、そこから取捨選択し、合成して自分のレポートを仕上げるくらいの手間ならそれほどの負担ではないし、普通の学生ならやるのではないか。と考えた私は、論より証拠というわけで、学生の身になってAIによるレポート作成を試みてみた。レポートのテーマは「北海道開拓の歴史について述べよ。字数は2000字から3000字とする」と設定した。このテーマに特別の理由はない。大きすぎず小さすぎず、私には予備知識がまったくないテーマというだけである。なお、この学生は授業に一度も出席せず、授業内容は一切知らず、頼るのはChatGPTのみと仮定する。
 いきなり直球勝負で行く。「北海道開拓の歴史について2000字から3000字でレポートを書いてください」と丸投げでお願いしてみたら次のように出てきた。
―――
【北海道開拓の歴史】
はじめに
北海道開拓の歴史は、日本の近代化と国家の発展において重要な役割を果たしてきました。この地域の豊かな自然資源や広大な土地は、多くの人々が新たな生活を求めて移住し、開拓を進めることとなりました。本レポートでは、北海道開拓の歴史について詳しく探求し、その過程での重要な出来事や影響に焦点を当てます。
1. 古代から中世:アイヌの時代
北海道には古くからアイヌ民族が住んでおり、彼らは狩猟、漁業、採集などを通じて生活していました。アイヌ文化は独自の特徴を持ち、この地域の歴史や文化形成に大きな影響を与えました。
2. 江戸時代:幕府統治下の北海道
江戸時代に入ると、北海道は蝦夷地と呼ばれ、幕府の統治下に置かれました。幕府は北海道の国境警備や交易を管理し、この地域との関わりを強化しました。しかし、本州との接点は限られており、開拓はほとんど進んでいませんでした。
3. 幕末から明治時代:開拓への動き
幕末になると、北海道への関心が高まりました。特に、外国船の侵入から北海道を守る必要性が認識され、幕府は海防政策を強化しました。また、この時期には北海道への開拓の動きも見られましたが、まだ本格的なものではありませんでした。
4. 明治時代:開拓の本格化
明治時代に入ると、北海道開拓が本格化しました。1872年には開拓使が設置され、北海道の調査や開発が進められました。政府は土地の分配や移民の促進などを行い、北海道の開発を推進しました。
5. 移民と新たな産業の興隆
北海道開拓には多くの移民が参加しました。本州や他国からの移民が北海道に入植し、農業や漁業、林業などの産業を発展させました。また、新たな技術や文化ももたらされ、北海道の発展に貢献しました。
6. 開拓の進展とインフラの整備
明治時代後半から大正時代にかけて、北海道の開拓は急速に進展しました。鉄道や道路の整備が行われ、新たな町や村が建設されました。これにより、北海道の内陸部や山間部へのアクセスが改善され、開拓が加速しました。
7. 現代の発展と課題
現代に至るまで、北海道はその豊かな自然と多彩な産業で発展を続けています。観光業や農業、漁業、林業などが主要産業として挙げられ、地域経済に大きな影響を与えています。しかし、人口減少や環境問題などの課題もあり、これらに対処するための取り組みが求められています。
まとめ
北海道開拓の歴史は、日本の近代化と国家の発展において重要な段階を占めています。多くの人々がこの地域に移住し、豊かな自然を活かした産業が発展しました。現代においても北海道は日本経済の重要な拠点のひとつであり、その歴史と文化は今なお多くの人々に影響を与え続けています。
―――
 このあまりにも一般的、表面的な説明でしかない文章をそのままか、あるいは「です、ます」を「である」文体に変えただけで提出しても及第点は取れないだろう。北海道への入植者を「移民」と呼ぶなど語彙の不正確さも気になる。そしてなによりも字数が足りない。そこで以下のような質問をChatGPTに出してみた。
アイヌ民族とその文化
*江戸時代における外国船の北海道来航
*江戸時代における北海道開拓
*明治時代の北海道開拓
*昭和から平成にかけての北海道の発展
*札幌の歴史
その回答のなかから使えそうな情報・文章を選択し、最初の文章と合成して作り上げたのが以下のレポートである。(なお、内容が正確かどうかについて私は一切責任を負いません)。
―――
〈はじめに〉
 北海道開拓の歴史は日本の近代化と国家の発展において重要な役割を果たしてきた。広大な土地と自然資源に恵まれた北海道には近代になると新たな生活を求めて多くの人々が移住し、開拓に取り組んだ。本レポートでは、北海道開拓の歴史について探求し、その過程での重要な出来事や影響について述べてみたい。
(1)近世以前
 古代から中世にかけて北海道にはアイヌ民族が住んでおり、彼らは独自の言語と文化をもち、自然界や動物、祖先などの霊的存在に対するアニミズム的な信仰をもっていた。自然との共生を大切にし、自然の力を尊重しつつ、クマやエゾシカ、鮭などの動物や魚を狩猟・漁労し、山や森、海からの恵みを受けながら暮らしを立てていた。
(2)江戸時代
 江戸時代に入ると北海道は蝦夷地と呼ばれ、幕府の統治下に置かれた。江戸時代初期には、北前船と呼ばれる船が主に北海道の松前や函館などの地域との交易を行い、そこでの交易港の整備や交易品の増加によって、北海道の開発が進んだ。幕府は北海道の国境警備や交易を管理し、この地域との関わりを強化しようとしたが、当初は本州との接点は限られており、開拓という側面での発展はあまりみられなかった。
 ようやく江戸末期になって北海道への関心が高まってきた。その関心の一つの中心は日本の領土を守るという観点であった。当時の日本は鎖国政策の下で外国との交流が制限されていたが、北海道はその隔絶された地理的位置や北方海域の荒天などから、日本の他の地方よりも外国船の接近が比較的容易であったため、ロシア船が北海道に来航することがあった。このような外国船の侵入から北海道を守る必要性が認識され、江戸幕府は海防政策を強化することをせまられた。
 しかしいつまでも外国に対して門戸を閉ざすことは不可能であった。1854年に「蝦夷条約」がアイヌの指導者とロシアの間で結ばれた。アイヌがロシアと交易する権利を認める内容であり、これにより、ロシア船はアイヌとの交易を通じて北海道に接近し、貿易を行うようになった。1855年には日露和親条約が締結され、これにより北方の日本海および北海道地域での日本とロシアの貿易が解禁された。また、1857年には、アメリカのペリー提督の率いる黒船が北海道の沿岸に接近し、北海道の函館に対しても接触を試みたとされている。
 開拓に直結した問題に関しては開拓使の設置が重要である。開拓使は1821年に設けられ、蝦夷地の開発や統治を担当し、農業や漁業の振興、道路や港の整備などの任にあたった。また、蝦夷地の探索や地図の作成、土地の調査も行われた。北海道の南部に位置する函館には、箱館奉行所が設置され、北海道の統治と外交を担当し、蝦夷地とアイヌ民族との交流や貿易を管理した。また幕府は農民や商人などを北海道に移住させ、開拓地の開墾や経済活動を促した。特に東北地方からの入植者が多く、彼らが新たな農地開拓の担い手となった。
(3)明治時代から大正時代にかけて
 明治時代に入ると北海道開拓は日本政府による大規模なプロジェクトとして行われ、開拓が本格化することとなる。1872年には開拓使が設置され、北海道の調査や開発が進められた。政府は土地の分配や移住の促進などを行い、北海道の開発を推進した。入植が奨励され、本州や他の地域からの多くの人々が北海道に移り住み、平野部を中心として農地の開墾などにたずさわった。また、新たな技術や文化ももたらされることになった。これらの入植者なしに北海道の農業や漁業、林業などの産業発展は考えられない。
 鉄道や道路の整備も明治時代後半から大正時代にかけて急速に進展し、新たな町や村が建設された。これにより、北海道の内陸部や山間部へのアクセスが改善され、開拓が加速した。また札幌をはじめとする都市の建設も取り組まれた。1876年には札幌農学校(後の北海道大学)が設立され、北海道の教育に貢献するのはもちろんのこと、農業や工業の発展にも大きな役割を果たすこととなる。
(4)昭和以降
 昭和から平成にかけての北海道の発展は、農業、漁業、工業、観光など多岐にわたる分野で進展をみた。以下に、その主な点を挙げる。
*農業の近代化
昭和から平成初期にかけて、北海道の農業は近代化が進んだ。新たな農業技術や機械化が導入され、生産性が向上した。また、穀物や野菜などの生産量が増加し、北海道は日本有数の農業地帯となった。
*漁業の発展
北海道は豊富な漁場を有しており、昭和から平成にかけても漁業は重要な産業であった。特に昭和40年代から50年代にかけて、新たな漁業技術や船舶の発展により北海道の漁業は発展した。
*工業の成長
北海道には豊富な天然資源があり、昭和以降、鉱業や製造業などの工業も発展した。特に石炭や鉄鉱石の採掘が盛んであり、それに伴って製鉄業や化学工業なども発展した。
*開発事業
平成時代に入ると、北海道の開発事業が進展した。特に道路や鉄道の整備、港湾施設の拡充などが行われ、交通インフラの整備も進んだ。また、冬季の交通アクセス向上のために新千歳空港函館空港の整備も行われた。
*観光業の振興
北海道は美しい自然や温泉などの観光資源が豊富であり、現代では観光業は北海道の重要な産業である。特に冬のスキーリゾートや夏の自然観光が人気を集め、北海道は国内外から多くの観光客を受け入れる地域となっている。例えば1950年に初めて開催された札幌雪祭は世界的な観光イベントとして知られ、札幌の観光業を支える重要な催しとなっている。
〈まとめ〉
 以上見てきたように、現代に至るまで北海道はその豊かな自然と多彩な産業で発展を続けてきた。農業、漁業、工業、観光などに関して北海道は現代の日本経済の重要な拠点のひとつであり、その歴史と文化は今なお多くの人々に影響を与え続けている。しかしその一方で札幌など都市部への人口集中、地域間格差などの問題が生じており、これらの問題への対応が重要な課題となっている。
―――
 どうだろうか。くだらないレポートではある。表面的な羅列に終始し、検証も掘り下げもされていない。書き手が何かを理解して書いているという感じがしない。一言でいえば無責任な文章である。私が採点者であるなら「優」や「良」は与えない。では「不可」なのか。これは悩む。自分で作った文章ではないとしても、丸写しでもなさそうである。それなりの「努力」をしている。「可」くらいはやってもいいのかな? あとは何を基準にして「可」か「不可」を決めたらいいのか。内容上の不正確さや大きな間違いがないかどうか、講義内容にどれだけ触れているかどうか、この2点を実質的に判断することになるのだろう。つまり、ねつ造レポートであってもこの2点を偶然にもクリアーしていれば「可」は取れることになる。私がこのレポートを作るのに要した時間は4~5時間。サボリ学生にとってダメモトで作ってみる価値はあるのではないか。