菅首相がストレスだとか

 前に首相がメディア関係者と頻繁に会食するのは大問題ではないかと書いた。問題であるというのはメディアにとって自殺行為ではないかという意味である。それで、どの新聞や放送局が首相との食事に同席することが多いのか今年はちょっと見てみようというわけで、1月になってから首相の一日を記録した記事(朝日「首相動静」とか産経「菅日誌」など)を意識的にチェックしてみた。現在までの結果は空振り。首相が会っているのは秘書、閣僚、役人、諮問委員会の面々などばかりで、これは公的な仕事。一緒に食事をした民間人は1月6日の朝食でメディアアーティスト(て、どんな仕事の人?)落合陽一氏、産経新聞新プロジェクト本部次長山本雅史氏の2人だけ。あとは、森田千葉県知事と一度昼御飯を食べたぐらいで、それ以外に誰かと会食したという類の話はなし。なるほど、自粛しているのだと理解した。

 すると昨日、「読売新聞オンライン」に首相が就任以来働きづめで疲労とストレスが蓄積しているという記事が出た。1月4日の記者会見で衆議院の解散時期の可能性について「秋までのどこか」というべきところを「秋のどこか」と言い間違えたり、先日は、「緊急事態宣言」を適用する福岡県を静岡県と読み間違えたりして、首相大丈夫かと危ぶむ向きが政府内にも出てきているらしい。しかも、これに会食自粛がおおいに影響しているらしいという。会食を自粛するとどうなるかというと、首相がストレスを抱えこむ。さらに首相の情報収集にも困難が生じる。会食自粛によって「集める情報が減れば、判断に影響しかねない」と懸念する声が自民党ベテラン議員から出ているとか。会食が首相にとって重要な仕事であることがよく分かりました!

 現在、新型コロナ感染第3波の鎮静化するする見通しは立っていない。国民に不要不急の外出自粛を呼びかけ、飲食業に時間短縮を要請し、テレワークの必要性を強調するだけでいいのか。「緊急事態宣言」を出せばよいというものではなかろう。「コロナ対策特別措置法」に罰則規定を設けるというのは方向が違うのではないか。罰則というやり方が気になるし、効果も期待できないのではないか。効果が出なければさらに罰則を強化しようという方向に向かわないとも限らない。今必要なのは、これをやればコロナに勝てるという具体策ではないのか。そのためにも政府に意見を具申している人たちをはじめとする医学の専門家ははっきり意見を言うべきであろう。純粋に医学的見地から言うべきであって、経済活動への影響などを忖度すべきではない。純粋に医学的な意見を受け、それを判断して政策化するのは行政と政治の仕事である。その際に経済その他の要素が勘案されればよいのである。政策的なバイアスのかかっていない専門家の意見。これこそ今、菅首相に必要な情報ではないのか。これなら会食しなくても収集できるのだけれども・・・

 あと、最近ちょっと面白いと思ったのは、菅首相の言動を「鬼滅の刃」ならぬ「自滅の刃」だと、ある自民党幹部が揶揄したという記事(「東洋経済ONLINE」)。自民党議員のなかにもちょっとしたセンス(?)の持ち主がいたようだ。それにもうひとつ。菅首相はメモを棒読みするだけで自分の言葉で語らない。そのうえ読み間違える。さらに、「・・・と思います」といった調子で「思います」を多用して言い切ることをしない。これでは国民に訴える力がない、もっと自分の言葉で自信をもってしゃべるべきだといった批判がある。確かに「思います」は控えたほうがよいと思うし、読み間違いは駄目だけれど、メモを棒読みは構わないのではないか。西洋から伝わったもので日本に根付かなかったものに鍵の文化と弁論術があるという説を昔どこかで読んだ覚えがあるが、鍵はともかくとして弁論術は依然として私たちのものになっていない。オバマアメリカ大統領のような雄弁(トランプ大統領は違うが)を日本の首相に求めるのが無理というもの。それにヒトラーのような例もあるし、必ずしも原稿なしに滔々と自説を述べるのが立派な政治家であると考えなくてもいいのではないか。自分の言葉で聴衆を魅了する日本国総理大臣は将来に期待することとして、とりあえず今必要なのは的確な情報収集に基づいた適切な政策を立て、それを記したメモを正しく読む首相である。