音楽ドキュメンタリー映画3本

 2カ月近く前、Fire TV Stickを購入。映画はパソコン画面でも見られるが、私は大きなテレビ画面で見るほうがしっくりいく。なによりも定額かつ低額で見放題というのがいい。未見で、かつ興味を引く映画は山ほどあるし、テレビのドキュメンタリーにも見ておきたかったというものが少なくない。こちらの都合で一旦停止できるのもありがたい。途中で心置きなくトイレに立てるし、昼御飯で中断しても、スーパーに買い物に出かけても問題なし。見たところから再生可能。ということで、ほぼ毎日映画を見ている。
 画面の視聴リストには推理もの、刑事もの、スパイもの、地球危機ものがいっぱい並んでいて、最初の1カ月ほどはそれらを手当たり次第に見ていたが、少し飽きてきたのでこの1週間は違うジャンルを探してみた。そして、音楽関係ドキュメンタリーを3本、男の友情ものを3本見た。『私は、マリア・カラス』『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』と『最強の二人』『最高の人生の見つけ方』『ヴィンセントが教えてくれたこと』。今日はとりあえず、音楽関係ドキュメンタリー3作品についてのちょっとした感想を記しておこうと思う。

『私は、マリア・カラス
 マリア・カラスの演技力は認めるとしても(オペラ歌手として演技力は重要だと彼女自身この映画のなかで語っている)、私は彼女の声があまり好きでない。モンセラート・カバリエならうっとりと聴き惚れることがあるけれど、カラスにはそういう経験はない。そして、この映画を見ていて気付いたのはプロポーションがよくないということ。ソプラノ歌手にはプロポーションをうんぬんするもおろか、肥満体系の人たちがあふれている。若い頃はスマートでもすさまじい中年太りをする人も稀ではない。カラスの場合はそういうのでなく、体躯があまり豊かでなく、むしろ貧弱だということである。比較上顔が大きく見え、さらにその各部分、つまり目と口と鼻が大きくて、とても目立つ。でも、このことは欠点ではなく、むしろ長所だったのではないか。オペラではたっぷりとした衣装を身にまとうことが多いので、体躯の貧弱さは欠点にはならない。目鼻立ちがはっきりしていることは舞台上で演技をするにはおおいなる利点だったのではないか。大富豪オナシスとの恋愛はどこまで真剣だったのか、またオナシスがどこまで本気だったのか、霧の中。

パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』
 フラメンコギターを趣味としてきた私にとってパコ・デ・ルシアは身近で、かつ、とても遠い存在。演奏会にも行ったし、CDも7~8枚持っていて、よく聞いたし今も聴く。とくに「アルモライマ」が私の大好きな一曲。私のギターの師匠がコピーした彼の曲を練習したこともある。しかし、パコのように弾けるなんて絶対不可能。そんな願い事は不遜というもの。次元が違い過ぎる。あちらは宇宙人、こちらは地球人。せめて彼の半分のスピードでいいから指が動いてくれたらという願いさえも叶わなかった。この映画を見て、改めて彼のすごさを認識。と同時に意外だったこともある。演奏に対して彼が神経質であったこと。コンサートの始まる前、1時間は独りでいることを望み、心を落ち着け、爪の手入れなどにも最新の注意を払っていたことを初めて知った。数分前に会場にやって来るなりギターを取り出し、ちょこちょこっとチューニングを済ませ、ステージに上がってバリバリ弾き始めるという、私が勝手に抱いていた、演奏に何の困難も感じない自由闊達なギタリストというイメージとはまったく違っていた。彼も地球人だったのか。それにしても、インタビューに応じる彼の老け具合ときたら。すっかりお爺さんになってしまっていた。亡くなったのは2014年、66才だったから、それほど老け込む年ではなかったはず。演奏家として常に先頭を走っていなければならないことには人知れぬ苦労があったのかもしれない。

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス
 映画は2016年、カストロ死亡のニュースが流れるところから始まる。この年、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」もさよならコンサートツアーをし、グループとしての幕引きをしたのである。とは言うものの、1997年のアルバムで歌い、1999年の映画で姿を見せていた演奏家の多くは既に亡くなっている。コンパイ・セグンド(1907年生まれ)をはじめとする中心的なメンバーは既に高齢であったから、それも当然なのであるが、泣きながら棺を見送る人々の様子からは彼らが多くの人々から敬愛されていたことが伝わってくる。なんといっても一番存在感のあるのは歌手のイブライム・フェレール。引退後、靴磨きなどで生計を立てていた彼は、1997年のアルバムでよみがえる。不死鳥のようにと言いたいところだが、昔の彼は決して歌手として優遇されていたわけではない、トップアーティストと認められていたわけではなかったことがこの映画からは読み取れる。だから、晩年の8年ぐらいが彼の輝いていた時期。70歳を超えた彼が舞台上で歌い、ステップを踏む姿は素晴らしい。聴衆もまるでロックコンサート顔負けの熱狂ぶり。彼の言葉「俺は遅咲きだが、人生の花は誰にでも訪れる」。2006年8月3日最後のコンサートでは2曲歌うごとにスタッフが酸素吸入をしなければならなかったとか。その3日後8月6日に亡くなった。
 キューバ音楽の黄金時代は1950年台であったとか。しかし、それはバティスタ独裁軍事政権の時代でもあった。米国大資本が農場を支配して人々を搾取し、ハバナにはマフィアがホテルやカジノを作り、キューバは米国にとって宝島であり、一大リゾート地であった。映画『ゴッドファーザー第2部』には、キューバの利権をめぐってのマフィアの抗争が描かれている。アル・パチーノ扮するマイケルが駆け引き相手であるマフィアの大物の誕生日に招待されてハバナに出かけ、その滞在中にちょうどカストロ率いる反政府軍バティスタ政権を打倒、米国人たちは先を争ってキューバを脱出するというエピソードもある。1950年代はキューバという国、キューバの人々にとってまさしく暗黒時代であった。しかし、同時にキューバ音楽の黄金時代!貧困層出身で音楽の才能のある人間はホテルやクラブで演奏する機会に恵まれ、ある意味でいい時代であったのではないか、おそらく。革命によって大切な客である米国人を失った彼らは収入を失い、職を失うことにもなる。個人的な事情だけでなら革命を恨んでもおかしくないところだ。新しい職場を求めて米国に渡ることだって可能性としてありうる。実際、この映画に登場する唯一の女性歌手(後で加入した若い歌手は別として)であるオマーラの姉はマイアミに移住している。この姉は歌う場を求めての移住ではなさそうだが、演奏家のなかには歌ったり踊ったりする場を求めて移住した人もいたに違いない。でも、この映画に登場する人たちはキューバに残った。そして40年後にアルバムと映画の製作に参加した。彼らは革命後のキューバに対しておおむね肯定的、共感的であるように見える。
 映画は終わり近く、米国とキューバの国交正常化の一環としてオバマ大統領が「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」をホワイトハウスに招待した映像、オバマキューバを訪問した映像を流し、そして、最後にハバナにおけるさよならコンサートの模様を映し出す。コンサート会場の名はなんと「カール・マルクス劇場」。まさか自分の名を付けられらたホールでキューバ音楽が21世紀の初めに演奏されるとはマルクスも予見していなかったに違いない。