レマルク『西部戦線異状なし』

  
 レマルク(1939年)


 エーリヒ・マリーア・レマルク(1898-1970)の小説『西部戦線異状なし』は1928年に新聞に連載され、翌29年に単行本として出版された。右翼からはドイツの前線兵士たちの思い出を汚すものであるという批判、左翼からは戦争の原因が追究されていない、平和への志向が欠如しているといった批判などがなされたようであるが、1930年の6月にはミリオンセラーとなった。小説冒頭の「この本は訴えでもなければ告白といったものでもない。戦争によってだいなしにされた、たとえ彼らが榴弾を免れた場合でも、だいなしにされた一世代について報告する試みにすぎない」という著者の控え目な前書きはそのまま受け取るべきだとしても、しかし、そのことはこの小説を反戦小説として読むことに矛盾するものではない。少なくとも『西部戦線』を読んだ後で戦争は素敵だとか、戦争にも一理あるとか考える人はいないはずである。
 時代は第1次世界大戦の中頃から終盤にかけての1915∼18年ごろ。主人公パウル・ボイマーは志願兵としてドイツとフランスの北部国境に延びた西部戦線にいる。彼は多くのクラス仲間とともに教師のカントレックの演説に愛国心と義勇心を煽られ、祖国のために戦うことを志願し、学業を中断して今ここにいるのである。しかし、彼も級友たちも当初の高揚した心は早くも失せている。クラスメートのなかで最後まで志願を渋っていたベームはすでに戦死している。国家に対する最高の務めなどという理念も前線で敵の銃撃や爆撃に出くわせばたちまち消え去る。死は具体的な事実としてすぐそばにある。彼らは死の恐怖に脅かされながら戦闘に従事している。パウルによる一人称の語りで物語は進行する。
 NHK映像の世紀』第2集「大量殺戮の完成 塹壕の兵士たちはすさまじい兵器の出現を見た」によれば、第1次世界大戦は新たな大量殺戮兵器の使用によって戦争のシステムを一変させたということである。大砲を敵陣へ撃ち込んで打撃を与えた後、騎兵と歩兵が突撃して決着をつけるというのが従来の戦争(ナポレオン戦争普仏戦争)のやり方であったが、それが機関銃(当時のもので1分間に745発の弾丸を発射したとか)の登場によって通用しなくなった。塹壕が前線に張り巡らされることになる。機関銃やその他の砲弾から身を守りつつ敵陣へ近づくためにである。兵士たちは大戦開始当初は布と皮でできた帽子をかぶっていたが、じきに鉄兜にとって代わられる。毒ガス、戦車、火炎放射器空爆も第1次世界大戦で初めて登場する。
 塹壕戦について『西部戦線』は詳しく書く。この塹壕というやつ、しかし、あまり役に立っているようには思えない。いくら敵陣に近づいても最後は塹壕を出て敵の塹壕へ攻め込まなくてはならない。やはり敵の機関銃に身をさらすしかないのである。兵士たちは次々に倒れる。人海戦術である。100人が突撃して50人がやられても残りの50人が敵の塹壕へ飛び込んで敵と切り結べばよいという戦術だとしか思えない。また、自軍の塹壕にいても安全ではない。敵が防御を破ってこちらの塹壕に飛び込んできたら肉弾戦の修羅場だが、そうでなくても命を失う危険は大きい。塹壕の中にいても敵の砲弾や銃弾は飛んでくる。退避壕はあってもコンクリート製なら上等な部類で、なかには木製のもある。大砲の砲弾が直撃すれば簡単に崩れ落ちる。パウルは語る。「2,3カ月前ぼくは退避壕にいてトランプをやっていた。しばらくして立ち上がり、別の退避壕の知り合いのところへ出かけた。戻って来ると、さっきの退避壕は跡形もなかった。大きな命中弾でボロボロにやられたのである。2番目の退避壕へ取って返すと、それも土に埋もれていて、ぼくはそれを掘り出すのを手伝うのになんとか間にあった」。加えて塹壕には水が溜まり、塹壕戦は泥水との戦いでもある。『映像の世紀』では塹壕足といって水虫と凍傷に兵士たちが悩まされる様子が映し出されている。
 塹壕戦は肉体のみならず精神をも破壊する。やはり『映像の世紀』にはシェルショック(砲弾神経症)で神経をやられた人たちがうまく歩けずに転んだり地面を這いまわったりするショッキングな姿が映し出されている。砲弾が絶えず飛びかい、砲弾の音が絶えず聞こえる塹壕滞在によって神経がまいってしまうのである。患者はイギリスだけでも12万人だとか。『西部戦線』では、退避壕の中で耐えることができず、表に飛び出そうとする兵士についての記述がある。これはUnterstandsangst(退避壕不安)と作品中では呼ばれている精神状態で、集団発生することもある。ある時、パウルのいる退避壕が砲弾を受けるが、崩れるまでには至らない。しかし3人の兵士が外へ飛び出そうと暴れ出す。1人は外へ駆け出してしまう。さらに1人が逃げ出そうとするのでパウルは止めようと追いかけるが、「その時、ヒューと音がした。ぼくは身を伏せた。それから立ち上がると塹壕の壁は熱い骨のかけらと肉片と軍服の切れ端が一面に張り付いていた。ぼくは這って戻った」。『西部戦線』では恐怖のあまり失禁する新兵も出てくる。これはKanonenfieber(砲弾熱)と呼ばれている。名称はいろいろでも、戦場において精神の損傷される点において大同小異である。
 『西部戦線』はすでに出版の翌1930年にアメリカで映画化されている。1979年にはアメリカとイギリス合作のテレビ映画が作られたとか。ドイツで映画化されたのは昨年2022年が初めて(ただしNetflixオリジナル作品ということなのでドイツ映画といえるかどうかは分からない。まあ、インターナショナルか)で、アカデミー賞の国際長編映画賞その他を受賞している。この作品はもちろんのこと、1930年のアメリカ版もネット配信で見られる。1930年版はおおむね原作に忠実であるのに対し、2022年版は原作の多くのエピソードを省略し、大幅に手を加えている。
 2022年版映画は、戦場で兵士たちが次々と倒れるシーンから始まる。倒れた兵士の着ていた軍服が回収され、クリーニングされ、修繕される。こうしてリサイクルされた軍服が新しく兵士になる青年たちに渡される。主人公パウル・ボイマーが受け取った軍服には戦死した青年の名前のタグが付いたままである。パウルが他人のではないかと申し出ると係官はタグを引きちぎり、サイズが合わなかったのだろうと言って、パウルにそのまま渡す。こうしてリサイクル可能な軍服とリサイクル不可能な人間の命がアイロニカルに対比させられる。これは原作にないプロットである。この映画は原作にいろいろ手を加えているが、なかでも最も大きな変更点はドイツ政府とフランス政府の停戦交渉という原作にはまったくないプロットが挿入されている点である。
 映画だけに登場するマティアス・エルツベルガーという人物は、停戦交渉にたずさわり、協定文書に署名した実在の政治家である。連日報告される死者数の多さに心を痛める彼は一日も早い停戦を実現しようとするが、軍部は容易に同意しない。フランス側の要求はあまりにも過酷であり、停戦は事実上の無条件降伏である。エルツベルガーはドイツをフランスに売りわたす売国奴社会民主主義者と罵られながらもなんとか停戦に持ち込む。1918年11月11日午前11時をもって停戦の合意がなされる。しかし、前線で指揮にあたる将軍が戦争のことしか頭にない根っからの軍国主義者で、敗戦をいさぎよく受け入れようとはしない。自分の父親は軍人として3回ビスマルクの下で勝利し英雄となったが、自分は生まれるのが遅かった、ドイツはもう50年も戦争をしていないなどとほざいている。彼は兵士を集め、英雄となりたければ戦えと言って突撃命令を出す。命令に従おうとしない兵士たちはその場で銃殺される。パウルたちは銃に剣を装備してフランス軍塹壕へと向かう。停戦直前の11時15分前にドイツ軍がフランス軍塹壕へなだれ込み、無意味そのものの殺し合いが繰り広げられる。パウルは何人かのフランス兵を倒すが、最後に背中から胸まで貫通する刺し傷を負う。11時に停戦となり、誰も戦う者のいなくなった戦場でパウルはこと切れる。軍国主義の愚かさを強調する脚本である。
 2022年版映画は毒ガスや戦車や火炎放射器の残酷さを映像化することにも怠りがない。毒ガスでは60人の新兵がいっぺんに犠牲になる。連絡の途絶えた彼らを探しに出かけたパウルたちは彼らが全員死んでいるのを発見する。知識不足の新兵たちは防毒マスクを外すのが早すぎたのである。また、戦車はまるで悪魔か怪物のように襲ってくる。人間をひきつぶし、塹壕の上にのしかかり、破壊する。火炎放射器の炎を浴びた兵士は火だるまになり地面を転げまわる。パウルの親友のクロップは原作では脚を撃たれて後方の病院に送られ、脚を切断されるという設定だが、この映画ではパウルの目の前で火炎放射器にやられる。
 原作の多くのエピソードを省いたり変更したりしている2022年版映画だが、パウルと年上の兵士カチンスキ―の友情など原作どおりの部分ももちろんある。なかでも最も忠実に再現されているのはパウルがフランス兵を刺し殺す場面である。
 敵と味方が入り混じった白兵戦で、かつ機関銃が間断なくうなりをあげる絶望的な戦いのさなか、パウルが砲弾でできた穴に身を潜めていると一人のフランス兵が偶然足を滑らして穴に転げ落ちてくる。パウルはとっさにその兵士をナイフで刺す。兵士として普通の行動である。しかし傷は瀕死の傷ではあっても即死に至らしめるほどではなく、兵士は呻きながらしばらくはまだ生きている。パウルは明るくなる前にその場を立ち去りたいのだが、近くに敵の前線があり、姿を見せれば狙撃されることは必至で、穴から出ることはできない。自分が傷つけた兵士と向かいあわざるを得ない状況の中で彼はその兵士をいっきに殺してしまう代わりに水を与えたり、傷口に包帯をあてがったりして介抱する。自分の手にかかって一人の人間が死のうとしていることの重みが彼の心を押しつぶしそうになる。「彼は目に見えないナイフを持ち、それでぼくを刺し殺すのだ」とパウルは考える。「彼の命が助かるならぼくはそのためにいろいろやってみるだろう。そばに横たわって彼の姿を見、声を聞いていなければならないのはたまらなかった。午後3時に彼は死んだ」。
 死んだ兵士の所持していた紙入れには数通の手紙、妻と幼い娘の写真、そして彼の名前と職業などの記入された登録簿がはいっていた。ジェラール・デュヴァル、印刷工。パウルが殺したのは名前と職業と家族を持った人間だったのである。パウルは死者に話しかける。「戦友よ、ぼくはきみを殺するつもりはなかったのだ。きみがもう一度ここへ飛び込んできて、きみにも分別があったならぼくは殺すなんてしないよ。だけどあの時のきみは一つの想念、ぼくの脳のなかに住んで決断を呼び起こす何かの組み合わせでしかなかったのだ。この組み合わせをぼくは刺し殺したのだ。今初めてぼくはきみもぼくと同じ人間だということが分かる。あの時、頭にあったのはきみの手りゅう弾、銃剣、武器なのだ。今、目に浮かぶのはきみの奥さん、きみの顔、共通点。ぼくを許してくれ、戦友よ」。
 『西部戦線』を反戦小説と見なすことが可能なのはこの場面があるからだと私は思う。機関銃で多くの人間がなぎ倒され、大砲や地雷で人間の体が粉々に吹き飛ばされ、血や肉が飛び散る様子を描くことは戦争の残酷さを伝えるうえで必要だが十分ではない。それだけの描写では下手すれば戦記物SFになってしまう。戦争で殺したり殺されたりするのは普通の人間であるという視点を導入してこそ戦争の真の残酷さを伝えることができるのではなかろうか。その方法はいろいろあるだろうが、小説『西部戦線』は真っ向勝負でそのことを伝えようとしている。2022年版映画が、そして1930年版映画も上の場面を原作に忠実に再現しているのはけだし正当な処置といえよう。
 1930年版映画がドイツで上映されたとき、のちのナチスドイツ宣伝相、この時ナチス党のベルリン地区指導者であったヨーゼフ・ゲッベルス妨害工作に乗り出し、上映中止に追い込んだ。その後小説『西部戦線』はナチスによって禁書となり、レマルクは市民権を奪われ、米国へ移り、米国の市民権を獲得する。
 第1次世界大戦の大量殺戮兵器は第2次世界大戦においては原爆という次元の異なる大量殺戮兵器にとって代わられた。核弾頭を搭載したミサイルを地球上のどこへ向かっても撃ち出せる時代となり、核抑止力というなんとも不気味でグロテスクなベクトルが地球を支配している時代となった。小説『西部戦線』を読み、映画『西部戦線』を見ることで、現在起こるかもしれない戦争の恐怖をどれだけ理解できるかには疑問が残る。これが私の率直な感想。しかし、やはり読むことと見ることを勧めたい『西部戦線異状なし』である。