夏目漱石『明暗』:先を超される男、津田

 夏目漱石『明暗』は新聞連載途中で漱石の死によって中断され、未完に終わった小説である。連載188回まで書かれたのだが、そのあと何回まで続いてどういう経過をたどり、どういう結末を迎えることになるのかは誰にも分からないままに残された。
 小説冒頭で主人公津田由雄〔よしお〕が医者から痔の手術が必要なことを告げられる。彼は数日後に手術を受け、引き続き1週間入院する。この入院中に起こる数人の人物のやり取りが小説の中心部を構成する。津田は退院後すぐ湯治場に出かけ、清子に再会するところで小説は中断される。この清子はかつての津田の恋人で重要人物であるはずなのだが、最後のほう、連載176回目になってようやく登場し、登場してすぐに小説が途絶えたため、彼女の重要人物ぶり(これまでの津田との関係、これからの役割)は書かれることなく終わってしまった。漱石があと半年永らえれば小説は完成したはず、最後まで読みたかったという感慨も湧かないことはないが、それは詮無いこと。私たちは現にあるがままの作品を読むのみである。
 読み方はいろいろあろうが、その一つとして「先を超される男、津田」というのを考えてみたが、どうだろうか。津田は自分から行動を起こすことはなく、他の人間から先に行動をしかけられ、それに受け身で答える形でしか行動しない、あるいはそれを受け入れるだけで終わってしまうタイプの人間である。こんな見方はべつに目新しいことではないかもしれないが、以下、私なりに津田と交渉のある4人の人物を通してそのあたりを見てみたい。
【お延】
 津田30才、妻お延〔ノブ〕(延子)は23才。二人は結婚して半年ばかりだから新婚といってよい。ところが、彼らの関係はどことなくぎくしゃくしていて、意思疎通はスムーズさを欠き、互いの気持もちょっとずれている。そのことはお延が最初に登場する場面から始まり、その後もどんどん書き込まれる。
 津田が医者に手術を告げられて帰宅した日の夕暮れ。お延は門の前に立ってこちらをうかがっているが、角を曲がってこちらへ向かう夫の姿を認めると視線をそらし何かを見ている素振りを示す。津田に声をかけられて初めて気がついたかのように「ああ吃驚〔びっくり〕した。――御帰り遊ばせ」と応じる。津田の問いに対して雀を見ていたと答えるが、津田が見上げても雀は見えない。ちょっとおかしい。なぜわざわざよそを見、さらにその場を取り繕うのか。
 帰宅時に津田がお延から受ける奇妙な感じは次の日も続く。〈彼が玄関の格子へ手を掛けようとすると、格子のまだ開かない先に、障子の方がすうと開いた。そうしてお延の姿が何時の間にか、彼の前に現れていた。彼は吃驚したように、薄化粧を施こした彼女の横顔を眺めた〉。夫の先を超すとも気が利いているとも解釈できるこの種の行動を〈津田は時々自分の眼先にちらつく洋刀〔ナイフ〕の光のように眺める事があった。小さいながら冴えているという感じと共に、何処か気味の悪いという心持も起った〉。
 さらに3日目の夜。津田が帰宅すると2階も玄関も真っ暗である。〈彼はがらりと格子を開けた。それでもお延は出て来なかった。昨日の今頃待ち伏せでもするようにして彼女から毒気を抜かれた時は、余り好い心持もしなかったが、こうして迎える人もない真暗な玄関に立たされて見ると、矢張り昨日の方が愉快だったという気が彼の胸の何処かでした〉。
 そして4日目。付き合いたくない知人の小林との付き合いたくない酒の席から彼が遅く帰宅すると門が閉まっているのは遅い時刻としては通例であるが、いつもと違って潜り戸に掛け金がかかっていて開かない。〈彼は手を挙げて開かない潜り戸をとんとんと二つ敲いた。「此所を開けろ」というよりも「此所をなぜ締めた」といって詰問する様な音が、更け渡りつつある往来の暗がりに響いた。すると内側ですぐ「はい」という返事がした。・・・格子がすぐがらりと開いた。入口の開き戸がまだ閉〔た〕ててない事は慥かであった。「どなた?」 潜りのすぐ向う側まで来た足音が止まると、お延は先ずこう云って誰何した。彼は猶の事急〔せ〕き込んだ。「早く開けろ、己だ」 お延は「あらッ」と叫んだ。「貴方だったの。御免遊ばせ」 ごとごと云わして鐉〔かきがね〕を外した後で夫を内へ入れた彼女は何時もより少し蒼い顔をしていた〉。なぜ締め出しを食わせたのだという津田の詰問にお延は下女が昨夕締めたきりで朝外し忘れたのだと答える。〈下女を起こしてまで責任者を調べる必要を認めなかった津田は、潜り戸の事をそのままにして寐た〉。
 津田とお延は表立って諍うわけではない。気持ちが少しずれているだけである。待ち伏せするかのように夫の帰宅を待ち受けていたり、玄関の灯りを点けないままにしておいたりがどこまで意図的ないし自覚的なのかははっきりしない。意図も自覚もなくそうやっているというのがおそらく真実なのだろう。しかし、そのようなお延の行動によって夫婦間のぎこちなさを津田は感じざるを得なくさせられるのである。
 場合によってはお延の行動は目的意識的になることもある。津田が手術を受ける可能性の高い次の日曜日は夫婦が親戚の岡本から芝居見物に誘われている日でもある。お延は自分だけが出かけるわけにはいかない、断っておくからと言う。しかしそう言ったすぐ後で彼女がよそ行きの帯と着物を出して広げている場に津田は出くわす。〈「今時分そんなものを出してどうするんだい」「ただ出して見たのよ。あたしこの帯まだ一遍も締めた事がないんですもの」「それで今度その服装〔なり〕で芝居に出掛けようというのかね」。津田の言葉には皮肉に伴う或冷やかさがあった。お延は何にも答えずに下を向いた〉。そして手術当日の朝。着飾ったお延の姿に津田はびっくりさせられる。夫の伴で病院へ行くには余りにも場違いな盛装ぶりに困惑している津田を、これから着替えるのは大変だからとお延は言いくるめ、その格好で病院へ同行する。手術を終えた津田にお延は岡本が是非芝居へ来いと言うのだが行ってよいかと不意打ちを食らわせる。〈津田の頭に、今朝からのお延の所作が一度に閃めいた。病院へ随いて来るにしては派手過ぎる彼女の衣装といい、出る前に日曜だと断った彼女の注意といい、此所へ来てから、そわそわして岡本へ電話をかけた彼女の態度といい、悉く芝居の二字に向って注ぎ込まれているようにも取れた〉。わざわざ自分から岡本に電話した(でなければ是非来いと言われることもない!)ことについてもお延の言い分はなかなか理屈が通っている。「一辺断ったけれども、模様次第では行けるかも知れないだろうから、もう一辺その日の午〔ひる〕までに電話で都合を知らせろって云って来たんですもの」。ただし、そう云って来た岡本の手紙をお延は津田に示していない、とわざわざ断ってあるところをみると、ひょっとしてお延は嘘も方便を辞さない女であるかもしれないと読者は理解すべきなのか。いずれにせよ、お延は予定通り芝居へ出かける。
【小林】
 津田は実の両親にではなく父親の弟である藤井に育てられた。藤井は叔父というよりむしろ父親というべき存在である。この藤井は「始終貧乏していた。彼は未だかつて月給というものを貰った覚のない男であった。・・・規則ずくめな事に何でも反対したがった・・・一種の勉強家であると共に一種の不精者に生れ付いた彼は、遂に活字で飯を食わなければならない運命の所有者に過ぎなかった」。要するに貧乏文士らしい。
 その藤井を先生と呼び、その家に出入りして雑誌の編集や校正をしているのが小林で、もちろん貧乏。しかも津田の学校時代からの友人である。会社勤めをしていて一定の収入がある津田は彼から見れば余裕のある恵まれた人種であり、その津田から返すつもりのない借金をすることも彼は平気で、むしろ正当な権利くらいに考えている。カネをせびるにかこつけて小林の繰り広げる議論は強引であるが、彼の居直りぶりには論理を超えた説得力もあり、津田はそれにけおされることもある。日本での生活に見切りをつけて朝鮮に渡るという小林をフランス料理店に招いて送別した際に小林は言う。「僕は今君の御馳走になって、こうしてパクパク食ってる仏蘭西料理も、この間の晩君に御招待申して叱られたあの汚らしい酒場〔バー〕の酒も、どっちも無差別に旨い位味覚の発達しない男なんだ。そこを君は軽蔑するだろう。然るに僕は却ってそこを自慢にして、軽蔑する君を逆に軽蔑しているんだ。・・・考えて見給え、君と僕がこの点に於て何方が窮屈で、何方が自由だか。何方が幸福で、何方が束縛を余計感じているか。・・・君の腰は始終ぐらついてるよ。度胸が坐ってないよ。・・・何故だ。何故でもない。なまじいに自由が利くためさ。贅沢をいう余地があるからさ。僕のように窮地に突き落とされて、どうでも勝手にしやがれという気分になれないからさ」。
 安酒場の酒と高級フランス料理のあいだに違いはないという議論を小林は芸者と貴婦人のあいだにも違いはないという議論へと敷衍する。自分は芸者と貴婦人を区別する鑑識眼を持たないし、そんな区別を認めない。女性に対して鑑識眼を発揮せずにはいられない男は、あれは厭、これも厭、あれがよい、これでなくてはならぬ、などと窮屈なところへ自分を追い込むだけである。なまじっか自由が利き、贅沢をいう余地があるがための苦痛である。といった一般論から小林は津田の過去と現在へと話を移す。こちらが本来のねらいであるらしい。「君はあの清子さんという女に熱中していたろう。一しきりは、何でもかでもあの女でなけりゃならないような事を云ってたろう。そればかりじゃない、向うでも天下に君一人より外に男はないと思っているように解釈していたろう。ところがどうだい結果は」「君は自分の好みでお延さんを貰ったろう。だけれども今の君は決してお延さんに満足しているんじゃなかろう」。痛いところを衝かれた津田は小林の言葉を否定できず、「だって世の中に完全なもののない以上、それも已むをえないじゃないか」と一般論であいまいに答えるのみである。
 小林は津田とお延を別として、その次にもっともよく姿を見せる人物である。小林が登場する場面は4回あり、上のフランス料理店での会話は4回目、最後の場面である。1回目は津田が手術前に報告かたがた藤井を訪れ、たまたま居合わせた小林と帰り道を共にしたときで、自分が学生時代に着ていた古い外套をくれと言われた津田は応諾する。そして場末の酒場で飲みたくない酒を飲む。小林が渋る津田をやむなく承知させた殺し文句は「そんなに厭か、僕と一所に酒を飲むのは」であった。朝鮮へ行くこともこのときに聞かされる。
 2回目に姿を見せるのは約束の外套をもらい受けるべく津田の入院中にその留守宅を訪れたときである。応対したお延は津田から話を聞いていなかったので確認のために下女に公衆電話から病院へ電話させる。しかし病院側の不手際などで津田にまで話が届かず、下女が自分の判断で病院まで電車で往復したため帰宅が遅れ、その間お延は小林と二人きりにされ、いやでも彼と対面せざるを得ない。そのなかで小林が漏らした、近頃津田が変わったという言葉にお延は引っかかりを覚え、小林から津田の過去を聞き出そうとするが彼の応答は要領を得ない。はぐらかす。津田が彼を軽蔑している点だけは昔も今も変わらないなどと論点をずらし、さらに、自分は誰にでも軽蔑されている人間だ、世の中全体が自分を軽蔑しているのだなどと自分のルサンチマン的感情まで披露してみせる。小林はお延の心をもて遊び、彼女を翻弄することに陰湿な快感を見出しているようである。お延は〈彼のように無遠慮に自分に近付いてくるもの、富も位地もない癖に、彼のように無暗に上流社会の悪体〔あくたい〕を吐〔つ〕くものには決して会った事がなかった〉。貧乏を逆手にとって相手を攻撃してくる小林のような人間はお延の理解を超えている。彼女はそんな小林を軽蔑するけれども、同時に気味の悪さも感じずにはいられない。
 夫の過去について「あなたの知らない事がたくさんあります」「あなたの知りたいと思っている事がまだ沢山ある」「あなたの知らなければならない事がまだ沢山ある」とたたみかけられたお延は強気に反発しながらも呪縛を逃れることができない。帰りがけの小林を引き止めて説明を求める。「妻〔さい〕の前で夫の人格を疑るような言葉を、遠廻しにでも出した以上、それを綺麗に説明するのは、あなたの義務じゃありませんか」。しかし小林はすべて自分の失言であったなどととぼけて、いなしてしまう。結局、夫の過去について肝心な事は何も分からないままに終わる。小林の立ち去った後お延は〈津田の机の前に坐るや否や、その上に突ッ伏してわっと泣き出した〉。
 しかしお延は泣くだけで終わるような女ではない。存分に泣いた後で机や本箱の抽斗、戸棚の中を調べる。手紙類も調べるが怪しいものは何もない。すると突然記憶によみがえる。かつて津田が庭先で古い手紙の束に油をかけて燃やしていた姿が。いつもは後手にまわる津田だけれど、この点だけは先手を打ったのである。お延は夫の秘密の前に立って、手をこまねいていなければならないのか。
【お秀】
 お延が小林を相手に苦しい心理的戦いを強いられていた同じ頃、病院ではもう一つの心理戦がたたかわれていた。津田と妹のお秀のあいだで。
 お延より一つ年上で24才のお秀はお延とはまったく異なる環境に生活している。既に2人の子持ちであるだけではない。夫の堀は道楽者で、道楽者にありがちな寛大な気性の持ち主であるとの説明がある。〈自分が自由に遊び廻る代りに、妻君にもむずかしい顔をみせない、と云って無暗に可愛がりもしない。・・・呑気に、ずぼらに、淡泊に、鷹揚に、善良に、世の中を歩いて行く・・金に不自由のない・・・〉〈器量望みで貰われたお秀は、堀の所へ片付いてから始めて夫の性質を知った。放蕩の酒で臓腑を洗濯されたような彼の趣も漸く理解することができた〉。美人だから妻にと乞われた彼女は夫のことを知らないままに嫁入りし、結婚後道楽者と知った夫をそれとして受け入れ、夫との密な精神的絆などは求めず、その代わりに一定の自由と経済上のゆとりを享受し、子供に喜びを託しているというのが現在の様子である。そして、姑の他に夫の弟と妹も同居している。たいへんそう。見た目はお延より若く見えるほどなのに内面的には老けるのも無理はない。〈早く世帯染みた〉とある。
 そんな彼女からすれば兄夫婦はあまりにも身勝手な人間としか見えない。彼女は常に批判の眼で彼らを見ている。その端緒は津田が京都の父親から受けている経済援助である。これは月々の不足分を父親からの仕送りで補い、賞与で返済をするという約束で成り立っている。しかし津田はそれをすっぽかして平気でいる。そもそも守る気がないらしい。その約束も堀の口添えでやっと成立したのだが、約束不履行の今、その堀を責任者であるかのように詰責する手紙が京都から送られてくるのもお秀には口惜しい。お延の指にはまっている高価な指環がことあるたびに目について仕方がない。お秀の見るところ元凶は派手好きなお延である。兄は嫁の言うなりである。〈悉く細君を満足させるため〉だというのがお秀の解釈である。お秀は父や母に対して自分の思い込みを伝えることを躊躇しない。
 ところが、入院費用などで出費のかさむ今になって父が送金停止を宣告してきた。お秀が父や母に書き送る兄夫婦の陰口がその決定とどの程度関係あるのかはよく分からないが、確かなのは、お秀が自分の所為だと思われたくないと思っていることである。彼女はたんなる見舞金以上のものを紙袋に包んで持参して来た。「あたしがあなた方の陰へ廻って、お父さんやお母さんを突ッ付いた結果、兄さんや嫂さんに不自由をさせるのだと思われるのが、あたしには如何にも辛いんです。だからその額だけをどうかして上げようと云う好意から、今日わざわざ此所へ持って来たと云うんです」。しかし自尊心の強い津田は妹に頭を下げたくない。金は欲しいが素直に受け取ろうとしない。そこから心理戦争が勃発し、兄と妹の言い争いが不可避となる。根底にあるのは兄夫婦に対するお秀の不満である。
 二人が言い争っているところへお延がやって来る。彼女の関心事は先刻小林に言われた夫の過去なのだが、病院に来てみると兄妹間ののっぴきならない諍いが繰り広げられていて、それに巻き込まれてしまう。もちろん津田の同盟軍としてである。津田は必ずしもお延の戦略通りに動いてくれないけれど、それでも2対1の戦いではお秀の形勢は不利である。お延が津田の言葉をうまく利用してお秀にしかける嫌味たっぷりの攻撃はなかなかの効果を発揮する。イケズといってもよい。お秀の反感はつのるばかり。さらにお延が前日叔父の岡本にもらった小切手を持ち出すに及んで、お秀の「好意」は威力を失ってしまう。お秀は戦意を喪失する。と、まあ、戦争の比喩で眺めると3人のやり取りは分かり易い。最後にお秀は、津田夫妻が自分のことだけしか考えられない人間で、人の親切に応じる資格を欠いた人間で、人の好意に感謝することのできない人間に切り下げられた人間であるという非難と、持参したお金を置き土産にして立ち去る。「私から見ると、それはあなた方自身に取って飛んでもない不幸になるのです。人間らしく嬉しがる能力を天から奪われたと同様にみえるのです」。お秀は人間らしくないとまで言っているのだが、二人は気にする様子はない。
【吉川夫人】
 吉川は津田の勤める会社の重役であり、津田の父親の友人である。父親は吉川に息子を託し、配慮を期待しているらしい。津田は礼儀、義理、利害そして虚栄心のために吉川家を時々訪問し、吉川夫人とも懇意である。津田にとって会社で重役室に尻を据えた吉川に会う機会はあまりなく、むしろ夫人との付き合いのほうが頻繁なのかもしれない。入院のために休暇を取る許可も偶々とはいえこの夫人から先に内諾を得ている。
 夫人は暇を持て余している金持の奥さんで、要するに有閑マダム。人の世話を焼くのが道楽である。頼まれずとも機会を見つけては他人のことに首を突っ込み、〈なにかと眼下〔めした〕、ことに自分の気に入った眼下の世話を焼きたがる〉。津田もそのような眼下のひとりである。夫人は彼を子ども扱いするが、津田はむしろそれを楽しんでいる。夫人の前では自分の大人の部分、それは自己とも自我とも言い換えてよいが、〈その自己をわざと押し蔵〔かく〕して細君の前に立つ用意を忘れなかった〉。〈他〔ひと〕から機嫌を取られ付けている夫人〉を津田は〈一種の意味で、女性の暴君と奉つらなければならない地位にあった〉。    
 津田とお延対お秀の心理戦争があった翌日、最初に病院に姿を見せたのは小林であった(これが彼の3回目の登場)。彼は藤井宅に立ち寄ってからこちらへ来たのだが、その彼の情報では、藤井の家をお秀が訪ねて来て、前日の兄との諍いについて叔父の藤井に訴えていたというのである。それだけでも津田は〈思わず腹の中で「畜生ッ先廻りをしたな」と叫んだ」〉というくらいに臍を噛む思いをするのだが、事態はもっと進んでいる。小林の話ではお秀は藤井へ来る前に吉川を訪ねているのである。津田は虚を衝かれる。吉川とお秀との関わりはせいぜい、津田とお延の婚礼の表向きの媒酌人であった吉川夫妻と新郎の妹という儀礼上の関係であって、とうてい深い交渉があるとは津田は考えていなかった。お秀は吉川のところで何をしゃべったのか。藤井のところでと同じように兄との喧嘩について愚痴を言うためにわざわざ出向いたわけではないだろう。吉川宅でどんなことをしゃべって来たかを藤井の叔父に何か言っていたかと津田が問い掛けると、小林は碌に聞いていなかったと例によってとぼける。そして言う。まもなく吉川の細君がやって来て、その人の口から聞かされるはずと。
 津田が小林を厄介払いした10分ほどあとに吉川夫人がやって来る。彼女は奥歯にものの挟まったようなものの言い方はしない。津田やお延やお秀のようにネチネチとはやらない。ズバリ切り込む。津田がお延をどう思っているのかと問うた後で、津田の辛気臭い対応の先回りをして自ら答えを出す。藤井の叔父叔母やお秀が津田はお延に甘い、大事にし過ぎであると考えているのとは異なって、彼女は津田がそれほどお延を大事にしていないことの欺瞞を見抜いている。「貴方は延子さんをそれ程大事にしていらっしゃらない癖に、表では如何にも大事にしているように、他〔ひと〕から思われよう思われようと掛っているいるじゃありませんか」「あたしは貴方が何故そんな体裁を作っているんだか、その原因までちゃんと知っているんですよ」。    
 その原因を取り除いて津田夫婦を体裁を取り繕う必要のないまっとうな夫婦にしてやろうというのが吉川夫人の目論見、ないし意気込みである。そのためには津田の清子に対する未練にはっきりした解決を与えることが必要である。未練といっても津田は清子への恋情を捨てかねているとか、よりを戻したいとか思っているわけではない。理由を告げずに彼のもとを去って行った清子の心が分らないまま現在に至っている、そのモヤモヤを脱却できない状態を吉川夫人は未練と呼んでいる。そもそも清子を愛するように津田を仕向けたのは吉川夫人であった。〈世話好きな夫人は、この若い二人を喰っ付けるような、又引き離すような閑手段を縦〔ほしい〕ままに弄して、そのたびに迷児々々〔まごまご〕したり、又は逆〔のぼ〕せ上ったりする二人を眼の前に見て楽しんだ〉。それでも最終的に二人を結び付けようと考えていた夫人の思惑はしかし裏切られることとなった。清子は津田に、そして夫人にも背を向けて、関という男に嫁いだ。その後お延が津田の世界に登場し、〈夫人は再び第二の恋愛事件に関係すべく立ち上がった。そうして夫と共に、表向きの媒酌人として、綺麗な段落を其所へ付けた〉。
 綺麗な段落を付けたとはいえ吉川夫人もモヤモヤしているのである。津田の未練は彼女の未練でもある。お秀の訪問をきっかけとして彼女はひとつの解決策へと手を伸ばす。津田は清子から直接に説明を聞かねばならない、というのがそれである。どうしてかは不明だが、彼女は清子についての情報をつかんでいる。現在、湯治場にひとり滞在して流産後の体をいたわっている清子のところへ行けというのが提案である。津田にとって夫人の提案は半ば命令みたいなものであるし、自分も清子に会うことが厭わしいわけでもない。手術後の体を温泉で癒すというのはごく自然であり、周囲にも説明がつくし、費用を吉川夫人が出してやるというのである。津田は了承する。
 こうして津田は一日掛かりで東京から行かれる可なり有名な温泉場へと赴き、清子に再会する。がしかし、ここで物語は中断される。それにしても津田はやはり先を超される男であるようだ。何も告げずに清子に去られたことがまさしくその典型ではなかったのか。