2023年に私の見た紅葉

万葉集には秋をうたった歌がたくさんある。次の一首もそのひとつ。
一年〔ひととせ〕にふたたび行かぬ秋山を情〔こころ〕に飽かず過〔すぐ〕しつるかも 万葉集2218
*最初私はこの歌の意味を「一年に一度しか訪れることのない秋の紅葉した山を見ていると飽きることはない、時の経つのも忘れて楽しんだことである」と理解したが、そうではなくて「一年に二度とはめぐって来ない美しい秋山の景色を、満足するまで賞美せずにすごしてしまったことである」(岩波、日本古典文学大系)が正解らしい。奈良県立万葉文化館の「万葉百科」というサイトにも同様の解釈が載っている。「情に飽かず」を「満足するまで賞美せずに」と理解するには古語に関する私の知識が足りなかったということ。ただし前半部分はどうだろうか。「ふたたび行かぬ」を作者が再び行かないと解釈するのは無理があるのか? 私の語感は「行く」を「めぐり来る」と解釈することに抵抗する。こちらは納得できないままである。しかしそれはさて置き、この秋、何故だか分らないが私はやたらにたくさん紅葉の写真を撮った。情に飽きるほどに。大半は毎日の散歩にカメラを携えてのもので、坂本とくに日吉大社が中心である。それ以外のものも含めて幾枚かを以下に載せておきたい。

日吉大社

西教寺ひとり立ち言葉を持たぬ木の故にただましぐらに黄葉せりけり 田井安曇

園城寺三井寺

皇子山公園

ちらねどもかねてぞをしきもみぢばは今は限りの色と見つれば 古今和歌集264
*真っ盛りの紅葉はあとは散るしかない。最も美しいときに死と共存しているのが紅葉というものかもしれない。

☟京都、紫明通イチョウ

☟加茂川右岸(西側土手)から比叡山を眺望

☟少し右を見れば大文字山

京都大学北部構内のイチョウ並木わくらばに音たててジープすぎゆきぬ銀杏並木をひとり歩めば 湯川秀樹
*京大北部構内には農学部と理学部がある。門を入ったあたりはイチョウ並木道。かの湯川博士もここをいつもとおっていらっしゃったはず。ジープとはアメリカ占領軍のジープらしい。戦後間もない頃の風景。

12月に入ると紅葉の季節も終盤。でもこの時期の地面に散り敷く落葉こそ一番美しい気がする。

☟再び日吉大社


秋山にもみつ木〔こ〕の葉の移りなばさらにや秋を見まく欲〔ほ〕りせむ 万葉集1516
*「もみつ」は紅葉(黄葉)するという意味の動詞である。これが「もみづ」となり、その連用形の名詞化したものが「もみぢ(紅葉、黄葉)」であると古語辞典にはある。

吹く風の色のちくさに見えつるは秋のこのはのちればなりけり 古今和歌集290

夕つ日の照らすヤマボウシ四五枚の残る葉朱〔あか〕し目の前の枝 松村栄一

秋山を一日〔ひとひ〕歩きて夕焼〔ゆふや〕くる雲のあたりは海とおもふに 結城哀草果