エビデンス

 菅首相が12月14日に多人数で会食したことを追及され、「国民の誤解を招くという意味においては、真摯に反省している」と述べたのに対しては、多くの人がツイッターなどで「国民は誤解していません、ちゃんと理解しています」と盛んに突っ込みを入れている。「誤解」の悪質かつ稚拙な政治的誤用・乱用についてここで改めて指摘するまでもなかろう。

 同時に西村経済再生担当相の「一律に5人以上は駄目だと申し上げているわけではない」「専門家が何かエビデンスがあって何人以上と言っているわけではない」という弁明も突っ込みどころ満載(4人以上の会食は控えてって誰が言っていたっけ?!)で、嘲笑的批判殺到である。西村大臣は自分の発言がどんな反応を招くか分かっていなかったのだろうか。それほど鈍感な人なのか。それとも百を承知で言ったのか。とかく政治家の真意は分かりにくい。

 ところで、この「エビデンス」という語だけれど、なぜ「証拠」「根拠」と言わないのか。「専門家が何か根拠があって何人以上と言っているわけではない」と言ってはいけないのか。両者の意味は同じでも、聞いた瞬間の理解しやすさは「根拠」のほうが大きいから、というのが私の語感による推測である。すぐに「何人以上でクラスター発生の危険が増すかは専門的に証明されているわけではない」という意味に読み取れる。西村大臣はそのように(正しく)理解されることからわずかでもいいから距離を置きたかったのではなかろうか。たとえ無意識的にせよ。そして「エビデンス」を選んだ、というのではないだろうか。そう言えば、菅首相も、GO TO TRAVELは、これによって新型コロナ感染拡大があるというエビデンスはないから止めることは考えていないとか何とか言っていましたね。