大文字山でトレーニング

 最近はスポーツに全く関心がなくなった。サッカーはもともと興味がなく、Jリーグ発足当時(いつだったか?)も、なぜみんなが騒ぐのか理解できなかった。プロ野球と大相撲、プロレスには子供の頃からそれなりに熱中もした。今は、それらを含めてテレビでスポーツ中継を見ることはめったにない。

 今日ネット上に、プロ野球中日ドラゴンズ大野雄大投手が新年恒例の大文字山での山道トレーニングをおこなったという記事があった。プロ野球のすべてについて完全に無知である最近の私としては、大野投手についても全く知識がなく、この人は京都の出身なのかな、それで大文字山で新年のトレーニングを始めることにしているのかというぐらいのことしか思わなかった(調べてみると京都外大西高佛教大学を経て中日入りとあった)。むしろこの記事で興味を持ったのは大文字山でトレーニングというくだり。大学時代の陸上部の合宿を思い出したのである。大学の農学部グラウンド内にある合宿所から大文字山は目と鼻の先。合宿中に一度か二度は朝一番に大文字山に登ることが恒例となっていた。グラウンドを出て白川疎水を経て、銀閣寺の左側から登山道に入り、大の字の真ん中にある祠までを走って往復。普段でも長距離や中距離の選手はよく登っていたようだが、投擲選手(と称するのもおこがましいダメな選手であったが)の私はしんどいのが大嫌いで、山道を走って上がるトレーニングなど絶対にしようと思わなかった。合宿の際にも登山道に差し掛かるやいなや最初の一歩から歩き出し、半分ほど登った所で走って下りてくるメンバーと出くわすというのがいつものこと。このパターンは一度も破ったことがない、と妙な自慢をしても仕方ないが、よくぞ自ら課した原則に忠実であったことか!

 陸上部の合宿は一年に3回か4回あっただろうか。このへんの記憶はあいまいだが、冬、春、夏の休暇には必ずあったはずだから、少なくとも3回はあったと考えられる。春に高知に行ったこともある。高知城の桜とともにこれはよく覚えている。桂浜でダッシュを繰り返すトレーニング。これはしんどいからといってさぼるわけにはいかなかったのだが、しまいにケツワレを起こした。ケツワレを今手元にある国語辞典で引いても載っていない。これはスポーツをやった人間だけが味わえる体験。ほんとうにお尻が割れるような苦しみであって、痛いと同時にこそばくもある奇妙な感覚(お尻が笑う)なのである。筋肉を極限の疲労にまで追い込まないと起きないのでふつうはそれ以前に倒れてしまうか運動を止めるかする。体験することが難しい理由はそこにある。もっともこんな事を体験しても仕方ないけれど。中距離選手が試合で800メートルや1500メートルをを走った後で倒れこむのはこれらしい。私がケツワレを体験したのは後にも先にもこの時だけ。

 合宿でもうひとつ思い出すことがある。それは、円谷幸吉の死。彼が自ら命を絶ったというニュースが正月合宿中に飛び込んできて、私たちに小さからぬ衝撃を与えた。東京オリンピックでメダルを取り、次のメキシコオリンピックでもメダルを狙える選手なんてただただすごい人としか思っていなかった私は、その時初めて、栄光と表裏一体になった苦悩というものの存在することを理解したと言えるかもしれない。幸いになれなかった幸吉が家族・親族の名を逐一挙げて感謝を述べた遺書は多くの人々の心に響き、私もひどく心を打たれた。今読んでも心を打たれる。

【追記】

今回は、ほんとうは、子供の頃のプロ野球、大相撲、プロレスの思い出を書こうとしていたのですが、陸上部の合宿の思い出に話が行ってしまいました。それらの話題はまた後日ということで。