国会議員の離党と議員辞職

 コロナ緊急事態宣言下で深夜まで銀座のクラブを訪れていた問題で自民党の松本、田野瀬、大塚の3議員が自民党を離党することになったいきさつが報道されている。「産経新聞」によれば、「これまで〈1人で行った〉と説明していた松本氏は後輩を守るために嘘をついたことを認め、結果的に自民の傷口を広げた。国会で野党から追及を受ける菅首相にとっても大きな打撃となる」。
 離党という形でちゃんと責任を取ったことになるのかについては多くの人が疑問ないし批判を持っている。私も、これで幕引きはおかしいと思う。同じように銀座のクラブで深夜まで過ごした問題では公明党の遠山議員が昨日議員辞職届を提出した。この人の場合は、2019年の政治資金収支報告書にキャバクラなどの飲食費計11万円を計上したことも発覚したのも併せて、より罪が大きいのかもしれないし、公明党を支える創価学会への配慮もあっての判断かもしれない。とはいえ、いちおう筋を通したと言えるだろう。
 自民党の3人(正確には元自民党の3人だが)にも筋を通してほしいものである。この人たちが離党することの理屈は何なのだろう。私が思いつくのは2つ。ひとつは、党に迷惑をかけたことの謝罪。もうひとつは、自分が自民党員として働くには資質なり能力なり人間性なり、なんらかの点でふさわしくない人間であったとの判断に至りましたという意思表示をするということ。この2つではないか。それを受けて自民党の側では、私どもはこのような不祥事を許すつもりはありません、けじめを付けましたよ、という姿勢を取ることができる。しかし、離党はあくまで自民党との関係における問題処理に過ぎない。離党という行為は国民との関係をなおざりにした行為でしかない。国民との関係は何によってかというと、それは国会議員としてであって自民党員としてではないのである。その意識が欠如している。いくら深々とカメラの前で頭を下げようが、この人たちは国民に向かって「心よりお詫びを申し上げる」つもりはないのである。会見する3人の後ろに貼ってあった自民党のポスター「国民のために働く」ってまさしくブラックユーモアとしか見えない。「国民のために働く」資質と人間性を欠いていたことを反省して潔く議員辞職していただきたいものである。
 ついでにもう一つ気に掛かったことを書いておきたい。「産経」記事は3議員の関係について「松本氏と田野瀬氏、大塚氏の仲の良さは永田町では有名で、頻繁に酒席を共にしていた。田野瀬氏は昨年9月に副大臣に就任する前まで国対副委員長を務め、大塚氏は松本氏を〈兄貴〉と慕っていた。松本氏も2人を高く評価するなど、深い信頼関係が築かれていた」と紹介し、クラブに行ったのはひとりでだったという松本議員の嘘についても「ある党幹部が〈松本氏は、一緒にいた人をかばったんだろう〉と沈痛な面持ちで語った」と述べている。記事はさらに「田野瀬氏も記者団に〈松本氏が私たち2人をかばおうとしているのを知っていた。心苦しかった〉と釈明した。一連の危機管理上の失態が傷口を広め、党全体のイメージを悪化させたといえる」と続く。そして最後に「首相は1日、官邸を訪れた田野瀬氏を厳しく叱責したうえで、文科副大臣を更迭する意向を伝えた。党関係者は〈重要法案を審議する大事な国会中に足を引っ張るとは何事か〉と語気を強めたが、自民党全体の〈気の緩み〉が印象づけられたのは間違いない。公明党遠山清彦衆院議員の議員辞職と合わせ、秋までに行われる衆院選に向け、与党は抜本的な戦略の見直しを迫られる」と締めくくっている。
 この記事の要点は次のように読み取れる。今回の問題の発端は兄貴と弟みたいに仲のよい3人の議員の失策。その背景にある自民党の気の緩み。傷口を大きくした危機管理上の失態。難しくなる与党の国会対策。秋の総選挙までに必要となった抜本的な戦略の見直し。なるほど、これが実態なのかもしれない。政局とはそういうものかもしれない。その点はよく伝わってくる。でも、と私は考え込む。そこで終わっていていいのか。問題はそんなことなのか。問題の根本は、国民を裏切り続ける政治のあり方なのではないか。そういう政治を批判的に見る視点が、新聞に限らずマスメディアには必要なのではないか。その視点を持たないと報道は政局の楽屋話で終わったり、当たり障りのない政府広報みたいになってしまう危険があるのではないか。今回の記事にもそんな危うさを感じる。もちろん、政治家の失策を報道する記事で政治と国家を大上段に振りかぶって論ぜよと求めるつもりはない。しかし、その失策の背後にある政治のゆがみを見つめる視線は常に必要なのではないか。もちろん、現在の政治が歪んでいないと考える人にとってはそんな視線は問題となりえないけれども・・・